46枚目
えぇっ……とぉ……。
「つ、つまり……?」
女はいたけど……、彼女はいたことない?
それって、え、どーゆーこと?
「つまり──」
言いにくそうな、気まずそうな表情。
つぅっとそのこめかみを伝うのは、それ、汗ですか?
「つまり、天音に会うまでは、その、いわゆるセフレの関係の人が……、いて」
セ、フレ……。
「姉さんに言われて、勉強とカメラに手ぇ出したのはそうなんだけど……、」
ソッチ方面にも手ぇ出したってことか。
那月の緊張はピークに達したのか、それっきり黙ってしまった。青ざめてるように見えるのは、私の錯覚だろうか。
「……水、飲まなくてすんでたの?」
「えっ? あ、あぁ……、うん」
まさかそう訊かれるとは思ってなかったって顔。そういえば、写真部の人たちが那月はモテるって言ってたもんな。まぁ、別にいいんだよ。
「那月って、ハジメテじゃ、なかったんだ」
「…………」
「ちなみに、今まで何人と?」
「………………ごめん、覚えてない」
……サイテーな男なんだろうな。一般的に言って。でも、那月に抱いた感情は嫌悪感じゃなかった。嫌うなんてのでもなかった。ショック?とも違うわ。悲しくもないし。
なんか、なんか……、悔しい。
私の知らない那月を、那月の全部を、知ってる女の人がいる。しかも、たくさん。
それが、悔しかった。
「橘さん……」
橘さん、でも呼ばれて嬉しかったのに、今は全然そんなことない。
「名前」
「え?」
「天音、って呼んでよ。那月」
立ち上がるのも回り込むのも煩わしくて、目の前のテーブルをガッと横にずらす。
障害物のなくなった距離を詰めた。同時に、一気に湧き上がる感情。
那月は、私の。
真っ直ぐ那月の目を見て、膝立ちの状態でその肩に手をかけた。
少し下にある那月の顔。いつもだったらありえない位置の目線。驚いた顔して固まってる、その様子がおかしくて、思わずくすりと笑みがこぼれた。
もう片方の手を那月の頬に添えて、目を閉じて、唇を、寄せた。
そっと、重なる。
やっぱり、那月とのキスは、柔らかくて温かくて甘かった。
「……天音」
小さな、微かな声。
離れようとしたのを、首の後ろに手をやられて逆に引き寄せられた。
もう一度重なった。
でも、それだけじゃすまなかった。
ちろり、と那月の舌に舐められて、薄く開いてた私の唇の間に入ってくる。
「っ」
びくっとして、那月の制服をぎゅっと握ったら抱き寄せられて、心臓の音が聞こえるくらい密着した。すごい、ドキドキしてる。私も、那月も。
頭ん中が真っ白になって、ぼんやりしてるようなわけわかんない感覚。必死にしがみついてないと、どっかに落ちてっちゃいそうで。
「……ンッ、ふ、ぅ……──」
がくん、と膝が崩れた。
パッと離れた身体と、那月のびっくりした顔。
「──!? ご、ごめんっ!!」
次いで、さぁっと顔色が変わった。さっきの青ざめてるのとは違う、ほんとに真っ白な顔色。え?
床にぺたんと座って呆然と見上げてたら、制服のシャツを下に引っ張られた。
「そんなつもりじゃなかったんだけど手が勝手に……、いや、ほんとごめん!」
そう言って、差し出されたのは私のリボン。
一瞬の間の後、思わず首元に手ぇやったら、ボタンが第三まで外れて、カーディガンにいたっては全部外されてた。スカートん中にしまってたはずのシャツの裾も完全に出されてる。
え、いつ……。いや、てか手が勝手にって、え、勝手にとかいうレベルじゃなくないこれ?
「き、聞きたいこと、あったんだ……。ネックレスあげたときから様子が変だったから……、どうしたのかと、思って」
焦ってるのか、言葉が全てどもりまくってる。いや、あの、びっくりしたけど、別に気にしてないっていうか。
えーっと、えっと、ネックレスね。あの日やたらと心配そうにしてくれてたのは、バレてたからだったのか。楽しそうにしてたつもりだったんだけどな。実際、ほんとに楽しかったし。
「……そんな、わかりやすかった?」
「うん、まあ。長谷川たちは気づいてなかったみたいだけど」
あ、そうなんだ。
じゃあ、よかったかな。いや、よくない。那月にはわかっちゃってるし、今気にされてんじゃんか。
「俺は、天音のことをいろいろ知ってるけど、天音は、俺のことをほぼなにも知らないでしょ」
うん。知らないけど。それよりもその「いろいろ」ってゆーのが気になるんですけど。
……ストーカーって言ったな、この男。私、その間変なことしてなかったろうか。
「俺のことを知ってもらって、それでも、天音が俺を好きでいてくれたら、聞こうと思ってた、ん、だけど……」
あっ。
ちょ、やだやめて赤くならないで!
いまさらながら、私まで恥ずかしくなってきた。その場の感情に流されたとはいえ、なんてことしちゃったんだろ……!自分からキスするのなんてはじめてだったし!!
「……」
「……」
沈黙、気まずい。
「あっ、あの、その、ネックレス!」
耐えらんなかった。
顔なんて上げらんなくて、ひたすらに自分の膝を見つめてたら、私のリボンがまだ那月の手の中にあるのに気づいた。
わあぁぁ……。
やばい思い出したら、那月の唇と一緒に舌の感触まで思い出し──ッ!!
「たたた大した理由なんかないんだけどっ! その、今まで元カレに、付き合いはじめてすぐにネックレスとか指輪とかもらってて、それでその……、な、那月にも、捨てられちゃったらどーしよ……って、思って……」
あれ。
私あのときそんなとこまで考えてた?ネックレスもらって、元カレのこと思い出しただけじゃなかったの?
「……なんだ、よかった」
「へっ?」
「もっと大変なことかと思ってた」
よ、よ、よかった!?
はあぁぁぁっと、心底安堵したみたいなため息。え、なんで?なんでそんな結論!?
「だって、俺が天音を手放さなきゃ、なんの問題もないんでしょ?」
…………。
「紅茶、冷めちゃったから新しいの持ってくるね」
パタン、と扉の閉まる音が聞こえてから、また開く音がするまでぽかんとしてたのは、那月には内緒。




