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深さと重さと  作者: 遠野義陰
第二章
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Broken Love Was Piled Up. As snow... 序 冬の追想






 時々、彼のことを考える。たった一年だけともに過ごした友人だった彼のことを。

 最初にその姿を見つけたのは保育園を卒園して、幼稚園に入ったその春だった(俺たちの地方では年を経ると共に保育園から幼稚園へと上がっていく制度だった)。といっても幼稚園で出会った訳ではない。別の幼稚園に通っていたのか、それとも待機児童だったのか、そのあたりは定かではないが、とにかく彼は俺が通っていた幼稚園の園児ではなかった。

 俺と公康が遊び場にしていた公園にある日突然見知らぬ少年が現れた。それが彼だった。最初彼は一人で鉄棒で遊んだり、壁に向かってサッカーボールを蹴ったりして、まるで退屈な時間をやり過ごしているかのように見えた。少なくとも楽しいからそうしているようではなかった。だから俺たちは声をかけた。一緒に遊べそうな奴がいて、そいつがつまらなさそうにしている。なんでそんなことしているのか気になるし、人数が多い方が楽しいに決まっている。

 彼は自分のことを「かっちゃん」と呼んでくれ、と言った。本名を名乗らなかったことが少し引っかかったが、しかし遊び仲間として過ごす上で大した問題ではなかったのですぐにそんなことは頭から離れていった。

 彼はとにかく運動神経がよかった。特にサッカーをすると誰も彼からボールを奪えなかった。俺と公康以外にもこの公園で遊んでいる子供はいたが恐らくその中でも一番サッカーが上手い子供だっただろうと思う。もしかしたらこの町で一番だったかもしれない。

 そんな彼だが一つだけ苦手分野があった。水泳である。春も過ぎてついでに梅雨も終わり夏が訪れた。夏と言えばプールであることは世の子供達の間で普遍の不文律であろう。それに違わず俺たちも小遣いをもらってきて市民プールで遊ぼうという話になった。そのとき彼は水に入れないからという理由で頑なにそれを拒んだのである。泳げない、どころの話ではない。水が嫌いという主張だったのである。最初は強引に誘おうとしていたが、あまりにも嫌がるので諦めて、プールで遊ぶときだけはかっちゃん抜きになった。

 プールを嫌がった理由はほかにもあるかもしれない。彼は人前で裸になる事も嫌がったし、立ちションベンですら恥ずかしいという理由で全くしなかったのだ。あの年齢の子供としては精神が発達しているというべきなのか、単に変わり者だったというべきなのか。けれど俺たちは彼のことは嫌いじゃなかったし、仲間としてちゃんと受け入れていた。

 だからその年の冬、彼の口から引っ越すという話を聞いたときはショックだった。理由は聞かなかし、彼も話さなかったので判らない。ともかく、彼は冬が終わり再び春風が吹き抜ける頃、俺たちの前からいなくなった。


               ※※※


 あの公園の前を通り過ぎると時々彼のことを思い出し、そして考える。いま彼はどこでなにをしているのだろうか、と。結局俺たちは彼の本名も住んでいる場所も、引っ越し先も電話番号も、なにもかも知らなかった。だから居なくなった後は連絡を取る手段もなくそれっきりだった。小学校に上がってから最初の一年ほどは、公園の風景に彼の面影を探したこともあったが、時間の経過とともに彼の存在自体が希薄になり、ある日、ふと、もう何年も思い出していなかったことに気がついて思わず愕然としてしまった。

 あれからもう十年近く経った。正確にはまだ九年ちょっとだろうが、そこは大した問題ではない。振り返ってみれば思いの外膨大な時間であることをには違いないのだから。果たしてあのころの俺といまの俺は同一人物だといえるのだろうか。周りの環境にしても、俺自身にしても、色々と面倒な事になったり、不可逆な変化に襲われて、すっかり様変わりしてしまった。

 大なり小なり彼だってそれは同じに違いない。時間がもたらす変化は万物に等しく訪れ、それは不可避なのだから。あの日この公園で出会い、一緒に過ごした少年はもう居ないのだ。

 それでも時折思いを馳せることがある。もし彼と再会したどんな話をしようか、と。

 叶う望みもない、詮無き夢想である。


               ※※※


 木枯らしが吹き抜ける冬の公園で、俺はただ一人たたずんでいた。

 幼稚園に通っていた頃のことを覚えているかと、あの時、怜が俺に訊ねた言葉がずっと頭の中で、まるでのどに刺さった小骨のようにひっかかり続けていた。

 不意に俺は背後に気配を感じた。

 何か懐かしいような気持ちが急にこみ上げてきて、瞬間、かっちゃんのことが脳裏をよぎった。

 あわてて振り返って、ため息をついた。そりゃそうだ。彼であるはずがない。

「なんで人の顔見てため息ついたわけ?」

 そこに居たのは夏井だった。

「なんでおまえがここに居るんだよ」

「偶然前を通りかかったら三島君がいたから」

 実にわかりやすい理由だ。

「ね、今日は一人なの? あの女、じゃなくてお姉さんは居ないの?」

「怜なら家で忙しそうにしてるよ」だから一人なのだ。

「そっか。ならちょっとつきあってよ」

「なんでだよ」

「いいじゃん。暇なんでしょ?」

「まあそれは否定出来ないけど。でもお前、俺はだな」

「判ってるよ」こちらの言葉を遮るように彼女は言った。「でも私って聞き分けの悪い馬鹿だから」

「どえらい開き直り方しやがったぞこいつ」

「それにさ、この前見たんだよね。お姉さん以外の人と一緒にいるところを」

「いつの事だよ」

「先週の土曜日だったかな」

 さくらさんに呼び出されて丸一日相手をさせられた日だ。

「お姉さんに話してもいいんだけど、それってたぶんマズイよね?」

「お前それある意味立派な脅迫だぞ」

 とはいえそこまでマズいことでもない。その日俺がさくらさんと一緒だったことは怜も知っているからだ。だがそのことを改めて夏井の口から聞かされた怜が気分を害して機嫌を悪くすることは想像に難くない。

 俺はため息をついた。「判ったよ」

「本当に? やったあ」

 嬉しそうに言って俺の腕をとった。

 彼女に引きずられるように公園を後にしながら、俺は苦笑を浮かべた。

「こんなところあいつには見せられねえな」

「何の話?」

「独り言だ。気にすんな」

「そうだね情けないもんね」トゲのある声で彼女が言った。

「え?」

「独り言。気にしないで」

「なあ、お前なんか怒ってる?」

「怒ってないけど怒ってるかも」

「なんだよそれ」

「わかんない。私馬鹿だし」そう言って彼女は一度立ち止まり、俺の腕に抱きついた。「そんなことより、デートしよ?」

 俺はもう、どうにでもなれという気分で歩き出した。楽しそうな夏井の横顔が愛らしくも憎らしく、なんとも正体の分からない感情を呼び起こさせる。突き放そうと伸ばした手で、抱き寄せてしまいそうな矛盾を孕んでいるような気がした。

 ため息をつく。白く濁って大気の中に溶けていくそれを目で追いながら思った。俺も馬鹿なのかもしれない、と。


つづく

続きは来週か再来週から

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