70枚目
「ねぇ」
ザザァン、ととどろく波の音。
薄い足裏の皮を焼く熱い砂。
真っ青な空と照りつける太陽。
ここまで説明して、違うことを思い浮かべる奴はいないと思うけど。
「きゃぁぁぁ! うーみだ! 海ー!!」
「綺杏、ちょっと。あたしのサンダル返して」
「ねえ!」
私がツインテールから聞いたのは、確かにプールって単語だったそうだった。なのに私らがいるのは海。なんでだ。
って、今はそんなことよりも。
「私! 来週以降がいいって言ったよね!?」
「んぁ?」
ちょっとのんこ。日焼け止め塗ってる場合じゃなくて。
「その意味、かなり重大だったんだけどわかってる!?」
「わかんない」
「のんのん、綺杏にも塗って〜! 背中〜!」
「もうちょっと考えて欲しいし背中なんてどーでもいいし、今は私の話でしょ!?」
って訴えてんのに、ビキニ姿ののんこは素知らぬ顔。
こんなにも、黒ビキニが似合う女が他にいるだろうか。別に、その豊富な胸を羨むようなことはしないけど。綺杏が思いの外、素敵なお胸を持ってたことに関して嘆いてるワケではないけど。
「出たよ、自己中ナルシスト。はいはいかわいいねー……っと、はい。塗った」
「違うから聞け」
砂浜の上に敷かれた巨大なシート。四人で使うのにこんな大きさ必要だった?しかも、パラソルがふたつに飲み物が入ってるっていうクーラーボックス。すべて、のんこの彼氏様が車で運んでくれた。
そんな彼は今いずこに。
「これ、この痕! これが消えなきゃ私遊べない!!」
新しく買った水着の上のパーカー。そのファスナーを下げて見せた赤い跡。薄くなってきてるとはいえ、見る人が見ればすぐわかる。
「やだ、惚気ないで」
「なにが!?」
「アミちゃん、これ、水に入っても大丈夫なの! しかも可愛い!」
ぱっと姫杏が魔法のように出してきたのは、長袖のパーカー。確かにセンスいい。水着も綺杏が選んでくれた、普段の私なら選ばないような系統。
フリルが付いた真っ白なビキニ。スカートがセットになっててるやつ。首の後ろでリボン結びするタイプなんだけど、それが大きくて前から見てもかわい──、じゃなくて!
「もー、うるさいなぁ。わかった、あたしがメイクで隠してやるから、それで機嫌直して。ね?」
「この、まるで私が聞き分けのない子供みたいな扱い。私が悪いの? なんなの? 違うよね? 話聞かない人らが悪いよね?」
「あ、黎が帰ってきた」
ツヤツヤの爪で光ってるスマホのキーホルダー摘んで、綺杏が脱ぎ散らかしたサンダル履いた。そうしてぶらぶらと歩いてくのんこの背中は駐車場へ。
いや、待ってよ。
「のんのんとのんのんの彼氏さん待ってる間に、浮き輪膨らましに行こう!」
「え、あ、うん。もういいよ、なんでも」
あとビーチボールとー、と自分で持ってきた物をかき集めて、素足で砂浜に踏み出そうとする。
「綺杏、サンダルは?」
「忘れちゃったー。でも、たぶんカズ、あ」
「え?」
ぴたり、と止まった言葉。
だけど聞き返しても「なんでもないっ」と笑顔向けられた。なに?
「私の履きなよ」
「えっ、い、いいよ! アミちゃんの足の裏、焼けちゃうよ!」
それ、あなたの足の裏も同じことでしょ。
小さくて白い綺杏の足は、私のなんかより弱々しくて、あんな太陽に晒されてる砂なんかに乗せたら、一気にただれちゃいそう。
「私は大丈夫だからきあ──」
「かーのじょたち!」
ふと影がさした。
パラソルあるから元々日陰だったんだけど、それがもっと濃くなる。ふたりの男たちによって。
「今なにしてんのー? 俺らヒマしててさぁ」
「ふたりとも可愛いねー! いやガチで!」
可愛いと思う感性は大事だから、そこは評価してやってもいい。だけど、使い古されたナンパ文句と安っぽい笑顔と、綺杏を怯えさせる気持ち悪さは、プラスどころか測定不能の域。
「……悪いけど、連れがいるから」
さりげなく綺杏に身を寄せて、背中で隠すように立ち上がった。すぐに腕に両手が絡まってきて、小さな声で「アミちゃん」と呼んでくる。
「えー? ツレってさっきどっか行った女の子? あの子も美人だったよねー」
「向こうにさ、まだトモダチがいるんだよ。だから、三人でも全然オッケーだから!」
なにがオッケーなのか全然理解不能。
ただ、ちょっとヤバいかも。のんこと違ってなんにもできない私じゃ、ふたり相手でも綺杏を逃がせるかどーかって感じなのに、まだいんのか。
「カレシがいんの。私らみんな。他当たって」
つーか、まだこんなバカみたいなナンパする男いたのかよ。じりじりと、綺杏のことを背中で押す。でも、震えながらも綺杏は私の手を離さない。
いーから、早く逃げなって!そんで、のんこを呼んで来てくれればそれで──。
「んな警戒しないでよー」
「そーそー! ただ遊びたいだけだから!」
あっ、と思ったときには綺杏のうしろにひとりが回ってきて、振り返る間もなくもうひとりに腕を取られた。
「ちょっ! や、めて……!!」
「アミちゃん!」
「へぇ、アミちゃんってゆーの? 名前も可愛いねー」
ちょ、まじでヤバい!
手ぇほどけないし、綺杏も肩抱かれて泣き出す寸前だし、どーしよ!
「君、めっちゃいいカラダしてんね」
「ひっ」
寸前ってか泣き出しちゃった!
でも、綺杏のとこに行こうにも、男が私の手を掴んで離さない。
「か、カズくぅん……」
「カレシ? ははっ。なーんか、こーいうシチュもえるよなぁ」
「お前マジ変態っ!」
「この、いい加減に──」
掴まれてない左手を握って、男の頬めがけて繰り出そうとして。
「なにしてんだ、てめーら」
ものすっごく低い恐ろしい声に、びくりと動きが止まった。
それは男たちも同じで、ただ例外といえばそんな男の腕が緩んだ隙に、綺杏が同じく自由になった私の手首を取って走り出したこと。
めっちゃ足速い。さすが陸上部。
そんな場違いの感嘆が浮かんでくるほど、脳みそは本来の仕事を放棄してて。
「カズくん!!」
「綺杏! 大丈夫? ケガない? 怖かったな遅れてごめん」
「へーき、へーきだよぉ。アミちゃんがね、守ってくれてね、綺杏はなにもできなくて、アミちゃんが危なかったのに、綺杏は綺杏はぁ!!」
「わかった。もう大丈夫だから。ほら、見ろよ。綺杏も橘さんも無事だし、怒らせちゃマズい奴が怒ってるから」
綺杏を抱きしめながら、なぜか現れた長谷川くんが睨み据える先。
男ふたりと、長身の背中。
見てるだけなのに、それ以上は動けなくなる。まぎれもなく、それは那月。信じらんないけど。
私たちとは逆に、男たちに歩みよっていった那月。そうして、低い声でなにかを言った。聞こえなかったけど、それで男たちは怯えきって逃げてった。
それらを見送って、振り返った那月に。
「あ……」
ビクッとしちゃったのは、失敗だった。




