72枚目
足音がしたから少し期待してしまった。
「ごめんね、僕で」
ちょっとがっかりしたのが顔に出ちゃったかもしれない。逆に申し訳ない。
追いかけてきてくれた黎さんは、困ったように笑って私の隣まで歩いて来た。
「どうしたの、天音ちゃん」
大きな岩陰に並んで腰を下ろした。海の音がすごい反響してる。
……ほんと、私どうしたんだろう。自分でもなにしたかったのかわからないし、気持ちもまとまらない。
こんな、わけわからない私の態度に振り回されて、
「那月は、呆れただろうな」
呆然とした顔を思い出す。見えてたはずなのに、無視してきてしまった自分に嫌気がさす。
「天音ちゃんは、素直でいい子だよね」
黎さんが自分で着てたパーカーを私の膝にかけてくれた。
何?と言えば、焼けちゃうからって。
「のんはほら、気持ちを態度に出すのがあまり上手じゃないから」
……日本語って偉大だな。
黎さんにとってのんこのあれは、ちょっとした天邪鬼になってしまうらしい。
「のんと違って天音ちゃんは自分に素直だから、気持ちを全部出しすぎちゃって、わからなくなっちゃうんだよね」
さらさら風で吹かれた黒髪。あれ、黎さん髪型変えたかな。前はもう少しツンツンしてた気がしたんだけど。
「ひとつひとつ、どんなことでも言葉にしてみて、那月くんに言ってみてごらん?」
「……嫌われない?」
「僕が見た那月くんは、とても優しくて度胸のあるいい男の子だな」
「度胸……って、必要?」
「人の気持ちを受け入れるのには」
その原理でいくなら、穏やかに笑う黎さんこそ、度胸があるんだなって。だって、あののんこを相手にしてるんだから。
「わかった。じゃあ」
頑張ってみる。
って、立ち上がろうとして視界の端に映った人影。
「あ」
「おっと」
黎さんも気づいて立ち上がった。そうして、私にも手を貸してくれて、自分でパーカーを持ってのんびりと笑い声をあげる。
「はは、僕、殺されるかなぁ」
物騒な言葉とともに。
「え?」
「いや、睨まれるだけならいいんだけどさ。ほら、僕って貧弱だから、若者に殴られたら耐えられるかなぁって」
いろいろツッコミたいとこ満載なんだけど、まずなんで殴られる前提?それに、貧弱はないんじゃない?だって、散々のんこの理由なき暴力に日々晒されてるじゃん。……よく、のんこと付き合ってるよなぁ。
「ねぇ、黎さん」
「ん? いいよ、行っておいで」
ツラかったら言ってね、って言おうと思ってたけど先越された。
「ん……」
とりあえず頷けば、なにを勘違いしたか頭をぽんぽんされた。
「大丈夫、大丈夫。天音ちゃんは可愛いよ」
ちょっとタイミングがわからないけど、のんことちがってテキトーじゃないから、思わず笑ってしまう。
「って、あ、ヤバいね。今のヤバいね。ごめんね、これセクハラ?」
「は?」
「最近、ウチの会社でも問題になっててさぁ。僕、ついこういうこと言っちゃうから、もっと気をつけないとって思って」
いやいや、黎さん。そういうのは口に出すもんじゃないし。そもそも、黎さんのそれは許される範囲内のことじゃないですか?なぁんて、言う前に腕を取られた。
それは、ついに距離を詰めてきた那月で。とん、と背中が那月の体に軽く当たった。
「すいません、この子は俺の──」
「ごめん! ごめんね! いや、ほんと、そんなつもりじゃなかったから! 僕、のん一筋だからさ!」
全ての言葉を遮る勢いの黎さんに、頭上から「え」と漏れ聞こえた。びっくりしてるだろうなぁ……。
「黎さん、黎さん。落ち着いて。のんこに言わないから」
「あ、うん、大丈夫、自分で言うから!」
「え」
「あとからバレて別れるとか、もう二度と言われたくない」
一度言われたことあるんかーい。
いや、待って?なにしたの、のんこ。黎さんの顔から生気抜けてるんだけど。そもそも、別にセクハラでも浮気でもなんでもなかったじゃん。
「ごゆっくり。……あ、いやでも、この辺り、岩とか波とか危ないから、なるべく早めには帰ってきてほしいかな」
なんて、いつも通りのへらりとした笑顔と共にその場を去っていった。
きっと、那月には疑惑だけが残っただろう。
「…………あの人」
「ん?」
「いや、いいや」
そうですか。
まあ、ほら、世の中知らなくてもいいカップル事情とか山ほどあるからね。
「……」
「……」
波の音だけが響いてて、それから、那月の少し早めな心臓の音も。だんだん、だんだん早くなってる。頭の上で、口を開いては閉じてるような気配がした。
「ごめんね」
「えっ」
驚かれたけど、顔は上げなかった。
「呆れた、でしょ」
「そんな、」
「だって、どうしていいかわからなかったの。那月のこと、好き、なのに、なんだか、顔見るのが恥ずかしくなっちゃって、だけど、なんか悲しくて。だって、那月のこと、全部知れた気がしたのに、それなのに、なんか」
口に出せばなにがわかるって?
あれ、なんか喋れば喋るほど馬鹿さ加減が増すきがする。いや、もとから馬鹿だけど。
「那月の遊びでも……、ん? いや、遊びにもならないのか……」
「いや、待って待って!」
途端にぐるんと向きを変えられた。
あ……。首元。私がつけた跡がある。同じように残ってたんだ。
嬉しいような、恥ずかしいような。
いや、これ狙ってつけたんだけどね。独占欲っていうの、これ?微妙に意味なかった気がするけど。
「ねぇ、だって俺、言ってるよね!?」
「え?」
「何度言えばいい? 何度好きって言えば、天音は俺のこと、信じてくれる?」
………………マズった。
「那月、ごめん」
「謝らないで」
「うん」
「好きなんだけど」
「うん」
「ほんとに、マジで、偽りなく」
「うん、ごめん」
「だから」
「うん。ありがとう。大好き」
「…………うん。ごめんね」
いいよ。だって、那月が私に怒ったの、これがはじめてだったから。




