表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深さと重さと  作者: 遠野義陰
第二章
19/55

番外編 blast from the past ep.2 "Love committed to the rainbow"



 井上奈々子は雷が苦手だ。あの地鳴りのような音もそうだし、突然閃光が瞬くのも恐ろしい。どうして苦手になったのか、理由は判らない。多分幼少期になにかあったのだろう。

 一瞬、真っ白い光が閃いたかと思うと、轟音が鳴り響く。奈々子は大きな体を小さくして頭を抱えながら震えていた。

「おーい大丈夫か?」と暢気な声が聞こえてきたところで答えられる訳もない。

 足音が近づいてくる。

 恐る恐る顔を上げた。

 三島宗平が困ったような表情を浮かべ、こちらを見ていた。実際に彼は困っているのだろう。

 奈々子と宗平は体育委員の仕事でグラウンド脇の体育倉庫の掃除や片づけを行っていた。一通り綺麗に片づいてそろそろお開きか、と言うタイミングで雲行きが怪しくなり、すぐに稲光が窓から飛び込んできた。そうなるともう、どうしようもなかった。反射的に悲鳴を上げて、奈々子はうずくまっていた。

「しかし困ったなあ」と彼は言う。「こう雨が降ってきたんじゃ帰れないぞ」

 扉が閉まっていても聞こえて来るくらい雨音が激しい。体育倉庫に入った時は晴れていたので、二人とも傘を持って居なかった。

「止むのを待つか」そう言って宗平は奈々子の隣に腰を下ろして、壁に背中を凭れさせた。「井上。本当に大丈夫か?」

「怖い」奈々子は震える声でそう答えた。それが精一杯だった。

「でも、普段はそんな風じゃなかったような」

「やせ我慢してたから」そう答えて奈々子は目を瞑った。

 流石に大勢の前でこんな姿を晒すのは彼女のプライドが許さなかった。だから必死に我慢をしていた。幸い、そばにはよく事情を知っている幼なじみが居てくれたので、それとなく手を握ってくれたり、おどけて抱きつくふりをして安心させてくれたりと言ったフォローがあったのでなんとか耐えられた。それらが期待出来ないときにはひたすら気合いを入れて耐えていた。でも今日は不意打ちだったのでどうにも対処が出来なかった。

 固く閉ざした瞼の裏が一瞬眩しく見えた。きゅっと唇を噛んで奈々子は体を硬直させた。脳天を揺さぶるような雷鳴が轟く。その凄まじさは今日一番と言えるほどで、地面が揺れ、窓がガタガタと音を立てた。

「いまのかなり近かったな」と彼が言った。

「怖くないの?」

「俺は平気だなあ」

「助けて」

「助けてって」

 そう言われてもなあ、と彼がまた困った様に言う。自分でも無理なことを言っているのは判っていた。だが先ほどから心臓がものすごい勢いで脈打っていて、呼吸もなんだか苦しい。意識ももやが掛かったように茫洋としていて、とにかく助けてくれるなら何にでも縋りたい気持ちだった。

「どうしたらいい?」彼が言った。とても真摯な声だった。

「そばに居て欲しい」奈々子は言った。「もっと近くに来て」

 隣で彼が戸惑ったのが判った。当然だ。彼女でも何でもない相手にそんなことを言われて、はいそうですか、なんて簡単にする男なんてそうそういない。もしいたとしてもそんな相手に、こんなお願い出来る筈がない。

「それで、井上は落ち着くのか?」

 奈々子は驚いて彼の顔を見た。

「なんでそんな風に見るんだよ。そっちが言ったんだろ」彼の顔は少し赤くなっていた。それを見た瞬間に奈々子は自分の顔がだんだん熱くなるのを感じて、先ほどとは違う鼓動の高なりに頭が混乱しそうになった。

 そんな風にされたら変な勘違いをしてしまうじゃないか、と奈々子は胸の中で疼く痛みに顔をしかめた。彼が誰を好きなのかは判らないけれど、少なくとも親友の香奈は彼のことが好きなのだ。そして彼女を応援すると決めた以上、それは許される勘違いではなかった。

 そう、これはあくまでこの雷雨を凌ぐ為の精神的な避難であって、それ以上でもそれ以下でもない。奈々子は自分に言い聞かせるように何度も念じて、彼との間にあった微妙な距離を自分から詰めていった。

 肩と肩が触れ合う。

 二人は髪の毛の一本すら入り込む隙間もなく身を寄せ合っていた。

 沈黙が訪れた。居心地が悪いとも、良いとも、両方の解釈が出来る不思議な沈黙だった。

 すぐ横には彼の顔がある。汗の匂いに混じって男子特有の何とも言えないにおいが鼻腔をくすぐった。好きな男の子のそんな匂いを嗅がされて、今度は別の問題に直面していた。

 このままもっと、彼に身をゆだねたい。そんな欲求がわき上がってきたのである。そう、たとえばもっと体を密着させて、寄りかからせて、匂いだけじゃない体温も息づかいも、すべて感じたい。

「井上?」と彼が怪訝そうに言った。

「あ、ごめん。なんでも。ただ、その」

「その?」

「あの、私、汗くさくない?」

「気にするなよそんなこと。第一それ言ったら俺の方が臭くないか?」

「平気」と奈々子は即答した。

「お、おう」

 彼の反応をみてすぐに後悔した。これじゃあまるで匂いフェチの女の子みたいじゃないか。でも内心それも否定は出来ないなと、思いながらこっそり彼の匂いを堪能していた。

 彼の匂いを嗅いでいると不思議と気持ちが落ち着いた。安らぐのだ。雷の恐怖がいくらかマシになる。それでも恐怖心がなくなる訳ではない。

 また雷鳴が響きわたる。奈々子は悲鳴を堪える代わりに、彼に抱きついていた。

「お、おい。井上」

「ごめん」奈々子は言った。彼の胸に顔を埋めたままか細い声で「でも離れられそうにない」

 やれやれ、という風に彼がため息をついた。その吐息がうなじをくすぐる。不意に、頭に彼の手が乗せられた。

「こうなったらもう、安心出来るまで好きにしてくれ」

 彼が諦めたようにそう言った。

 奈々子は、香奈に悪いなと思いつつもその言葉に甘えることにした。いまここに居るのは二人だけ。密閉された空間で、誰にも見られてはいない。彼と自分が黙っていれば、それは何も起こらなかったのと同じだ。

 彼の胸に耳を当てその鼓動を聞く。思いの外彼は落ち着いている様だった。こちらははさっきから早鐘を打ちっぱなしだというのに。なんだか不公平だと奈々子は思った。どうにかしてこの鼓動が乱れるのを聞きたい。そんな悪戯心が首をもたげた。

「三島って好きな人居るの?」

「なんだよ急に」

「話してる方が気が紛れるから」

 奈々子はもっともらしい嘘を吐いた。

 彼はそれを信じたのか、あるいは見抜いた上で乗ってきたのか、まったく判然としない態度で「どう見える?」と問い返してきた。

「居る」と奈々子は確信を持って答えた。「根拠は女の勘」

「そりゃ恐ろしいな」彼が笑った。「まあ間違いではないかな」

「誰?」

「秘密」

「香奈?」

「まさか」

 顔を上げると、冗談だろ? と言いたげな苦笑を浮かべていた。それを見た途端に胸が苦しくなって、すぐに彼の鼓動を聞くために元の体勢に戻った。

 ここに香奈が居なくてよかった。奈々子は心からそう思った。きっといまの彼の反応を見たら酷く傷ついただろう。それと同時に安心している自分も居て自己嫌悪におそわれる。

 彼の鼓動はまだ乱れない。

「どんな人? 綺麗な人?」

 もしかして、私? なんて聞きたかったけれどそんな勇気はなかった。

「綺麗。そうだな、綺麗だ。多分世界で一番綺麗だと思う」

「恋は盲目」皮肉っぽく奈々子は言った。彼がそんな風に評する相手が自分であるはずがないので、ちょっとばかり拗ねた気持ちになっていた。

「そうかもな」と彼は自嘲気味に言う。

「片思いなの?」

「まあな」

 少しだけ鼓動が早くなった。きっとその人のことを考えているのだろう。彼の胸を支配するその見知らぬ女性のことがひどく羨ましく思えた。もしそれが自分だったらいいのに、とあり得ない願望を抱き、すぐに我に返り、一人で盛り上がったり落胆したりを繰り返しているうちにだんだん雷が遠くなってきた。

「そういう自分はどうなんだよ」

「え?」

「井上は好きな奴居るのか?」

 なんてひどい男なんだろう、と奈々子は彼の無神経さに思わずむっとしてしまった。けど彼に対する好意を普段隠しているのは自分自身なのだからそれも仕方ないのかもしれない。

 そう納得しようとしたけれど、この状況でそういうことを聞くか? と疑問を抱かざるを得なかった。自分みたいなタイプが誰彼構わずこんなことする訳がないのに。

「いる」

 いろいろ言いたいところをぐっと堪えてそれだけ答えて後はむっつりと黙り込んだ。

「そっか」彼は言った。それからさっき仕返しとばかりに「誰?」と訊ねてきた。

「秘密」

「じゃあどんな奴?」

「好きになっちゃいけない人」

「うわ。もしかして教師?」

「そんなわけない」

 流石にちょっと堪忍袋の緒が限界に達しそうになっていたので、それを緩めるべく、彼のわき腹を思いっきり抓った。

「いてて! 冗談だって。冗談」

「言って良いことと悪いことがある」

「ごめんってば」

「今日のところは、雷除けになってくれたことに免じて許してあげる」

 抓っていた手を離した。

「そっか。井上も同じなんだな」

 彼がぽつりと呟いた。

 同じ、とは一体どういうことなんだろうか。奈々子はじっと彼を見つめた。

 だが彼はそれ以上は何も話してくれなかった。

「止んだみたいだな」彼が言った。いつの間にか外が静かになっていて、灯り取りから射し込む陽光が、四角く切り取られ、地面に映し出されていた。

「うん」奈々子は頷いた。

 もう少しだけこのままでいたい。

 そんな言葉が喉のところまで出掛かっていた。

 もしいま告白したら、彼はどんな顔をするだろうか。そんなことを想像して胸の奥が苦しくなる。もしかしたら彼は受け入れてくれるんじゃないか。そんな予感がどこかにあった。例え妥協の産物だとしても、そうなるのであれば、奈々子としては有り難いことだった。ちょっとした偽物であっても磨いていくうちに本物になれるかもしれないから。

 でもそんなこと出来る訳がない。香奈を裏切ることは出来ない。大切な親友だから。彼女の笑顔が曇るところなんて見たくない。

 必死にそう言い聞かせて、奈々子は抱きついた自分の体を引き剥がすようにして、彼から距離をとった。

「その、迷惑かけてごめんなさい」彼に対して頭を下げる。

「いいよ別に。井上のかわいげがあるところみれたし」彼は冗談めかして笑った。

 急に顔が熱くなる。もしわざとやっているなら最低の男だと思う。でもきっと彼は無邪気にそう冗談を言っているのだ。気にする必要はない、と彼なりのフォローだということは判っていても、片思いで締め付けられる胸は苦しくなる一方だ。

 外に出るとむっと蒸した空気と眼の奥が痛くなるほどの強烈な日射しが迎えてくれた。

「あんまり涼しくなってないな」彼はがっくりと肩を落とした。「夕立の後も暑いって最悪のパターンじゃんか」

 立っているだけなのに額にじっとりと汗が浮かび上がってくる。

 空を見上げる。まだ雲はそれなりに残っていて、時折隠れる太陽は雲間から夏の熱線を放っていた。彼方には先ほどの雨を降らしたらしい真っ黒な入道雲が青空を引き裂くように浮かんでいた。

 額の汗を拭う。

「夏だね」奈々子は呟いた。

「夏だなあ」彼はしみじみとうなずいた。

 近くで蝉が鳴いている。

 彼が歩き出した。

 職員室へ報告に行かなければならない。

「ねえ、三島」

「なんだ?」

「さっきあったことは、二人だけの秘密だから」

「判ってるよ」

 心配すんな、と言って彼は奈々子に向かってぐっと親指を立てた。

 軽い。軽いけれどそれでいいのかもしれない。たった一度の気の迷いなのだ。それを深刻に捉えられたんじゃこっちだってやりづらい。

 これでいい。

 これでいいんだ。

 胸の苦しさを裏切って奈々子は前を向く。

 友人として彼の隣に立つために。

 不意にあふれ出しそうになった涙を汗と一緒に拭った。早く、早く香奈が告白してしまえばいいのだ。そうすれば良かれ悪しかれ結果が出て、このどうしようもない立ち位置からも開放されるはず。そのとき彼女が泣いているのか笑って居るのか。それは判らない。でもとにかくいつまでもどっちつかずのままキープし続けるのはやめて貰いたい。

 わき上がってきた憤りを隠すようにため息をつく。それをかき消すように一陣、風が吹いた。その中にフルートの音色を聞いたような気がして、奈々子は校舎の方を仰ぎ見た。だがそこに誰もいない。気のせいだったのだろう。香奈に対する罪悪感が呼び起こした幻聴だったのかもしれない。

「お、虹だ」と宗平が空を指さした。

「綺麗」奈々子は呟く。そして彼の無邪気な横顔を眺め、そして改めて確信した。自分は彼のことがどうしようもなく好きなのだ、と。

 その口に出すことの出来ない思いを託すように、奈々子はじっと虹を見つめていた。





                      了

番外編で恐縮です。そしてあけましておめでとうございます。タイトルはグーグル翻訳さんに訳して貰いました。正しいかどうかは不明。

あと二つ三つエピソードを書いたらこの番外編は締めようと計画中です。

本編は、まとまってない書き溜めがそこそこあるので、それを元に来月辺りに更新します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ