第5話
流れ星に願いをかけてみた。ひとつ、またひとつ、夜空に消えていく星達に、僕の声は届くのかな……。
「ねえ、どこ行くの?家に帰りたいんだけど」
僕達に残された時間はあと僅か。本心を言ってしまえば、一分でも1秒でも長く側に居たかった。
強引に腕を引かれる僕は、不平を口にしながらも、心の中ではこの状況を喜んでいた。何も言わず、先に帰ってしまった僕を追い掛けて来てくれたリュウの態度が嬉しかった。
「黙ってついて来い」
腕を掴んでいた手が離されると、そのまますっと差し出された。 僕は黙ってその手を取ると、リュウの大きな歩幅に遅れない様に、少し速足で歩いた。
「本当はまた、あそこに行きたかったんだけどな」
リュウの視線の先には、大晦日の晩を過ごした山の影が、闇夜にぼんやりと浮かんでいた。
僕達が立っているのは、住宅地と農地を繋ぐ道の端。辺りに遮る物など何も無いから、星空と大地の境目を見つけるには、山の端を探すしかない。 時折風が吹き付けると、さわさわと枯れ草を揺らす。その音に耳を傾けながら星空を見上げれば、広い海の中を漂っている様に思えた。
「また願い事?」
「ああ」
「でも……叶わなかったよ、僕のお願い」
「俺の願いは叶ったぞ」
そう言うリュウは、繋いだままだった僕の手をぎゅうと握った。
「圭太が合格しますようにって祈ったんだ。だから受かっただろ?希望の大学」
星明りの下、語尾を小さくするリュウが悲しげに笑った。
「受かっただけだよ、来週には東京に行かなきゃいけないんだから。それより、リュウは大学……」
「ああ、俺はこれでいいんだ」
「でも」
何かを悟ったような表情のリュウに、僕はそれ以上言葉を掛けられなかった。
「それより圭太は、何を祈ったんだ?」
「僕は……」
それは、口にしてはいけない言葉。 もしも言葉にしてしまったら、お互いに辛くなるだけ。
「こっちの大学に通えるようにって、お願いしたんだ」
僕は嘘を吐いた、リュウに対して初めての嘘を。
「そうだったのか」
残念そうに呟くリュウの言葉が、胸にズキリと突き刺さって……痛かった。
「あ、流れ星ッ」
僕が指差す先に、長い尾を引きながら、一つの星が消えていった。
「あ……」
その星に、僕はもう一度願いを掛けてみた。どうか、この願いを聞き届けて下さいと。
「先に嘘付いたって、どういう事だ?」
僕の言葉に、リュウが怪訝な表情を浮かべた。
「地元の大学に受かるよう、お願いしたって言ったよね。だけど本当は違う事をお願いしてたんだ」
リュウと視線を合わせるのが怖くて、僕は俯いたまま告白をした。
「僕、ずっとリュウと一緒に居たいって……お願いしたんだ」
「圭太?」
一度堰を切ってしまうと、言いたかった事、言えなかった事が、次から次へと溢れてくる。
「でも……叶わなかった。本当は、東京なんて来たくなかった。僕はリュウとずっと一緒にいられればそれで良かったんだ」
――ギシッ。
ベッドの軋む音がしたかと思うと、床に座る僕の隣に、リュウが腰を下ろした。
「顔、上げろよ」
抑揚のないリュウの声からは、感情を読み取る事が出来ない。不安な気持ちのままゆっくり顔を上げると、射抜くほどに真っ直ぐな瞳とぶつかった。
「そんなに嫌か?ここでの暮らし」
眦のすうっと上がった黒い瞳が、僕の心の中を見透かすように細められた。
「嫌だ、スゴク嫌だ」
「だろうな。随分疲れてるみたいだし……痩せたな」
伸ばされた指先が、余り肉の付いていない頬を軽く撫でて、摘んだ。
「叶えてやるよ、お前の願い」
「え?」
やさしく髪を撫でられると、弱っていた心が、リュウに助けを求めてしまいそうになる。
「それってどういうこと?」
「俺の家はさ、弟達もいるだろ。それに、親父はあんなだし、お袋一人の稼ぎで俺を大学に…なんてのは、初めから無理な話だったんだ。 誰かが家を支えなきゃ、俺が働かなきゃ、一家揃って路頭に迷っちまう。そう思って就職したんだけど…やっぱり諦め切れなかった」
髪を梳いていた手が、頭の丸みに沿って撫で下ろされ、そのまま頬に添えられると、どくん、鼓動が速まる。
「下の弟が高校卒業するのを待って…受験したんだ」
「それって…」
思いもかけない言葉に目を瞠ると、僕を見詰めるリュウの顔が、ふっと綻んだ。
「今、大学に通ってる。しかも圭太の後輩だ…」
「う…そ…」
「本当だ、なんなら学生証見せるぞ」
そう言って、ジーンズのポケットからお財布を取り出すと、カード類の間から学生証を抜き出して見せた。
「ホントだ…」
カード型の学生証には、硬い表情のリュウの顔がプリントされていた。
「ふふ…悪人顔」
「何だよそれ、男前に写ってるだろ?」
学生証の写真は、大学入学時のものらしく、目の前に居るリュウよりも、少しだけ幼い表情をしていた。
「今…3年生なの?」
「ああ」
「コッチに居るなら、何で連絡…って、知るワケないか…」
夏休みとお正月、帰省するたび僕は、リュウの家の近くまで出向いていた。
しかし、顔を合わせてしまうと、二度と東京に戻れない気がして、結局一度も顔を合わさず、ここまで過ごしてきた。
もちろん、リュウに東京の連絡先を教える事もしなかったし…。
「そりゃ知ってるよ。おふくろさんてさ、圭太の事なら、聞けば何でも教えてくれるからな…」
からかう様に笑うリュウ言葉につられて、僕も笑った。
「でも、母さん何も…」
「自分の息子以外、興味ないだろ?」
「ふふ、良くも悪くも、そういう人だね…。でもさ、知ってるなら何でもっと早く…」
問いただそうとする僕の口元を、リュウの指先がそっと制した。
「社会に出て、きちんと稼げるようになったら逢いに行こうって決めてたんだ。だけど待ちきれなくてさ…。お前の会社の近くにあるあの店で、バイト始めたのも、偶然会える事を期待してたからなんだ」
照れ臭そうに笑うリュウに、僕の鼓動が高まる。
「これで…俺の願いも叶ったなあ…」
コツン…。
リュウが軽くおでこをぶつけてきた。
「もしかして…リュウ…僕と同じ事お願いしたの…?」
「いや…」
「それじゃ、何を…」
僕の質問は、優しいキスで塞がれた。
「圭太とこんな事したいって…願ったんだ」
「…う…そ」
「迷惑…か?」
ぶんぶんと大きくかぶりを振る僕の身体を、リュウの逞しい腕が包み込んできた。
「待たせてゴメンな…」
「ホントは、ずっと逢いたかった…」
抱きしめられた胸から顔を上げると、僕を見下ろす凛々しい顔に、愛しさがこみ上げてくる。
そして、もう一度交わしたキスは、お互いの気持ちを確かめ合うように、ゆっくりと続けられた。
「俺が側にいてやるからな…圭太」
長いキスの後に、リュウがそっと呟いた。
「大好き…リュウ」
「俺も…好きだ、圭太」
あの夜、見上げた空は満天の星空で、同じ星を見詰めていた僕達の願いは、一緒だったんだね。
いつかまたあの星空の下で願いを掛けよう…僕達の未来がずっと続きますようにと…。
~完~