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57枚目



 お父さんが家の鍵開けてる、その背中見てふと思い出した。


「夕ご飯、そーいえばお父さんが作ってくれてたビーフシチューあるよ」


 そう言ったら、お父さんがゆっくり振り返って瞬きした。


「食べなかったの? おいしくなかった?」


 いや、なんでそーなんの。まさかそんなわけないでしょう!お父さんは知らないだろうけど、私、お父さんのご飯残したこと一度もないんだからね。嫌いなピーマン入ってたときも、お父さんが作ったのは食べたんだからね!


「その日にストーカー来て、それで──」

「あぁ、そうか。それじゃあ今夜はビーフシチューにしよう」

「うん! じゃあ私があっためとくからお父さんは片付けしてていいよ」


 開けてくれた玄関に入ろうとして、はたと立ち止まった。そんで、くるっと後ろ向いて那月に道を開ける。


「どうぞ!」


 那月がはじめて私の家に入るとこ、見とかないと。お父さん、なんか言いたげな目ぇしてるけど、なに?


「……お邪魔します」

「うん!」


 高い背中に続いて私も入る。

 キチンと靴を揃えて脱いだ那月のあとを慌てて着いてって、一瞬迷ってからリビングに案内した。


「ソファでもテーブルの椅子でも、好きな方使って! あ、スクバ持つよ?」

「重いから大丈夫だよ」


 あ、教科書がいっぱいなんですね。わかりました。


「じゃあ、ここ置かせてもらっていい?」

「いいよ。あ、席はね、私はいつもここ座ってんだけど、お父さんもお母さんもテキトーだから好きなとこで大丈夫だよ」

「……そっか。じゃあ、天音の隣、いいかな?」

「うん!」


 よっつある椅子。今日はよっつ全部埋まる。こんなこと、はじめてかもしんない。

 ちょっと嬉しくなってきた。


「天音、制服着替えてきなさい」


 お父さんが、いつの間にかリビングに入ってきてた。そーいえば、私まだ制服だった。


「……お父さん、那月に変なこと言わないでね」

「うん、わかったから」


 ほんとかなー。お父さん、真面目な顔しておかしなこと言うからな。なるべく早く戻ってこよう。




 ♯




 パタパタと、軽い足音が遠ざかっていって、急に静かになったリビング。


「那月くん、と呼んでも差し支えないかな」


 ひた、と見つめてくる黒い目に変に緊張してくる。あ。天音が二重なのはお父さん似なのかな。


「はい」

「そうか。では、那月くん。座って天音を待つとしようか」


 そう言って、天音がさっき「自分の席」と言ったとこの斜め前に座った。

 ……つまり、前に座れとそーゆうことか。

 大事な一人娘が、自分の留守中に男つくってきたんだ。心配して当然だし、しかもストーカー騒ぎで帰ってきたんだから、余計だ。


 天音、いつもはこの広い家にひとりなのか。

 両親の席が決まってない、てことは小さい頃からそうだったのかもしれない。お母さんが帰ってくるって聞いたとき、驚いてたしな。


「……失礼します」


 黙って見ていたお父さんは、俺が座った瞬間、さて、と切り出してくる。


「君はね、天音の五番目なんだよ」

「え?」

「いちばんはじめは小学校六年生のとき」


 なんのことかわからない俺を置いて話を進めていくお父さんは、その長い指を一本折った。


「まあ、初恋は実らないと言うからね。ほんの三日ほどで別れてしまって。あれを入れないとしたら、四番目となるのか」


 ……天音の、過去に付き合った男の数か。

 小六からか。早いな。しかも三日。


「次は中学校一年生のときだった」


 一本、一本、指を折ると同時にあがる名前。おそらく、その男たちの。


「その後の、二年生のときがいちばん続いたね。結局、あの少年も天音の顔だけが目当てだったらしいが」


 そして、と四本目の指を折るときに「浅間蒼」と名前が出てぞっとした。

 この人、なんで天音の情報そんなに握ってんだ?いくら娘のことだとしても、しかも普段は家にいないってのに、んな細かいことどっから仕入れてんだ。


「天音はあまり人を──いや、男を見る目がないようでね。女友達には恵まれているようなんだが、男になると全く駄目なんだ」


 あぁ。あの、天音のクラスメイトの三人組。かなり騒がしいけど、みんな天音のこと好きらしいし、天音もそう思ってるって見ててすぐわかった。

 雪村さんもそうだけど、天音の周りはいい子が多い。


「だからね、僕は天音にはいつかお見合いをさせてあげようと思っていたんだ」

「……お見合い?」

「うん。傷つくことも大事だが、天音はあまりにも傷きすぎた。それでもめげないのは、強く育ってくれて僕としてはとても嬉しいことだけれど」


 だからね、と最後の指がゆっくりと折られた。


「君が五人目だろうが、十人目だろうが今さら驚かない。ただ、天音を必要以上に傷つけるのだとしたら、傷が浅いうちに手を引いてもらいたいんだよ」


 強い目だった。

 同時に、娘を本気で愛してる父親の目でもあった。

 だから、息を呑むことも間を置くこともせずに、折られた小指に手を伸ばした。


「俺は、最後です」


 掴んだそれを、折られたときと同じようにゆっくりと引き上げる。


「天音を幸せにする、最後の男です。今までのがどうだったのか知りませんが、俺は、天音のことを丸ごと全部、好きなんです」


 再び四本に戻った、折られた指。

 無表情に向けられる目に負けないように、俺も真っ直ぐに見つめた。


 やっと、手に入れたんだ。


 はじめて本気で好きになった。本気で欲しいと思ったんだ。ここで、過去になんてされてたまるか。


「………………そうか」


 長い沈黙の後、こぼされた吐息のような言葉と、微かな、笑み。

 すっと抜かれた小指は、もう折られることはなく、他の指と同じように開いてテーブルに置かれた。


「天音に諦めさせるのが大変だと思ったが、どうやら心配いらなかったようだ」


 やっぱ、さっきの「手強い」ってそーゆー意味か。危なかった。


「あぁ、そろそろ降りてくるかな」


 ふと、お父さんがリビングのドアを見たとき、ちょうど軽い足音がして。


「お母さんの足音!」


 可愛い歓声も聞こえた。


 足音……?

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