死にた狩り ツインズ
月の冴える晩だった。人を蠱惑する魔性の輝きが、地上に降り注ぐ。
「こんな日じゃなかったら、踊らされてみたくもなっちゃいそう」
つぶやく言葉に、返答はない。
無口な片割れを、見下ろす。
「……さっさと、終わらせろ」
「ああそう。相変わらず淡白ね、あんた」
肩をすくめて、撃鉄を上げる。
力なく四肢を投げ出した青年の瞳に、月が映る。
「さようなら、――よい眠りを」
大きなお世話だ。形の良い唇が最後になぞった言葉は、きっとそうだった。
宵闇の中、月光を反射した銃口が、ひとすじの煙を吐き出す。たちのぼる、硝煙の香り。
赤が散る。銃声は、サイレンサーが飲み込んだ。うめき声一つ上がらない。最期まで無口な、私の片割れ。
焦がれ続けた終わりを手にした弟。
「……ねえ、満足?」
答えはもう、返ってこない。
煌々と照る寒月を見上げて、口の端を吊り上げた。
「ハッピーバースディ、マイブラザー」
白い吐息が、宙を漂う。――きみの生に、幸多からんことを。
願うは傲慢に。大嫌いな弟へ、精一杯の皮肉を込めて。置いてけぼりの聖夜。どこかでまた、きみが始まる。
*
木製の建屋が、みっしりとひしめき合う通りを、ひとりの青年が悠々と歩いていく。黒々としたコートが全身を覆い、表情はうかがえない。彼が、一歩足を進めるごとに、もわりと砂ぼこりがあがって、すきま風に踊る。
せまい空のなか、窮屈そうにまたたく星々が、紅い光を降らせている。時代錯誤的なネオンと入り混じって、この街の異様さをひきたてていた。
「夜都」
宵闇を切り裂いて、野太い声が飛ぶ。
「おい、夜都!」
がっしりとした腕が、青年の二の腕をとらえた。厚手の布地ごしに、指先が肌に触れる――その寸前に、青年は、勢いよく腕を払った。そのまま流れるように相手の腕をつかみかえし、関節をひねる手前で、はたと動きを止める。
中途半端な体勢で暴れる、中年の男――。
「恣星……、わるい」
肩をたどり、見知った顔に視点を落ちつかせて、青年は、パッと離した両手を掲げた。
「俺をお呼びだったのか。てっきり、眠らずの街の名を唱えたがるモノ好きかと」
「んなわけねぇだろう」
肩をすくめた青年――夜都の頭を、おおざっぱに殴ってから、男は腕をふった。キメそこねたとはいえ、多少のダメージを与えてしまったらしい。
「ったく。可愛げのねぇガキだな」
「謝罪はした」
「心がこもってねぇんだよ」
「それは、……そうか。すまない」
夜都は、素直に頭を下げる。
「だぁああ! 調子狂うな。まともに受けとんなよ。いまのは俺が悪い。お前さんみたいなカタブツにイタズラ心だした俺の自業自得だ」
肩を落とした男――恣星は、やれやれと首をふる。
「そんなことより、夜都。頼みがあるんだって?」
「ああ」
夜都は首肯して、短く告げた。
「――ひとを探してほしい」
華やいだ歓楽街から、ほんのつかの間、音が消える。すべてのモノが、耳を澄ませるような気配。夜の闇をうすくひろくヴェールのように伸ばして被せたような、静謐な空気が満ちた。
さすがだな、と恣星は内心舌を巻く。出会ってまだ日が浅いが、この夜都という青年は、どうも『人ならざるモノ』から異様に好かれている。
「ひと探し、ねぇ」
「燃え盛る炎の髪に、新緑の瞳をした女を、みつけたい」
恣星は、じっとその続きを待っていたのだが、いつまでたっても夜都に口を開く気配がない。
「おいおい。まさか、それだけで探せと? いくらなんでも無茶だ。名前は? 年は? 背格好は? なんか特徴ねぇのか、ほかに」
「しらない」
「はぁあ? 探す気があんのかねぇのかどっちだ、てめぇ」
恣星のほほが、ひくりと引きつる。
「あんたならできるだろう」
「馬鹿言え。ほかに情報は?」
「ペリドット。――そう名乗っていたことがある」
「そういう情報は早く言えっての。にしても、太陽の石ねぇ。聞かねぇ名前だな」
「100年近く前のものだからな」
「はぁ?」
今度こそ、露骨にアゴを落とした恣星に、夜都は肩をすくめた。
「だから言ったろう。いまの特徴はしらないと」
「そういう依頼は霊媒師にでも頼め。こちとら生きた人間専門――」
「生きている」
夜都は、ふっと口もとを緩める。
「生きているんだ、確実に。そして俺に会いにくる。かならず、俺の命日に」
「……なんの冗談だ、そいつは」
単なる事実の羅列だ、と笑いとばした夜都に、恣星はなにも言えず、ガシガシと頭をかいた。
*
詳しい話を聞かせろとごねた恣星に引きずられるがまま、夜都は、歓楽街の一角に居を構えた飲食店に腰を据えた。
ホコリかぶった店内には、他の客の影はなく、表通りに面しているとはとても思えない有様だった。
お世辞にも美味いとはいえない、ケバケバしい料理が机に並ぶ。そこらの出店に並んだもののほうがはるかにマシだと思いながら、夜都は、大ぶりな骨つき肉に手を伸ばした。
過分な油がしたたり落ちて木卓を汚すが、だれも気にしたそぶりもない。すでにいくつもの跡が残っていて、油滴のカタチすら判別できそうになかった。
「あらためて話すこともないんだが」
ためらいがちにかぶりついてみれば、意外と肉はうまかった。香辛料に頼りきった味ともいえるが、まあ、食えなくはない。なんの肉だかは考えないことにしよう。
「なにが聞きたい?」
しかし、やはりこの油はいただけない。ひと口かじるごとに滴る雫がベタついて、せめて衣服につかないようにと夜都は姿勢を前傾させた。
「俺との関係か、経緯か、……まあ、話せるのはその程度だろうか」
肉をきれいに乖離した骨を、不潔な皿に戻して、夜都は、つぎの食料を物色する。腹は減っている。食えるときには、どんなものでも入れておくに越したことはない。まして、恣星のおごりだというのならば。
「さっきも言ったとおり、手がかりになる情報は皆無に等し――」
青みがかった黄緑色のスープを引きよせたところで、ガツンと頭に衝撃が走った。
「食うのか話すのかどちらかにしやがれ」
おおいに顔をしかめた恣星が、夜都の手からスープ皿をとりあげた。夜都は、すんなりと諦めて、ボロくさい椅子の背もたれに身体を預ける。
「あんたが誘ったんだろう」
「それが依頼人の態度か? ああん?」
「正規の依頼をするつもりはない」
「減らず口め」
ぼやきながら、恣星がスープを口に運んだ。とたんに噎せて、スプーンを取り落とす。
「すげぇ味だな」
恣星は、凶悪面をより凶悪にしかめさせた。
「あんたが誘ったんだろう」
おなじ台詞をくりかえして、夜都は笑った。粗食をたべなれない人間には、そりゃあツライシロモノだろう。
こうみえて、恣星は、上流の人間だ。お遊びで下町に手を出しちゃいるが、情報網は特一級。であればこそ、夜都も頼ってみようという気になる。
スープ皿を押しのけてため息をついた恣星が、あらためて夜都をみつめる。
「で、だ。お前さんの目的はなんだ?」
「どういう意味だ?」
「女を探してる。それはわかった。だが、親族でも知りあいでもない女を探したいっつーのは、一体どういうこった。みつけてどうする?」
「どうもしない」
夜都は、くつくつと笑う。
「探したいだけだ。自分の死期を」
いよいよ意味がわからない。恣星はお手上げだというように天井を仰いで――大量の蜘蛛の巣と煤に嫌気がさしながら――ポツリと問うた。
「死にたいのか?」
「そういうわけじゃない。……いや、そうなのかもしれないな」
「どっちかに決めろ」
「横暴な」
夜都は、やはり、くすりと笑うのみだった。それをみて、恣星は、深々とため息をつく。
「一年前に会ったころから思ってたけどな、なにをどうしたらそうまで歪むんだ」
「ゆがむ?」
「なにを言っても笑う。どうだっていいんだろう。お前さんにとっちゃあ、自分の命も他人の都合も、同列に無価値なもんだ」
十代のガキとは思えねぇよ、とボヤいて恣星は水をあおった。達観しすぎで気持ちわりぃ、とまで言われて、夜都は自分の口もとを撫でた。
「昔、淡白と言われたからな。すこしでも笑うようにしたんだが」
「あいかわらず、発想が斜め上ぶっとんでんな。不自然すぎんだよ」
「そうか」
意識したつもりはなかったが、やはり、口角は勝手にあがっている。処世術のつもりで身につけた笑みが、染みつきすぎて不自然になってしまったようだ。
だが、そう長くつきあっていくつもりもない。この街にも、自分自身にも。恣星という個人は気に入っているが、しょせんは期限付きのつきあいだ。
ゆるくかぶりをふって、夜都は、雑念を振りはらった。
「さっきの質問だが」
「あん?」
「親族でない、とは言っていない。いまの肉親ではないが、あれは俺の半身だ」
「どういうこった」
「姉なんだ。双子の」
探しびととの関係を明かせば、恣星は、不機嫌に眉をよせる。
「要領を得ねぇな」
「だから言わなかったんだ。俺に明かせる情報は、関係と経緯。このふたつだけ。どっちにしろ、あんたにゃ信じられないだろう」
口を閉ざした夜都は、目についたくすんだテーブルクロスで、口もとをぬぐう。年代物のニオイが鼻につくが、油分でベタついたままよりはマシだ。
「おい、だまんな。ここまできたら乗りかけた船だ。ぜんぶ聞きだすまで帰さねぇぞ」
気短な恣星が、イライラと机をたたく。これで、本職が警備隊長だというのだから、この街も終わっている。脳筋が登りつめていいこともあるまいに。
「もともと、あんたには関係のない話だろう。いきずりの孤児になんざ首突っ込むから、こんな面倒なことになる」
「自分で言ってちゃ世話ねぇな。御託はそれで終いか。まだ経緯とやらが残ってんだろう。さっさと話せ」
……まして、お人好しときた。
夜都が苦笑をうかべると、それだそれ、気持ちわるい面すんな、と恣星はがなる。三十路にもなって、こんなんだから嫁がこないんだろう。
「たいした話じゃない。あいつは生きつづけて、俺は死につづける。そういう約束をしちまったもんだから、くだらねぇ鬼ごっこをくりかえしてんだ」
*
恣星と別れてから、夜都は、とくに目的もなく街をふらついていた。いく宛もない。どうせ長くもない命だと、つながりは作ってこなかった。お節介な警備隊長殿を除けば、だが。
「まったく、モノ好きにもほどがある」
一年前のことを思いかえして、夜都は口もとをゆるめる。なにをしても笑う、と恣星は言ったが、生憎と参考にしたのはまさにその当人だ。恣星のような、大仰な笑い方にはならなかったため、本人も気づいていないだろうが。
今回は、そう冷える季節でもないから、宿も取らずに野宿をくりかえしていた。適当な建物の影をかりて身体を休めていたところを、恣星にみつかった。
それ以来、恣星は、なにかと世話を焼いてきた。夜都、という名をつけたのも恣星だ。上流階級が好んで使う、この街の通称らしい。眠らずの街。夜の都。無風流のくせに、よくもまあ似合いの名をみつけてきたもんだ。
もちろん、はじめは、恣星のたいそうな肩書きなどしらず、厄介な男に目をつけられたものだと疎んじていたのだが。
この街にかぎらず、周辺の情報に精通していると知ってからは、体良く利用させてもらっていた。
ただひとつ、焦がれつづける目的のために。
――片割れは、どこにいるのか。
夜都の関心は、常にそれだけに向いている。夜都に名がないように、姉にあたるその存在にも、形にはまった名前はない。都度、適当な偽名を語っては、捨てていく。
以前、相対したのは、月が煌々と照った、凍えた夜。こことはまるで似通わない、コンクリートに固められた街角で、銃口は静かに火を吹いた。
眉間を一発。
あいつらしくもない、簡単な終え方だった。もっと嬲ってくるかと思っていたが、あっという間にゲームは終わって、気づけばまた仕切り直しだ。
「俺の要求なんざ、聞いたこともないくせに」
クリスマスプレゼントのつもりだったんだろうか。ならば、つぎは、どうくるだろう? 気まぐれにそういうことをするから、まったく飽きがこない。
いや、とっくに飽いてはいるのか。
終わらせる術をしらないから、いつまでもくりかえしているだけだ。ほんのすこしの変化にも、楽しみを見いだして。
――この世には、人ならざるモノが存在する。
目に見えぬモノ、見えるモノ。ヒトにそれを見分ける術はなく。漠然と捉えた『手に負えない存在』を総称して、人ならざるモノ、と彼らは呼ぶ。
ときに、人の世に混ざり。
ときに、人の世を漁り。
ときに、人の世を護り。
息をひそめたかと思えば、大胆不敵に関わりをもつ。一貫性のないそれらにも、連帯感とやらは備わっている。
なかでも夜都は、相当に古きモノだ。新参であるとともに古参。死と再生をくりかえす双子。とうの昔に飽いている。
――ゆえに焦がれる。
ほんのつかの間の邂逅のためだけに、生きている。
生きて生きて生きて、愛しき片割れが運んでくる終わりを待ち焦がれる。
この身だけを追いつづける、愚かしいまでに一途で猟奇的な姉を置いていくのは心苦しいから。
心待ちに、死を望む。
交わした約定は、この上なく刺激的な、刹那の逢瀬。彼女が運んでくるからこそ、最期の瞬間に意味があるのだと、夜都は嗤う。
「はやく殺しにこいよ、マイシスター」
でなきゃ退屈すぎて、死んでしまいそうだ。
――新緑の瞳をした太陽は、いつになったら登るのだろう?