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深さと重さと  作者: 遠野義陰
第二章
13/55

Broken Love Was Piled Up. As snow…Chapter3"Die together. and we will become immortal 3"




「いらっしゃい」と年の頃は50から60ほどのやせた男が厨房から顔を出した。恐らく店主なのだろう。「お好きな席へどうぞ」

 俺たちは壁際のテーブル席に向かい合って座った。二人でお品書きをみる。とにかく親子丼を食うことだけは俺の中で決まっていた。

「私カツ丼にしようかな」夏井が言った。「見て見て、セットメニューもあるんだって」

 不機嫌そうにしていたのが嘘の様にはしゃぐ夏井を見て俺は少し安心していた。

「どうする? 三島君」

 夏井のまん丸い目がこちらを見つめる。何かを期待している目だ。俺が何を注文するか聞いてから決めるつもりなのだろう。

「親子丼定食」

 そば屋に来たのだ。丼物だけ食べて帰るなんて味気ない。

「じゃあ、私はカツ丼定食にしよっかな。あ、ほらあれみてよ。そばが大盛りに出来るんだって」

 壁に貼ってあったポスターに、学生証の提示で蕎麦が無料で大盛りに出来ると書いてあった。以外とここは学生客が多いのかもしれない。そう考えれば値段の安さも頷ける。それにしてもこのポスター、あのオヤジが作ったにしては色使いや字が若いというか、かわいすぎる。恐らく作ったのは孫辺りだろうか、などとどうでもいい考察していると夏井が店主に声を掛けた。俺たちは注文を告げて、後は料理が食るのを待つばかりとなった。

「夏井って結構食うよな」

「そうかな? 普通だと思うけど」

「いや、カツ丼定食でそば大盛りって結構食う方だろ」

「三島君はよく食べる女の子嫌いなの?」

「そんなことはないけど」

 むしろ怜が規格外の大食いというのもあって、よく食べる女の子はどっちかというと好きだ。

「けどさ、お前学校じゃ小食で通ってなかったか?」

「え? あはは。それはその」

「猫」

「かぶってます」

「知ってるけど」

「三島君ってさ。ほんっとに意地悪だよね」

 そのとき、入り口の戸が開いて、一人の女性が入ってきた。岡持を持っているところをみるとここの従業員らしい。その女性と一瞬目が合った。その瞬間、彼女が全くの他人ではないと直感した。以前どこかで会ったことがある。

「あ」と声を出したのは夏井である。

 それに対して女性は「お?」と返した。こちらはこちらで知り合いらしい。

「久しぶりです。大島先輩」夏井が言った。

「うん。久しぶり。香奈ちゃん元気してる?」大島先輩はそう言って微笑みかけた。

「はい。ところで、ここって先輩の?」

「うん。おじいちゃんのお店。冬の間だけ小遣い稼ぎにバイトしてるの」

「あれ、でも北高ってバイト禁止じゃなかったでしたっけ」

「家の手伝いだから平気平気。ところで香奈ちゃん。もしかしてデート?」

「もしかしなくてもデートです」嬉しそうに夏井は答えた。

 俺はもう今更否定する気も起きなかったのでお茶を飲みながら聞き流した。

「えっと、違ってたらごめん。君は、確か怜先輩の弟君だよね」大島先輩はこちらを見て、そう問いかけた。

「合ってますよ」俺は答えた。そうだ。思い出した。以前、怜の吹奏楽の定期演奏会やコンクールを観に行った時に会ったことがある。「お久しぶりです」

「怜先輩は元気してる?」

「まあそれなりに」

「そっかあ。ねえねえ。そういえば怜先輩、進学も就職もしないって聞いたんだけど、本当なの?」

「ええ」俺は頷いた。どうやら彼女は怜が漫画家になったことを知らないらしい。もしかしたら、あまり周囲には喋っていないのかも知れない。そもそもなぜか俺にすら話していなかったのだから。

「やっぱりそうなんだ。いやね、なんかそんな風になってるらしい、って話は怜先輩が部活にいた頃から聞いてたんだけど、まさかなって思ってたわけよ。だってほら、三年間ずっと学年トップで、模試でもずっと順位一桁でしょ? それに音楽の才能もあったし、片手間でやってた美術部の方でもなんか有名な賞取ってたらしいから何かしら進学するものだとみんな考えてたんだよね」

「へえ、お姉さん進学しないんだ」と夏井が言った。「私もてっきり、どっかすっごく頭の良さそうなところに行くと思ってた」

「弟君としてはその辺どうなの?」と大島先輩。

 俺はどう答えようか迷ってると厨房から「おーい遙」と呼ぶ声が聞こえた。遥とは大島先輩の名前だ。「はーい」と答えて大島先輩は「ちょっと待ってて」と言って小走りで厨房の中へと消えていった。

 俺はほう、と息をついた。「おしゃべりな人だな」

「うん」夏井は頷いた。「いい先輩なんだけど、しゃべり始めると止まらないのがちょっとね」と苦笑を浮かべる。「でもびっくりした。三島君、大島先輩と知り合いだったんだ」

「怜が中三の時だったかな。定期演奏会を見に行った時に出会ったんだ。あの時は確か怜の後ろにいてかなり大人しい印象だったんだけどな。今年の夏にコンクール観に行ってそのときにも久しぶりに顔を合わせたけど、やっぱりあんなに喋ったりはしてなかったな」

「緊張してたんだと思うよ。大島先輩ってお姉さんにかなり憧れてるみたいだから」そう言って夏井はため息をついた。「正直、あんまり納得したくないけど、美人だし頭良いしプロ目指せそうなくらい才能あるしで、すっごく魅力的だからうちの吹奏楽部じゃ伝説になってて直接関わりのない私らの世代にもファンがいるくらいなんだよね。私だって本性知ってなかったから憧れてたと思う」

 本当に不本意なのだろう。夏井はとても苦々しい表情をしていた。

「ということは、最初の頃は怜に憧れてたりしたのか?」

 俺は敢えてそこに切り込んでいった。

「そんなわけないじゃん。だってあの女がどんな奴かなんて最初から知ってたんだから」

「すまん。よく判らないんだけど、最初から知ってたってどういうことだ?」

 俺がそう訊ねると夏井はしまった、という表情を浮かべて、「いまのなし。間違い」と言い訳ですらない事を口走った。

「もしかして、夏井お前昔の怜を知ってるのか?」

「間違いだからほら、そんなことより。あ、ほら、大島先輩戻ってきたよ」

「夏井。何か隠してるな」まっすぐ目を見ながら俺は言った。

「だから、その、あのね。……はい」消え入るような声だった。「そのことは後から話すよ」

 ちょうどそのとき大島先輩が注文した料理を持って戻ってきた。

「なになに? 喧嘩?」丸くつぶらな瞳は好奇心旺盛な猫の様に輝いている。

「違います」夏井が言った。「わあ、おいしそう」

「えっと、どっちがどっち?」

「俺が親子丼で、夏井がカツ丼です」

「うわー、香奈ちゃんこんなの食べると太るよ?」

「いいんです。私は運動もしてますから」

「香奈ちゃんって、胸あるのに細いよね。いいなあ、私なんてそもそもないし、ダイエットしたら余計小さくなっちゃってね。不公平だなあ。触って良い?」

「やめてください。三島君がいるんですから」

「あ、彼氏以外に触られるのは嫌ってやつ?」

「違います」夏井はぷいっとそっぽを向くと、勢いよく割り箸を割った。

「ごめんごめん」大島先輩は言った。「香奈ちゃんってかわいいからついつい意地悪しちゃうんだよねえ」

「褒めても何も出ませんよ」

「え、そう? こっちのお汁粉注文しない?」

「先輩の奢りならいいですよ」

「あ、うーん。そっかあ。今日は無理だなあ」

 旗色が悪くなったと見るや、今度は矛先がこちらに変わった。

「ところで、怜先輩なんだけど。卒業した後何するか聞いてるの?」

「自営業みたいなのです」俺は答えた。

「もっと具体的に」

「相川さくらって知ってます?」

「知ってるもなにも、超有名人じゃん。まあ学校じゃ怜先輩の付き人みたいになってるけど。文武両道でお嬢さまだし相川先輩の方がトータルで見たら完璧なのにどうしてか怜先輩の方が人気あるんだよね。ああ、でも相川先輩って怜先輩と違って根暗っぽいというか、取っつきにくい感じがするから仕方ないのかな。三年生の先輩の話だとあの人怜先輩以外に友達らしい友達が殆どいないって話だし。ってちょっと脱線しちゃった。そういきなり弟君が相川さくらがどうのって言い出すからじゃん。でもなんで、あ、もしかして自営業って、そっち系?」

「そんなところです」俺はげんなりしかかっていたのを隠しながら答えた。本当によく喋る人だ。

「そっかあ。なるほど。そう言う才能を持っている人間同士、なんていうんだっけ、ほら、磁石みたいに惹かれ合う部分があったのかな。じゃなきゃ怜先輩みたいな人と相川先輩が一緒に居るわけないし。だいたい、」

「あの」と俺は彼女の言葉を遮るように言った。どうやら大島先輩の中でさくらさんの評価が著しく低いようで、その言い様に耐えられなかったのだ。だからその後次ぐ言葉なんて用意しておらず、一瞬沈黙が場を包み込んだ。

「怜は、普段学校ではどんな風なんですか?」そう言って場を取り繕った。

「怜先輩はね、みんなから尊敬されてて人当たりもよくて、誰からも愛されてる感じかな」

 それは俺にとってはかなり意外な答えであった。俺の知る怜はとても人間の好き嫌いが激しい。気に入った相手にだけ心を許して、後はすべて敵だと言わんばかりに警戒する。両親の実家と親戚をたらい回しにされて戻ってきてからの怜は、少なくともそういう癖のある人間として育ってきた。ただ、怜の両親が生きていた頃は、それなりに輪の中心に居たとしても不自然ではない人間であったことも確かだ。尤も、その頃から敵と認識した相手には容赦がなかったが。ともかく上手く猫を被っているらしい。

「あ、先輩、ついでなんですけど。相川さくら先生ってどんな人なんですか?」

「お、香奈ちゃんもしかして相川先輩のファン?」

「今のところ出た本と、雑誌に載ったのは全部読んでます」熱っぽく夏井は答えた。

 俺は親子丼を食べながら話に耳を傾けた。さくらさんの学校での姿、というのも考えて見ればかなり興味深い話だ。北高の文化祭で見たことはあったけれど、それ以外の本当に日常での姿というのを俺は全く知らないのだ。

「えっとねえ。ファンである香奈ちゃんを前にして言うのもなんなんだけど。正直あんまり好かれてるタイプじゃないんだよねえ。普段から口数少なくて大人しくて。その癖勉強ではいっつも怜先輩の次だし、運動も出来るし、その上お嬢様でしょ? 正直近寄り難い雰囲気があるっていうの。でも男子受けは不思議と良くて結構告白されてるのに全部断ってるのも、お高くとまってる様に見えて女子から顰蹙買ってるんだよね。あと男には興味がないんじゃないかとかって話も聞くね。他にもテレビ出るようになってからもっと聞くに耐えないような噂が流れてたりして、正直あんまり話したくないかな。それになんか、怜先輩とつるむようになる前はいじめられてたらしいよ。結構ひどかったらしくて。それをやめさせたのが怜先輩だったって聞いたことある。だからいじめられないように怜先輩のそばにくっついてるだけなんじゃないかって言われてたりもするみたい」

「へえ、ああ、でもなんか判るかもです。相川先生の小説ってそういうちょっと暗い部分が出てくるんですよね。でも、そっか。だからこそすごい小説が書けるのかもしれませんね」

「香奈ちゃん。あんたファンの鑑だよ」それから大島先輩は「弟君的にはどう思う?」

「どう、って言うのは」

「2人の関係」

「あの二人は親友同士です。間違いなく」

「おや、その様子だともしかして相川先輩とも面識あるのかな?」

「ええ、まあ」と俺は言葉を濁した。この流れで関係を引きずってる元カノだなんて正直に答えたらどうなるか判ったもんじゃない。「怜の友達ですからね」

「へえ、じゃあ遊びに来たりするの?」

「そうですね」

 そう答えてから、ふとあることに気がついた。

 思い返してみると、怜がさくらさんをうちに連れてきたことがなかったからだ。彼女がうちにやってきたのはあの雪の日が初めてだった。だから話ではよく聞いていたのに、あの丘で会うまで面識はなかった。なぜ怜はさくらさんを招かなかったのだろう。怜の方からさくらさんの家に遊びに行ったことは何度かあったらしいのに。

「そっかあ。あんな美人が二人も居たら気が気でないんじゃない?」なにかいやらしいことでも考えたりしてるんだろ、と言わんばかりの表情でそう問いかけてくる。「男子中学生だし」

「怜は昔から見慣れてますし。それに、姉ですし。さくらさんは、まあ」そう言う目でも見ていた部分もあるから付き合った訳だが、そこまでは話さない。

「あれ、でも確か怜先輩と血はつながってないって聞いたことあるけど」

「そうですよー。三島君とお姉さんは実の姉弟じゃないんですよ」

 大島先輩の思わぬ一言を、夏井がすかさず肯定する。俺は一瞬驚いたが、しかし怜と小学校や中学の頃から一緒だった同級生ならみんな知っていることではあるので、そう言う話を伝え聞いていてもおかしくはない。

「やっぱりそうなんだ。だって似てないもんねえ。弟君と怜先輩。あ、でも弟君は弟君でいけてると思うから」

「そういうフォローはいいです」俺は苦笑した。

「でもさ、それなら別にそういう目で見たって問題ないんじゃない?」

「実はここだけの話なんですけど」悪巧みを思いついた顔で夏井は大島先輩に耳打ちをする。こちらに聞こえるような声で。「三島君とお姉さん、婚約してるんですよ」

「こ、婚約!?」大島先輩が素っ頓狂な声を上げて立ち上がった。そしてこちらを見る。「マジ?」

 俺はため息をついた。「ええ」

「うわー、なんかドラマか漫画みたい。血のつながってない義理の姉弟で恋愛って。凄いね」

「凄いのはそれだけじゃないですよ」夏井がとても邪悪な笑みを浮かべていた。俺は直感した。いますぐにこいつを黙らせなければならないと。しかし俺が動くよりも先に夏井の唇が動く。「相川先生と浮気してるんです」

「おい、夏井」

 待て。怜のことは良いとして、なんでさくらさんのことがバレてるんだ。まさかこいつ最初からしらばっくれていたのか。

「え、マジ?」大島先輩が前のめりになって聞いてくる。「親友同士で年下の男の子を取り合って、婚約者で、浮気相手。うーん。だめだ。理解が追いつかない。ていうか本当の話なの?」

「マジですよ。大マジ」と夏井は愉快そうに答える。こいつ何がしたいんだ。「しかも結構泥沼っぽいです」

「うわー。ちょっと流石にこれは内容がショッキングすぎて噂話に出来ないなあ」

「俺が言うのもなんですけど絶対に広めないでくださいね。いろいろこっちにも事情があるんです」

 俺がどう言われようが知ったことじゃないが、怜やさくらさんに悪い噂が立つのだけは絶対に許せない。

「夏井。これ以上何か余計なこと言うなら流石に本気で怒るからな」そう言って俺は夏井を思いっきり睨みつけた。

 夏井は急にしおらしくなって「ごめんなさい」と謝った。

「大島先輩も、この話題はここで終わりにしましょう。それよりいいんですか? こんなとこでずっと喋ってて」

「あ、うん。そろそろ戻らないと駄目かな。でも最後に一つだけ気になることがあるから、それだけ聞かせて?」

「なんですか」

「香奈ちゃんとは、どういう関係なの?」

「ただの友達同士です」語気を強めてそう答えた。それはつい数十分前に、不覚にも抱いてしまった感情を自ら否定するためでもあった。対面に居る夏井の表情が凍り付いたのが見えたけれど、そんなことに構っていられる心理状態ではなかった。

「容赦ないね」視線を僅かに隣に向けてから大島先輩が言った。

「事実ですから」

「そっか。うん」大島先輩は夏井の方へと向き直った。「香奈ちゃんは?」

「私は、三島君が好き。全部知ってるのに諦められないんです。ほんっとバカみたい」声が震えていたが涙は流さなかった。大きな丸い瞳の中に溢れんばかりの涙を浮かべながら、雫はこぼれなかった。

 大島先輩はそれ以上はなにも聞いてこなかった。「それじゃあ、戻るね」そう言って厨房に消えていく後ろ姿がとても小さく見えた。彼女なりに藪蛇だったことを反省して、後悔しているのだろう。

 俺は目の前の、少し冷めた親子丼に目をやった。

 一口食べる。

 まるで味がわからない。

 夏井は俯いたまま、もそもそと大盛りのそばを啜っている。

「悪い」俺は言った。「ちょっと強く言いすぎた」

「いいの」夏井は答えた。「自業自得だから」

 それから終始黙ったまま、俺たちは目の前の料理を平らげることに専念した。



 


      続く




もうそろそろこの分のお話の終わりが見えてきたので週末くらいに続き更新したいです。でももしかしたらその前に一つ番外編を挟むかもしれないです。

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