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60枚目

 


 ぱたん、というアルバム閉じる音がやけに響いた。


「先ほどの言葉が本当なら、君には誓約書にサインをしてもらう」


 ……は?

 なに、サイン?誓約書?


「と、言っても今じゃなくていい。結婚する前に僕に提出してくれ。離婚後の責任を決めておかないといけないからね」


 ちょちょちょ、えっ!?

 お父さんなに言ってんの!?けっ、けけけけ結婚てちょっと!一体、なんで、そんな話になってるわけ!?


「もちろん、この誓約書の内容は天音にとって有利なものだ。たとえ天音から離婚を切り出したとしても無効にはならない。──それが嫌なら、今ここで断ってくれても構わないよ」


 構わないよって、それって別れろって遠回しに言ってます……!?


「あら、ちょっとあなた」


 あっ、お母さん!!

 不満そうな顔してお父さんの肩に手を乗せた。そうだよ、お父さん止めて!!


「今別れるか、あとで別れるか、そーいうのは本人たちが決めることでしょう? 私たちが口出ししていいことじゃないわ」



 そこ「も」だよ!

 ホントやめて!どーすんの、こんなメンドくさい親で、那月が「別れよう」とかマジで言い出したら!あっ。どーしよう!?


「あああの、なつ──」

「わかりました」


 えっ。

 あ、ちょっとお願いだから早まらないで!私が今から説得してみせるから……!


「なんなら、今書いてもいいです」

「えっ」


 いや……えっ?待って、なに言ってんの?


「君はまだ未成年だ。成人して、自分で責任をとれるようになってからでいい」

「お父さんもなに言ってんの!? そこじゃない──」

「未成年でも、天音……さんを幸せにするための約束は、形にできます」


 …………ッ!!


 じわじわとか、言ってらんない。

 ほっぺ、一気に熱くなった。熱いってか、痛い。


「天音ちゃん、幸せねぇ」


 そんなガチで嬉しそうに言わないで。なんか恥ずかしい!


「あぁ、なんだか思い出しちゃうわねぇ。あなたが誓約書持ってきて、求婚してくれたときのこと」


 ……え?


「片膝ついて、いつもの仏頂面を少し緊張させて、一枚の紙を差し出して言ったの。『この通り、一生かけて君を大切にする。だから、僕と結婚してください』って」


 指輪じゃなくて?指輪でしょ?


「すっごく感動して、涙出ちゃって」


 感動したの?涙出たの?

 嬉しいんだろうけど、私が想像するプロポーズとなんか違う。


「だけどそこに、自分が死んだら財産の全てを私に差し出すみたいな内容が書いてあって」


 ニコニコしてるお母さんとは反対に、お父さんは顔をしかめて唸った。


「確かに、あれは不謹慎だった。だが、だからと言って、いきなり破り捨てることはないだろう」

「あら。私の気分を害したんだから、書き直しなんて当たり前でしょ?」


 あ。なんかこの流れ、思い出話長引く気がする。

 そっと隣を伺えば、真面目な顔して聞いてる那月を発見した。その袖をちょっと引っ張ると、すぐにこっち向いてくれた。


「ね。あの、誓約書とか、結婚とか、ほんとに気にしないで」


 私はどーでもいいにしても、特進クラスの那月は毎日勉強で大変だと思う。こうして私といてくれたり、毎日一緒に帰ったりしてくれて、それだけで嬉しかったのにさらにお父さんに変なこと言われちゃって。


「ごめんね。あの、嬉しかったけど、真面目に考えなくていいから」


 つーか、まだ高校生なのに。一体、なに言わせてんのお父さん!


「……まあ、俺、今まだ学生だし、無責任なこと言えないけど」


 でも、と言って、那月はフッと笑った。


「天音がファッションで世界行ったとき、一番に写真を撮れるよう、そばにいたいって思ってるよ」


 私の夢、知っててくれてたんだ、とか。

 そんな衝撃、どっか吹っ飛んじゃうぐらいの言葉が心臓えぐった。

 ぽかんとしてんだろう私の顔を、おかしそうに笑った那月がほっぺ撫でてきた。あぁ。どうしよ。酸素足んない。


「天音?」

「好き」

「え」


 なんなのもう。なんで那月は私に、なんの前触れもなく『好き』を思わせんの?

 私ばっかり『好き』の再確認させられてるかんじ。


「那月、好きだよ」

「…………うん。俺も、天音が好き」


 照れ臭そうに、じわじわ赤くさせた顔に微笑みを乗せて、那月が大切そうに『好き』を言うから。私だけじゃ、なかったのかも。


「天音」


 げほん、と咳払いひとつ。あ。


「席につきなさい」

「………………はぁい」


 ぱっと離れたほっぺの手。なぜか真っ赤な顔してそそくさとまキッチンに消えるお母さん。エプロンで顔隠すとか、なにそれ可愛すぎか。


 それから、張り切ったお母さんのおかげで、テーブルに乗り切らないほどの料理が出てきた。

 那月は出されたものを片っ端から全て平らげて、食べろと強要してたお父さんは、逆に食べ切れずに途中退場した。

 いろいろあったけど、やっぱ、久しぶりにみんなで食べれて楽しかった。




 ♯




 夜の涼しい匂いが、ドアを開けた瞬間吹き抜けた。

 駅まで送るって言ったのに、丁重にお断りされたから玄関先でお見送り。なぜ。


「今日はありがとう」

「いや、ほんとご迷惑おかけしました」


 お母さんの料理を全部食べて、もちろんビーフシチューもパンも食べ、その上ご飯もお母さんに言われるがまま、お代わり五回ぐらいしてた。大丈夫なの。平気な顔してんだけど、胃袋どーなってんの。


「ねえ、天音」

「ん?」


 家の門の段差を降りてるから、いつもより低めな視線。それでもまだ私を見下ろすんだから、どれだけ身長あるんだろ。


「もし、ひとりでご飯が寂しくなったら、いつでも俺のこと呼んでよ」

「えっ?」

「そーじゃなくても、俺の家にいつでもおいで。母さんも姉さんも喜ぶし」


 那月の細い目が、柔らかく笑った。

 今日の那月は、よく、笑う。


「俺、天音と一緒にご飯食べれて、今日は嬉しかった」


 ……っそんなの。


「うん」


 私の方が、嬉しかった。


「それじゃあ、おやすみなさい」

「……おやすみ」


 カチャン、と金属音がして門がしっかり閉じられる。那月はそのまま駅の方へと歩き出──そうとして。


「あ、忘れ物。天音、ちょっと」

「な、なに?」


 手招かれるまま寄ってって。


「っ!?」


 キス、された……。


「バイバイ」


 ……バ、バイバイ、じゃないよっ!

 ちょ、な、は、はぁ!?

 ふふふ不意打ち!なんなの!?私の心の準備はぁ!?


 ……ってゆー心とは裏腹に、脚が保たずにへたっと座り込んでしまった。

 あぁ、もう……。

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