53枚目
「おい、どこ行った?」
「見失った!」
「チィッ。もたもたしてんな!」
「い、いや、でも、向こうなんかこの辺知ってるっぽくて──」
「男がぐだぐだ『でも』とか言い訳してんじゃないわよ死ぬ気で走れ役立たず!」
再びチッと聞こえた舌打ちに、明後日の方を向く私と、糸目見開いて固まる那月。
目の前には真っ黒なオーラを纏わせた乃々子さまと、可哀想なくらい小さくなってる悠くん。
学校から帰ってきた悠くんは、私の家のドアに人影を見つけたらしい。はじめ私かと思って声かけたらその人影が慌てて走って逃げたから、悠くんも思わず追いかけたって。
だから音しなくなってたのか。いや、それよりも。
「悠くん、危ないよ。追いかけるなんて、もしナイフとか持ってたらどーすんの」
思わずってなんだ。
しかも、エナメル放り出してまで。未だに足元のコンクリートには中身が少し飛び出てるバッグが転がってる。しっかりチャック閉めといて。
「まあ、そんときはそんときで殴るだけだよ」
けろっと言いのける、そういえばこの子もあの兄妹の弟だったわ……。
「それより、ごめんね天音ちゃん。俺、捕まえらんなくて」
「いやいやいや、そんなことしなくていいし謝んないで! むしろ私が悠くんにありがとうだから!」
「天音が許してもあたしは許さないからな」
ちょっとのんこさん。許すとか許さないとかそんな話でしたっけ!?悠くんなにもやってないでしょ!
「天音ちゃん」
ガチャ、と向かいのドアが開いて、中から佳代ちゃんが電話片手に顔だした。
「警察に電話したからね。すぐ来てくれるって」
「ほんと、ご迷惑おかけしました……」
「なに言ってんの。天音ちゃんが無事でよかったよ。……で、悠は犯人の顔見たの?」
「…………見えなかった」
「そこは見ときなさいよ。天音ちゃんが安心できないでしょう」
いや、なんでみんなして悠くん責めてんの?待って悠くん可哀想だよ、追いかけるまでしてくれたのに!
「あっ、けど、男だった。茶髪の、俺より背ぇ低いかんじの」
……茶髪で、背が低い?そんで、この辺に詳しいって。
あれ、待てよ。確か神谷って茶髪で……。
「ついでに小夜ちゃんに電話したら、すぐにでも帰るって言ってたよ。清志さんにも連絡して帰らせるように言うって」
「えっ!?」
か、帰ってくる?
お母さんが?お父さんも!?嘘でしょ無理でしょどーやって!?
だって、お母さん今なんかどっか海外、イギリスだかフランスだか行ってるじゃん!お父さんだってこないだ帰ってきたばっかで忙しいんじゃ……。
「清志さんは明日には帰ってくるらしいから安心だね」
嘘だろおい。
お、お父さんに直接会うのなんて何ヶ月ぶりだろう。結局今までも帰ってきた形跡だけで、姿は見れてなかった。お母さんにいたっては半年ぐらい会ってないんじゃなかろうか。
「ま、とりあえず今日はウチに泊まりなさい。……で、彼どなた?」
腕組みした佳代ちゃんがこてりと首かしげた。その視線の先には那月が。
「彼氏だよ」
「誰の? のんの?」
「は? 違うから。誰がこんな糸目を彼氏にすんのよ」
のんこさん、それ、その言葉、私に深々とブッ刺さってませんかね。しかもこんなのって、ちょっと。那月はカッコいいし優しいし、もしも私がこんなに美少女じゃなかったらほんと、もったいないくらいの人なんだからっ!
「ふぅん、なんだ。あの金持ちと別れちゃったのかと思っちゃった。のん、あんたちゃんと捕まえとけば、将来安泰だよ」
佳代ちゃん、身も蓋もない……。
「こんばんは。九条那月です」
「こんばんは、乃々子の母です。背ぇ高いわね、ウチのふたりといい勝負なんじゃないの」
上から下までたっぷりと見た佳代ちゃんは、なにになのかよくわかんないけど、うん、と納得したようにひとつ頷いた。そうして、にこっといつもの笑顔を浮かべる。
「天音ちゃんはね、私の娘みたいなもんだから。今日はちゃーんと守ってあげるから安心しなさい」
む、娘……。
うわ、目の前滲んできた。
「天音?」
ちょっとやめて。ぽんぽんってしないで。ガチで泣いちゃう。私今日は涙腺めっちゃユルいんだから。
「守ってあげらんなくて、ごめんね」
「えっ。そ、そんなこと……。だって、来てくれたし、電話しててくれたし」
嬉しかったし、すごく安心できたもん。那月がいなかったら絶対、どーにかなってたもん。
でも、ほんとに、誰だったんだろ……。なんのために?のんこが言うように、マジでストーカーとか?
私の可愛さを妬んで……、は、ないか。男だもんな。
「明日の朝、迎えに来るよ」
「えっ!? いやいや、待っていいよ!」
「一緒に学校行こう」
聞いて!
帰りはまあいいとしても、朝って!何時に起きるつもりなの!?
「天音と直接一緒にいないと、いろいろ考えちゃって俺が気が気じゃないんだ」
「っ!」
ゆるゆると頭なでられた。
上から、心底ホッとしたような、そのくせすごい不安そうな目で見られた。
「無事で、ほんとに、よかった……」
はあぁ、と深いため息を吐かれて、思わずその制服のシャツをつかんだ。
「那月」
「うん」
「ありがとう」
「うん」
そのままするっとすべった手は、背中に回されてゆったりと抱きしめられた。那月の心臓の音、聞こえる。汗も息も落ち着いたみたいなのに、それはまだ早いまんまだった。
それが、ちょっとだけ嬉しかった。
「……邪魔しちゃって悪いんだけどね。警察来たよー、天音ちゃん」
「あっ」
はっとして見れば、佳代ちゃんとのんこ、悠くんだけじゃなくて、警察官の人たちにまでこっち見てた。
か、完全に忘れてた。
慌ててそっち行けば、すぐ後ろから那月がついてくる音がして、今更ながらすごい恥ずかしくなってくる。私、思いっきりおでことか那月に押し付けてたんだけど、ヤじゃなかったかな……。
「あ、天音ちゃんっ!」
ふいに、ぐいっと腕を掴まれた。悠くんだった。けど。
「悠、あとにして」
「あ、姉貴! だって!」
「男が『だって』とか言うんじゃない」
だってぐらい、言わせてあげてもいいでしょうが。悠くん、私になんか話あったんじゃないの?
「くっそ」
悠くんはそう言って、悔しそうに那月を見上げた。そうして、のんこよろしく小さく舌打ちまでこぼした。
うん。まあ、この姉あってあの兄あっての悠くんだからね。驚きはしないけど。最近、雪村家のイメージがどんどん崩れてっちゃいそうで怖いです。




