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30枚目

 


 ──────



 夕日もすっかり沈んだ帰り道。

 今までの騒がしさが嘘みたいにしんとして、人影ひとつ見当たらない。

 長谷川くんによって、いとも簡単に泣き止んだ綺杏が落ち着いたあと、ちゃんとしっかり「遊びに行こう」って言ってあげた。

 結局、また泣かれた。

 長谷川くんはそんな綺杏を腰に引っ付けて笑顔で帰ってった。明るいそれが、那月に聞かされた話のあとだと歪んで見えるから、ほんとに、もう……。

 世の中、知らなくていいことはたくさんあるよね。


「……あー、じゃあ帰ろうか」


 学校の明かりに照らされた那月の顔が、どことなく気まずそうで、こっちまでそわそわしてきちゃう。前、一緒に帰ったときはなんともなかったのに。


「……」

「……」


 で、沈黙。


 こないだなに話してたっけ?あれっ。

 ちょっとどうしよう。話題!話題なにかない!?


「え、えーっと、あの、こ、こないだも駅まで送ってくれたけど、電車乗らなかったじゃん? この辺に住んでんの?」


 ……我ながら、なんとも微妙な話題選び。これじゃ、綺杏のこと言えないな。


「うん。学校から歩いて五分弱くらいかな」

「近っ」


 ガチでこの辺じゃん!

 え、いいな!私なんて一時間以上かかんのに!


「中学が遠くてダルかったから、高校は絶対近いとこ入ろうと思って」


 あ。

 そんな理由で学校選んだんだ。それで特進クラスか。入るとこなくて、やっとのことで高校見つけた私とは全然違うわー。


「……って、じゃあ、駅まで行ったら家過ぎちゃってた?」


 学校から駅までは、面倒くさいことに、十五分くらい歩かなきゃなんない。家まで五分弱ってことは、確実に通り過ぎてるよね。


「んや、過ぎてはない」

「そんなはずないでしょ」


 気ぃ遣ってくれてんのかもしれないけど、私だってそれぐらいの計算はできる。


「家、学校裏の方だから」

「えっ」


 学校裏?まじか。

 え、それって、過ぎたどころの話じゃなくて、真逆の方向!かなりの遠回りになってんじゃん!


「ほら、学校裏にあるケーキ屋、知らない?」


 学校裏のケーキ屋さん?

 なんか、聞いたことあるフレーズ。なんだっけ。


「…………あ。長谷川くんが言ってた?」

「長谷川?」

「那月と帰った日、長谷川くんと綺杏が美術部の片付け手伝ってくれたんだけど、帰りに学校裏のケーキ屋さんに突撃するって」


 じゃなくて、遠回りさせたこと謝んないと。しかも今日もフツーに駅方面歩いてるけど、さすがにちょっと申し訳ない!


「あの、那月──」

「あー。そうだ、来てたわ。閉店だっつってんのに居座る迷惑な客がふたり」


 記憶を探るように斜め上を向いてた那月から漏らされた、ちょっと違和感ある言葉。

 来てた?閉店?客って……。


「……那月?」

「ん? あ、ごめん。なに?」

「もしかして、那月の家って……ケーキ屋さん?」

「うん。母親が店開いてんだ」


 そうなんだ……!


 え、いいなぁ!

 家がケーキ屋さんって、なんだそれ!最高じゃん!


「毎日甘ったるくて迷惑この上ない」


 えぇー。

 幸せじゃないですか!


「甘いもの、嫌いなの?」

「嫌いってわけじゃないけど、好きでもない」


 そっかー。

 んー、じゃあまあ別に嬉しくもないかも。


「橘さんは、甘いもの好き?」

「うん、す──」


 き、だね。そうだ。

 ピタッと止まった私の口に、訝しげな表情で覗き込んで来ようとした、その腕をぐっと掴んだ。


「えっ。うわっ」


 頭上の驚いた悲鳴を聞き流して、引き寄せたそのブレザーに鼻を寄せた。

 たぶんきっと、香水は付けてないから那月自身の匂い。水みたいに爽やかなのに、どこか甘い、皮を剥いたら果汁が滴る桃みたいな、そんな香り。だけど、家がケーキ屋さんで納得。甘い匂いはケーキの匂い。ケーキは私の好きなもの。


「た、橘さん?」

「んー……」


 男の子って、みんなシトラスとかグリーン系の香水つけてるか、こうやって甘い香りがすんのって、なんか不思議。しかも、香水じゃないってとこがまた……イイ。ずっと嗅いでてもいいぐらい。


「…………ねえ、天音」


 すうっと息を吸い込んで、鼻先を肘上あたりにくっつけた、そんな状態で固まる私。

 ……名前を、使い分けてるのは、なんなんだろう。突然呼ばれても準備できてないんだけど。心の。


「手、繋いでもいい?」

「手。……えっ。えっ?」

「……駄目?」



 「駄目?」……って。なにその可愛い口調。

 いやいやいや、ダメなんてことないけど。絶対にないけど。

 ないけど……。


「手、なんて、繋いだこと、ない」


 思い返せば、今までのカレシと手ぇ繋ぐ、なんてことしてこなかった。


「へぇ……」


 ……またその、嬉しそうな顔。

 なんで?

 別れた話ししたときも、おんなじ顔してましたけど、一体なんなわけ?そんなに私の不幸話が楽しいですか?


「じゃあ、俺が天音の手の『初めて』だ」


 は……っ、じ、めて……。

 反応できない私の、腕掴んでた手を逆に取られてしっかりと、握られた。


 う……わぁ……。


「…………那月の掌、大きい」


 私の手なんて、あっという間に隠されちゃう、男の子の手。それに、私のと違ってめっちゃあったかい。


「掌?」

「うん。指は、長いなぁとは思ってたけど」

「そっか」

「うん」

「橘さんは、小さくて柔らかいね」

「そ、う? 柔らかい?」

「うん。ケーキのスポンジみたい」

「……それはないと思うけど」

「そう?」

「うん」


 ──あぁ。


 駅、もっと遠かったと思ったんだけど。

 煌々と輝く光を、こんなに残念な気持ちで見たことなんてなかった。手を繋いでもらってから、ほんの少ししか経ってない。


「……じゃあ、」

「ね。家まで送ってったら駄目?」


 離そうとした手が離れなかった。

 再び繰り返された「駄目?」に全く了承取る気がない。言いつつ、改札口に向かってる。


「え、ちょっとちょっと、待って!」

「なに?」

「いやなにって、だって、こっから一時間くらいかかる、し」


 ……あ。


 身長差のせいで、私を見るときちょっと俯く那月。その前髪が、ちらりと目にかかって影作ってる。それ見てるとなんか……、なんとも言えない気持ちになるのは、なんでだ。


「俺が離れたくないから。ちょっと我儘、つきあってよ」

「ッ!?」


 いや、もう、ほんとなんか、もう……、そーゆう不意打ちやめろよ!

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