25枚目
やばい。
息がもう切れてる。限界。
もはや、自分の足なのに自分で動かしてない。
「く……、くじょ、く……」
「えっ? ……あ、ごめん」
血を出すんじゃないかってぐらいの喉から無理矢理吐き出したのは、とんでもなく聞き取りにくい九条くんの名前。
そんなのでやっと止まってくれたけど、足、ガクガクしてる……っ。
「あー、ごめん。体力、なかったんだね」
おい! 事実だけども!口に出すな!
って言いたいけど、生憎と私の喉にそんな余裕は1ミリもない。なんで九条くん涼しい顔してんの?あんたも文化部でしょうが!
「さっきの、浅間蒼、だよね」
「えっ? ……あ、あぁ……、うん」
浅間蒼。
なんで知ってるんだろ、九条くん。
てか、蒼の顔、久しぶりに見た。こないだまで、近くで毎日毎日見てたのに。
手をつないで、しゃべって、好きって言って──。
『好きだよ、天音』
とろけるようなあの声で。
言われたそれを思い出しちゃった。
蒼は、蒼はさっきなんで「やり直そう」なんて、言ったんだろ。隣に前島千亜紀がいたのに、どうして。
「橘さん?」
ううん、ほんとは理由なんかわかってる。だってほら、目の前がぼやけてきたもん。焦ったような顔した九条くんに思わず俯いた。
優しい九条くん。視界の中で骨ばった手が私の方へ伸ばされようとしたのが見えたから、急いで口開いた。なにも考えないで。
ただ、その手を止めたいだけだったから、言うはずのなかった言葉が飛び出した。
「は、はじめてだったの」
「え?」
戸惑った声。困らせてる。余計顔なんか上げらんなくて、でもそうすると足元にポタポタ落ちてくから、もう涙隠すどころかおもいっきりバレてる。
どうしよ。止まんない。
「可愛いとか、言われ慣れてた。みんな言ってくれるし、私だって自分に言うし」
それは、言っちゃえば、挨拶みたいなものだった。だからみんな簡単に言ってきて、私も簡単に応じてた。
「私を可愛いって言ってくれる人が好きだった。そう言ってもらえてる自分も好きだった」
可愛いのはすでに知ってる事実だけど嬉しかった。今までのカレシも「可愛い」ってめっちゃ言ってくれてたから、それで満足だった。
「でも、可愛いのあとに愛してる、って言ってくれたのは蒼だけだった」
心の底が震えた。比べ物にならないくらい、すごく、すごく嬉しかった。
私だけの「愛してる」で、蒼の言ってくれる「可愛い」は特別になった。
──でも、それは偽りだった。
私にとっては大切な、確かな重みのある言葉。
蒼にとっては口から勝手に溢れるような、軽いもの。
『天音ってさぁ、重いんだよね。そのくせヤらせてくんないし。もうみんなに自慢し尽くしたし、あとは疲れるだけってゆうか』
深いため息は別れる直前のもの。
今でも耳にこびりついてる。告白されたときの言葉は、はっきり覚えてないくせにね。
「私は、重い女なんだって」
蒼の「愛してる」を嘘なんて思いたくなくて、別れた理由を私のガードが固すぎたからだって思ってて。ただのアクセサリーだった、なんて、認めたくなかった。
やっと止まった涙。代わりにへらっと笑ってみたけど、なんか上手くいかなかった。
あーあ。可愛くなーい……。
てか、なんで私こんなこと話してんの?これこそまさにめんどくさい女じゃん!
あっ、ちょっとやばい!同じ過ち繰り返してどぉする!
「ごめん! やっぱ今のな──……、なに?」
見上げた顔はなんか難しい表情で、どことなく不機嫌なのは……気のせい?
「く、九条くん?」
「橘さん」
「あ、え、なに?」
橘さん……。
いや、別に名前呼びが嬉しかったとか、そんなことじゃないけど。うん。
「それ、アイツに言われたの?」
ん?
それ?アイツ?
っていうのは……。
「私が重い女だ、ってことを蒼──あ、さまに?」
名前で呼びそうになっちゃった。
あぁ、早く慣れないと。この特権はもう前島千亜紀のもの──。
……あのあと、どうなったろ。
前島千亜紀、完全にそ──浅間から離れてたけど。別れればいいなんて、そんなこと思ってないけど。気になっただけで別に深い意味はないけど。
って。
「九条くん、顔怖いけど」
ふと気付いた。
なんでそんな睨んでるの?え?私、九条くんに睨まれてる?え、これ私?
「元からだよ」
嘘だろ。そんなわけないだろ。
え、なになに?なんか、気に触ること言っちゃ──いましたよね!
「ご、ごめんね? やっぱ、話題暗かったよね! 忘れて!」
って言ってんのに、九条くんの表情は変わんない。うん。言ったこと消せないのはわかってるけど。
迂闊だったわ。口が滑ったんだよ。こんなこと、ほんとに言うつもりなかっ──、
「じゃあ、橘さんのこと愛してるって言ったら──、俺のこと、好きになってくれんの?」
「…………………………はい?」




