69枚目 雪村乃々子side
──天音のナルシストは、兄貴たちが作ったようなものだと思う。
「隣に越してきました、橘です」
家にやってきた見知らぬ女の人と男の人。
母さんの後ろから隠れて覗いたら、ちょうど、同じように隠れてた女の子と目が合った。
「あ」
思わず漏らした声は女の子にだけ届いて、その子はさっと身を隠してしまった。なんで。
同い年くらいだった。同じ小学校に来るのかな。
「あら。娘さんがいらっしゃるんですね。おいくつですか?」
あたしに気づいた女の人は、優しそうな微笑みと一緒に母さんに尋ねた。
「七歳で、今、小学校一年生なんです」
「そうなんですか! 実はこの子も七歳で──、ってあら。天音ちゃん、隠れてないで挨拶しましょう?」
天音ちゃん、と呼ばれた女の子は、それでもなかなか女の人の後ろから出てこようとしない。
めんどくさい。
「ねえ」
「!」
大げさなくらいビクつかれた。
後ろから母さんに「のん、怖がらせてんな」って叱られた。声かけただけじゃん。
「あたし、雪村乃々子。あなたはあまねちゃん、でいいの?」
「……」
返事がない。
ことり、と首かしげたらその子はますます小さくなってった。なんだろう、他の子と全然違う。どうしよう。
「なになになになに!? 引っ越し? 新しい人? 子供いる? 男いる? あそぼーぜ!」
「ま、待てよ亜澄! 俺まだ飲んでる……、あっ!」
「亜澄うるさい! 維澄、あんた今零したジュース、ちゃんと拭きなさいね!」
はっとして後ろ向いたら兄貴たちが、正確に言えばアズ兄が、こっちに向かって突進してきてた。
その後ろで、イズ兄がなんかあたふたしてる。いろいろその前に、アズ兄止めてよなにしてんの。
「え、だって今の亜澄が押して……」
「男が『だって』とか言ってんな」
ふと見上げれば、女の人も女の子も驚いた顔してた。そっくりだ。
「なーんだ女の子かまぁいーや俺亜澄っつーんだ好きに呼べよお前は? ってかその髪かわいーなツインテールってんだろ? 昨日みおちゃんが教えてくれたんだけどみおちゃんはそんな似合ってなかったな──、イッテ!」
ぱしん、といい音がして、やっとのことでうるさいアズ兄が黙ってくれた。
「すいません、やかましくて」
黙らせてくれた母さんは、アズ兄の襟首掴みながら、女の子から離そうとしてる。アズ兄は首が絞まって「ぐぇっ」と汚い声出した。
「いえいえ、そんな。賑やかでいいですね。息子さんたち、凄くそっくりで」
「えぇ、一卵性の双子なもので」
「まあ、双子なんですか!」
「ふたりは十一歳で、あと下にもうひとり五歳のがいるんです。どうか仲良くしてやってください」
「あ、はい、こちらこそ! この子、人見知りが激しくて──」
だんだんと子供から離れてく大人たちの意識を掻い潜って、兄貴たちが寄ってきた。
「ツインテールすげぇ似合ってんなこーゆーのはかわいい子がするからかわいいんだよな」
「亜澄、あんまりしゃべんなよ。びっくりしてるだろ。どこで聞いたんだよ」
「びっくりした? そんなことねーよな楽しくやろーぜ俺は思ったことを口にしただけだしまあ父さんが言ってたことだけどってか」
「はいはいはい。……えっと、こんにちわ。俺、維澄っていいます」
乗り出してきたアズ兄を押しのけて、イズ兄がにっこり笑顔を浮かべながら女の子に話しかけた。
女の人は母さんと話すのに夢中で、いつの間にか女の子の手は服の裾から離れてた。隠れる場所をなくしたその子は、すぐ横の男の人に抱きつこうとして。
「……」
「あっ……」
すっと避けられた。
男の人は素知らぬ顔で、だけどちらりと女の子とあたしたちを見てた。
「あ、の……」
やっと出てきた声。
あぁ、『女の子』だ。あたしのとは違う『女の子』の声。
「あ、あ……、あまね、橘天音、です」
長い時間をかけて、ようやく出てきた女の子の名前。
そこまで、イズ兄は身じろぎせずに聞いてた。そのイズ兄によって後手で抑えられてたから、アズ兄は一切動けてなかった。ほんと、イズ兄いないところでアズ兄と一緒にいたくない。
「へぇ、天音ちゃんっていうんだ。可愛い名前だね」
イズ兄の柔らかい声に、女の子──天音は少しだけ顔を上げた。
「か、わいい?」
「うん、可愛いよ。ねぇ、のん?」
なにその振り方。突然すぎて言葉が出なかった。
「のん?」
代わりに、天音がこっち見た。なんだ、ちゃんとあたしとしゃべれるんじゃん。
「のんって、母さんも父さんも、兄貴たちも呼ぶの。天音も呼んでいいよ」
そう言えば、ちょっと考え込んだ天音はふわりと笑った。
あ、笑顔。
「じゃあ、のんこちゃん」
なんでだ、と思ったけど、それよりも。
「可愛い! 天音すげぇ可愛いな俺こんだけ可愛い女の子はじめて見た!!」
イズ兄の手綱を引きちぎり、アズ兄はずいっと天音の前に乗り出した。一瞬後ずさりした天音は、その手で掴まるもの、たぶん男の人の服の裾を探してる。
なのに、アズ兄は全く気にしない。馬鹿みたく『可愛い』を連呼する。
イズ兄は、なぜか止めない。
なんだ、この状況。
「……アズ兄──」
イズ兄がやらないなら、いい加減殴ってでも止めないと。
「私、可愛い?」
あれ。
怯えてたはずなのに、大きな黒い目が真っ直ぐアズ兄を見つめてた。
「可愛い可愛いマジで可愛いなぁ思うよな?」
「うん。可愛い」
「……可愛い。そっか」
出会ってほんの少しの時間。
あんなにもビクついてた女の子が、兄貴たちの言葉によって、急に自身に溢れた女の子になった。
不思議な変化を目の当たりにして数日、あたしのクラスに天音がやってきた。
「橘天音です。クラスの、ううん、学校の美少女アイドル目指します!」
……なんか、ちょっと変な子なのかもしれないな。
♯
なにはともあれ、あの日から、『愛すべきナルシスト』はあたしのはじめての友達になった。
「なに? メール?」
「まあね、」
カツカツ、カツと画面をタッチして文を作っていく。
覗き込もうとしてきたおでこを押し返せば、「ラブレター?」とニヤニヤしてくる。気持ち悪。
「そう」
「マジか」
カツ、と最後の一文字を入力して、送信ボタンを押した。
「欠かせない、ね」
送信済みメールボックスにある、同じ宛先のメールの数々。一番新しいそれを開いて、思わずふっと笑ってしまった。
『天音は、また変身しました』
女の子から距離を開けながら、遠くで見守ってた男の人。その繋ぎをあたしができるのも悪くない。
「彼氏さんとのメールで、のんこが、笑った……?」
「え、そんなに驚くことなのぉ?」
また増えた天音の友達は、結局、変な子だった。だけどまあ、毎日見てて飽きないからいいかな。