第3話
流れ星が消えるまでに、『願い事を三回唱えたら叶う』、なんて言い出したのは一体誰なんだろう。あの夜僕が星に願った想いは、未だに叶えられていない。『そんなの迷信だ』、と思う心のどこかで、いつかその願いが叶う日を待ち望んでいる……。
「リュウ……なんで……?」
真っ直ぐに立っているつもりの身体は、アルコールのせいでバランス感覚が狂い、フラフラと揺れている。
「見りゃ分かるだろ、ココで働いてる……っと」
ぐにゃりと崩れ落ちそうになる身体を、リュウの逞しい腕が支えてくれた。
「お前、酒飲めないだろ?そんな姿で席戻るつもりか?」
最後にリュウの姿を見たのは6年前。 小さな駅のホームに立ち尽くすリュウの姿が、どんどん小さくなっていった光景は、今でも鮮明に覚えている。
「はは、やっぱ分かる?お酒は苦手なんだ。でも付き合いだし、仕方ないよ」
今頃は、気の合う同期同士、いくつかのグループに分かれて盛り上がっている頃かもしれない。社内に友人、知人と呼べる人間が居ない僕が、今更そこへ戻ったところで居場所などある筈もない。僕はあの場所に居てもいなくても同じ、必要のない人間なんだ。
浮かない気持ちで、久し振りに会ったリュウの顔を見上げれば、「なんだ、結局全然伸びなかったな」、などと苦笑しながら、くしゃくしゃと頭を撫でられた。
「うん、僕は何も変われなかった。でもリュウは……随分変わったね」
リュウの大きな手、やさしい声、目を閉じれば、懐かしい感覚が甦って僕の身体を包み込む。
「ああ、高校出てからも背は伸びたからなあ。それに、こんなコトまでしてるしな」
そう言って、頭に巻かれたバンダナを取ると、茶色く染められた髪と、耳に開けられたピアスが現れた。
「なんか……似合わない」
リュウには、茶色の髪も、安っぽいピアスも似合わない。 昔のように、黒い髪をしている方がリュウには似合うのに。
「そうか?これ結構評判いいんだけどな」
などと言いながら、乱れた髪を手櫛で直す姿は、結構様になっていた。
変わってしまった外見と、標準語で話す声に違和感を感じた僕は、そこに、離れていた歳月の間に出来た溝を見付け、激しく心を乱していた。
同じ場所を目指していたはずのリュウ。
先に裏切ったのはどっちだったのだろう?
二人で流れ星に願いを託したあの夜、確かに僕達は同じ場所を見ていると思っていたのに……。
センター試験当日、緊張する僕の手をしっかりと握り、リュウが言った。
「お前なら大丈夫だ とにかく落ち着いて、ちゃんと問題読んでから解くんだぞ」
同じ受験生であるにも関わらず、やけに落ち着いた態度でいるリュウは流石だと思った。そして、試験を前に舞い上がっていた僕は、リュウの言葉を胸に仕舞い込むと、試験会場となる教室へ向かった。
親の期待と自分の希望。 どちらを採るか悩んだまま試験を終えた。
自分の希望する大学は、親の手前≪滑り止め≫という名目で受験し、先に合格通知を受け取っていた。そして、親が希望する大学の合否結果が出るまで、ただひたすら不合格を望んで過ごした日々は、苦悶の連続だった。
それから数日後、合格を記した通知によって、僕の東京行きは決定してしまった。
受験シーズンの学内には、進路の決まった生徒の名前と、合格校の名前が次々と貼り出されてゆく。しかし、僕の名前が貼り出され、後期日程で受験した人の名前が貼り出されても、その中にリュウの名前を見付ける事は出来なかった。
……まさか。
学力に問題の無いリュウが、不合格になるなど想像もしていなかった僕は、貼り出された結果に愕然としていた。
「リュウ、あのさ……受験の結果なんだけど……」
同じ受験生であるリュウに、こんな事を聞くのは凄く勇気が要ったけれど、どうしても聞かずにはいられなかった。
「俺……受験しなかったんだ。その代わり、就職することにした」
淡々と語るリュウの言葉に、僕は言葉を失った。
なんで何も言ってくれなかったの?
一緒に合格祈願したのは何だったの?
僕が問い掛けなければ、就職する事さえ教えてくれなかったリュウに対し、切られた気持ちになった。
ううん、そうじゃない。先に裏切ったのは僕のほうだ。
叶いもしない夢を語っておきながら、結局僕は親の敷いたレールに乗ってしまった。 4月から通うことになる大学は商学部で、経営や金融に関することを学ぶ。そこは僕にとって全く興味のない世界。そんな僕は、リュウの嘘を責める事が出来なかった。
「そっか、僕は4月からは東京だ」
その時は、それを言うだけで精一杯だった。
どうして受験しなかったのか、なんで就職する事にしたのか。あまりにも突然の言葉に動揺していた僕は、それ以上問い質すだけの余裕が無かった。
「圭太、今どこ住んでるの?」
「国分寺」
「えッ、マジかよ。俺国立だぜ」
手を伸ばせば、簡単に届いてしまいそうな程近い距離に住んでいる事を知り、二人して顔を見合わせ驚いた。
「大学からずっと変わらず、同じ所に居るんだ」
「ふーん」
大学からと言った瞬間、自分の顔が僅かに歪んだのが分かった。
この土地から一刻も早く去りたいと思っていたタイミングで、まさかリュウに出会うなんて。運命とは、何と皮肉なものなのだろう。
「送ってやるよ」
「仕事は?」
「ココの掃除終わったら上がりだから、荷物持って表で待ってろ」
それだけ言うと、リュウは馴れた手つきで掃除を始めた。
僕は同期会の行われている座敷へ戻ると、幹事に会費を払った。 上着とカバンを持ってその場から去ろうとしても、誰一人止めるどころか、声を掛ける者さえいなかった。
店の表に立つ僕は、リュウが店から出てくるのを、複雑な気持ちで待ち続けた。