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深さと重さと  作者: 遠野義陰
第二章
12/55

Broken Love Was Piled Up. As snow…Chapter3"Die together. and we will become immortal 2"

ちょっと遅くなりました。次もなるべく早く更新したいです。

     2



 今朝方の快晴が嘘の様に曇天は低く垂れ込め、体の芯まで冷気が染み込んでくるほど北風は冷え切っていた。

 自転車を漕いで図書館へ向かう。手や顔が凍り付きそうなほど冷たい。せめて手袋くらいはしてくるんだった。

 図書館に着いた頃には雪がちらつき始めていた。

「時間ぎりぎりだったね」

 夏井は暖かそうなコートを纏い、ニット帽をかぶり、もこもことした手袋をつけていた。そのくせスカートは短い。ストッキングを穿いているとはいえ、男の俺からすると少し理解しがたい組み合わせだ。それだけ着込むならミニスカートなんかじゃなくてズボンを穿けばいいのに。

「用事ってなんなんだ」

「それは後のお楽しみ」そう言って夏井は悪戯っぽい笑みを浮かべた。きっとろくでもないことだ。この三年間、望もうと望まざると常に学校生活の中で隣に居たある意味相方のような存在であるから、もうすっかり彼女が何かを企んでいるときの雰囲気というのが判るようになってしまった。

 近くの駐輪場に自転車を停めて、バス停へと向かった。

 屋根とベンチはあるが壁はない。寒風に対して全く無防備なので早くバスが到着しないかと時刻表を確認する。定刻通りに来るのならば、まだあと10分ほど待たなければならないらしい。

「なにかあった?」と夏井がこちらの顔を覗き込んで来た。

「別に何も」

「誤魔化しても判るんだから」

「ただの寝不足だよ」俺は答えた。「一睡もしてない。どっかの誰かさんが電話かけてこなかったら寝るつもりだったんだけどな」

「でも寝ないで来てくれたんだ」夏井は嬉しそうに言った。「ところで何してたの? 勉強?」

「どうだろう」

 まさか彼女に正直に言えるわけもなく、俺は言葉を濁して逃げようとした。

「私に向かって言いづらいことなんだ」そう言って夏井は気分を害したと言わんばかりに睨んできた。「受験生なのにそんなことしてていいのかなあ」

「別にそういうことじゃないから」

「そういうことって、なにかな?」

 にっこりと夏井が笑む。しかし目は全く笑っていない。

「一晩中安眠妨害に遭っていたというか、まあだいたいそんな感じだ」

「ひ、一晩中?」そう言ってぽかんと口を開けたかと思うと急に赤くなって、「そ、そういうのは駄目なんじゃない? まだ中学生だし、その」

「お前がむっつりなのはよく判った」俺は言った。「そういう事じゃないからな」

「じゃあどういうことなのさ」

「もっとピュアな何かだ」

「意味判んないんですけど」

「考えるな、感じろ」

「何言ってんの」夏井は溜息を吐いた。「テンションちょっと変だよ」

「寝てないからな」

「私的には三島君とのデートなんだからそれっぽくしてもらわないと困るんだけど」そう言って彼女は体を寄せてきた。

「勝手にそんな風にされるとこっちも困るんだが」

「恋人繋ぎか、私が腕に抱きつくの、どっちがいい?」などと訊ねながらまるで大切なぬいぐるみを抱えるみたいに俺の腕に抱きついて来た。

「人の話を聞け」

「言ったでしょ。デートだって」そう言って夏井はにっこり笑って、「三島君には強制的に浮気をしてもらいます」

「浮気ってお前」

「すでにしてるんだから一人くらい相手が増えても平気だよね?」

 静寂に水を打つような一声だった。

 頬が紅潮し、口元の笑みは勝ち誇ったように彩られ、圧倒的優位に立ったその事実に酔いしれているかのようだった。

「なんの話だよ」

「今朝。大声で叫んでるバカップルが居るなあと思ったらびっくりしたよ。片方は三島君だし、もう片方はこの前三島君と一緒に居た女の人だったんだから。ああ、やっぱりって思ったな」

「お前あの時近くに居たのかよ」

「偶然ね。で、あのことお姉さんにバラされたくなかったらおとなしく浮気しよ? って話なんだけど」

 なるほど。

 夏井もなかなか狡賢い奴だ。しかし不用意にそんな脅迫のネタになるようなことをした俺が間抜けなだけとも言える。第一さくらさんは有名人なのだから、もしそういうネタを欲しがっている輩が居たと考えたらぞっとしない話だ。次からは気をつけた方がいいかもしれない。

「それで、どうする?」

「どうするもこうするも、怜は知ってるからなあ」

「へ?」完全に予想外だった様子で、夏井は目を白黒させて「意味判んないんだけど」

「色々事情があってな」

「その事情ってのが判らないから何ともいえないけど。三島君ってもっとそう言うところ潔癖な人だと思ってた」

「本当に潔癖な奴が、下心隠そうともせずに待ってる奴の呼び出しに応じるかよ」

「下心? って、それもしかして私の事?」彼女は心外だ、とでも言いたげな表情を浮かべた。

「自分のさっきの行動振り返って見ろよ。完全に脅そうとしてるじゃないか」

「人間誰しもほら、なんだっけあの悪魔的なやつ」

「魔が差す、な」

「そうそれ。魔が差したの。それにね、実はちょっと頭に来てたんだ。お姉さんと婚約までしてるクセに別の人と仲良さそうにしてるなんてなんて奴だって思って」

「実際ろくでもない奴だよ、俺は。何やってんだろうなあって思うときもあるよ」

「どっちが先だったの?」夏井が言った。「付き合ってたの」

 なかなか鋭い質問だ。俺は肺をぺしゃんこにするくらい長く息を吐いてからゆっくり息を吸った。「お前が見てた浮気相手の方が先だったよ」

「やっぱり」と夏井は得心した様に言った。「だってあの人、自分こそが本当の彼女だって言いたげな顔してたもん」

「なあ、お前もしかして結構近くにいたのか?」

「うん。あの辺りに親戚の家があるんだけど、そこに金曜の夜から遊びに行ってて。あの時はベランダから見てた」夏井はそう答えると、「そんなことより、何で先に付き合ってた人が浮気相手になってるわけ?」と尤もな質問を投げかけてきた。

「だからそれは色々あったんだよ」

「色々ってなに」

「お、バスが来た」

 俺は夏井の腕から抜け出すと一目散にバスに乗り込んだ。

 すぐに夏井が追いかけてくる。

「ところで、勢いで乗ったけどこのバスで合ってるよな」

 通路を歩きながら俺は尋ねた。

「うん。ていうか確認せずに乗ったんだ」

 夏井は呆れていた。

 一番奥の席に俺たちは座った。二人隣り合っているが、どちらがそうするでもなく、微妙な隙間が空いていた。

「そんなに触れられたくない話題なの?」

「正直まだ色々と整理できてないことなんだよ。俺も、怜も、さくらさんも」

「さくらさんって言うんだ。その浮気相手の人」

 そこでしまった、と思ったのは言うまでもない。さくらさんのファンである夏井の前では極力名前を出さないように、と心がけていたのだが、うっかり口に出してしまった。俺は冷や冷やしながら彼女の様子を伺った。

 しかしどうやら、俺の口から出てきた「さくらさん」と言う名前と、時代の寵児となった人気作家相川さくらが結びつくことはなかった様で、「確かにそんな感じの人だったかも」とよく判らないことを言うに留まった。俺はほっと胸をなでおろした。

 俺の安堵をどう感じ取ったのか、夏井はじっとこちらを睨んで「で、なんでその人が浮気相手になったの?」と再び矛先を向けてきた。

「あの事故だよ」俺は観念して言った。「あの時待ち合わせしてたのが、彼女だったんだ。それで、事故が起こった原因が自分にあるって、思ったみたいで、それで全然顔見せなくなってさ、そのまま自然消滅したのかどうかも判らないまま、怜と付き合い始めたんだ」

 間違ったことは何も言ってはいない。隠していることは多々あるが。

「そういえば、お見舞いに来たとこ見たことなかったかも」

 怜を除けば一番病室に顔を出していたのは夏井だった。そもそも身内以外で一番最初に来たのもこいつだった。尤もそのころはまだ俺が目を覚ましていなかったので記憶には当然ないのだが、ずっとそばに居てくれた怜が言うにはそうらしい。

「彼氏が大変なことになってるのに、来なかったんだ」難しそうな顔で夏井は呟いた。「自業自得じゃん」とさらに小声で彼女は、とても忌々しげに呟いた。

 それから夏井は躊躇うように視線を明後日の方向へ向けながらも「でも三島君は、その人のこと、まだ好き、なんだよね」と訊いてきた。

「ああ」と俺は短く答えて、窓の方へ目をやった。雪が勢いを増して、白い雪片が舞い踊り、路面を白く埋め始めていた。

「お姉さんのことは、昔から、だよね」

 俺は頷いた。「けど、うちに引き取られて姉になって、だから諦めようと思って頑張ってたんだ。義理とは言え姉弟はダメだろうって。でも普通に幼なじみだった頃からずっと秘めてた想いだったからそう簡単に手放せるもんでもなくてさ。そうこうしてるうちにさくらさんに出会って、そのとき初めて怜以外の女性に心を奪われたんだ。この人だったら怜を諦められるって思えた。きっとあの事故がなければ、俺とさくらさんはいまも恋人同士だったと思う」

「その人が初めてだったんだ」今度はとても憎々しげに呟いた。しかしすぐに何事も亡かったかのように神妙な表情に戻ると、「そっか。なんか複雑だね。藪から棒、だっけ。無理矢理首突っ込んじゃってごめんなさい」としおらしく彼女は言った。「そんなところに軽々しく入って行こうとしてた私がバカだったかも」

「やっぱりそういう視点になるんだな」

「でも、まだ私、三島君のこと諦めるつもりはないから。私にだってそう簡単に諦められないだけの理由があるんだから。そう言う気持ち、三島君なら判るよね」

「まあ、言わんとしてることは判らなくもないけどさ」

「うん。だからまだ諦めない。三島君はね。そばで見てると陽炎みたいなの。それなりに近くに見えるのに、近づこうとしても距離が縮まらない。かといって遠くに行くわけでもない。どうにかすればその手をつかめるんじゃないかって希望を残して行くから、余計に諦められないの」

「でも一回ちゃんと振ったぞ」

「けど、いま二人っきりのデートに付き合ってくれてる」

 真面目な顔で夏井は言った。

 そう言われればそうだ。友達付き合いとはいえ、一度振った、でも自分のことを諦めていない相手と二人きりで出かけるというのは、確かになんだか妙な話だ。

「そういう無責任に優しいところは直さないと、いつか絶対面倒なトラブル引き起こすと思うよ」

 すでに若干面倒な事にはなっているのだけれど、敢えて口には出さず視線をまた窓の外に向けて何となく逃げた。

 駅前のバス停で下車した。

 切符を買って上りの電車に乗り込んだ。一駅、二駅と過ぎる事に車窓から見える景色が都市化してゆく。三駅目ではすっかり都会の風景になっていた。俺たちはそこで降りた。

 どこへ向かうのだろうか、という疑問は相変わらずついて回ったが、訊いたところで答えないだろうから、黙って彼女の隣を歩いた。

 流石にクリスマスシーズンというだけあって、それっぽいBGMや装飾で街中が溢れかえっていた。

「こっち」と言って夏井は大通りから外れた横道に入った。

 急に人通りが減って、辺りが静かになる。

 どこへ行くのだろうと思いながら俺は彼女についていった。

 五分ほど歩いたところで彼女は足を止めた。

「ここが今日の目的地」

 そこは一軒の、こじんまりとした雑貨屋さんだった。店内の照明は、商品を吟味するための最低限の明るさはあるものの、スーパー等の雑貨コーナー等と比べるとかなり薄暗い。店内のBGMはクリスマスソングではあるが、先ほどまで嫌でも聴かされていた喧しい脳天気なものではなく、著名なジャズシンガーがカバーした音源が控えめの音量で流れていた。並んでいる商品も大量生産されている物ではなく、全て職人の手作りの品であるようだった。総じて、夏井がチョイスしたと思うとミスマッチな店である。

「なにか失礼なこと考えてるでしょ」

 木彫りの熊のキーホルダーに目を奪われていたはずの夏井が不服そうに睨んでいた。

「お前にはあんまり似合わない雰囲気の店だなって」俺は包み隠さず言った。

「言うと思った」夏井はため息をついた。「私も親戚の子に教えてもらうまで存在も知らなかったから」

 なるほど。夏井のチョイスではないのなら納得だ。

「また失礼なこと考えてる」

「なんで判るんだよ」

「ずぅっと隣で見てたんだもん。判るよそれくらい」

 そう言うものなのだろうか。疑問には思ったがわざわざ反論するようなことでもなかったので無理矢理納得して話題を流した。

「ところで何を買いに来たんだ?」

「23日って祝日でしょ?」夏井は言った。「うちでクリスマス会することになったから、その飾り付けのための小物を探しに来たの」

「なんだそれ聞いてないぞ」

「三島君にはまだ言ってなかったから。今日伝えればいいかなって思って。他のみんなにはもう連絡してて、参加も確認済みだよ」

 公康の予想は見事に的中していた様だ。

「でもいいのか?」

「うん。その日お父さん仕事で帰ってこないから。一人で居るよりみんなで騒いだ方が楽しいじゃん? やっぱり。ちゃんと許可もとってあるから大丈夫だよ」

 それなら遠慮する理由もない。23日なら、まあ怜もそこまでうるさくは言わないだろう。

「でさ、一つお願いがあるんだけど」

「なんだよ」なんだか少しだけ面倒事のにおいがする。俺は身構えながら彼女を見た。

「せっかくだから私三島君の手作りケーキが食べたいんだけど、だめかな」

「お前がホストなんだから、そっちで用意しろよ」

「実は飾り付けに使いすぎて、今月あんまりお小遣いなくてさ。お父さんにお願いするのもちょっと気が引けて、ケーキとか用意できてないんだよね」

「そこはちゃんと計算に入れておけよ」俺は呆れて言った。

「うう。耳が痛い。でもお願い。ちゃんとあとで埋め合わせするから」

「判ったよ」俺は言った。ここは一つ貸しを作って置いた方が後々どこかで生きてくるかも知れない。

「ありがとう。三島君」

「ていうか、お前も手伝えよ」

「うん」

 嬉しそうに夏井は頷いた。

「それはそうと、一体どんな小物を探してんだ?」

「テーブルに飾る何か」

「また曖昧な」

「それっぽいのでいいの」

 夏井は重ねて曖昧なことを言う。掘り下げても無駄だろうから、判ったと答えて品定めを始めた。

 順番に棚を見ていると、少し上等そうな色鉛筆が目に留まった。そういえばまだ怜へのプレゼントが決まっていなかったし、これがいいかもしれない。値段も一応手がでる範囲のものだ。

「色鉛筆?」

 こちらのかごの中をのぞき込んで夏井が不思議そうに首を傾げた。

「個人的な買い物」

「三島君、絵、とんでもなくヘタだよね」

「俺が書くんじゃないからな」

「あ、お姉さんへのプレゼントか。私とデートしてるときにそう言うことするんだ」

 夏井は拗ねたようにほっぺたを膨らませる。

「別にいいだろ。それはそうと、決まったのか?」

 夏井の買い物かごの中にいくつか商品が入ってるのを見つけて、俺はそっちに話題を逸らした。

「うん。これとか良くない?」

 かごから取り出したのは、サンタがトナカイが曳く橇に乗り雪原を駆ける姿を象った置物だった。

「確かに無難にそれっぽいな」

「あと、ほら、これとかかわいくない? あくびしてる猫の置物だよ」

「いいんじゃないか」よく判らなかったので適当に相づちを打った。

「あれはいいのか?」俺は先ほど夏井が熱心に見つめていたキーホルダーを指した。

「え? ああ。見てただけだって。ほら、そんなことより、早くお会計済ませちゃお」

 夏井がレジへ向かったのを確認してからそのキーホルダーを自分の買い物かごに忍ばせた。大した値段ではない。怜へのプレゼントと合わせても十分足りる。俺もレジへ向かった。

 色鉛筆は包装をしてもらった。包装紙の柄やリボン等を選んでいると思いの外時間がかかってしまった。

 夏井は店外の軒下に設えてあったベンチに座って待っていた。

「寒い」

「すまん」

「お姉さんのプレゼント選んでたの?」

「そう言うこと、あと、ほらこれ」

 俺は紙袋の中からキーホルダーを取り出した。

「え、いいの?」

 夏井は驚いた表情で俺を見上げた。

「良いも悪いもあるか。買ったんだから黙って受け取れ」

「うん」

 キーホルダーを受け取った夏井は、それを胸のところで大事そうにぎゅっと抱きしめた。

「ありがと」

「おう」

 もっとひねくれた反応をすると思っていたのに、全然そんなことはなくて、その素直な喜びように、俺は思わず困惑して、ぶっきらぼうな返事しか出来なかった。

 それから夏井は持っていたバッグにキーホルダーをつけた。

「どう?」

「いいんじゃないか?」

「うん。そうだよね。そうに決まってる。だって三島君が買ってくれたプレゼントを私がつけてるんだもん」

 全く理解不能な理論ではあったが無邪気にはしゃぐ夏井を見ていると、なんだかそれも判るような気がした。同時に何とも言えない瑞々しい気持ちが胸の奥から沸き上がってきて、心臓が一度、とにかく大きく跳ねた。気が付いた時にはただ夏井を見つめていた。そこから我に返るまでに実に数十秒もの時間を要した。そして、まるで退いた波がまた押し寄せるかのような勢いで罪悪感がやってきた。何に対するものかは言うまでもない。第三波は自己嫌悪を伴ってやってきた。

 婚約者が居て、それで振った相手に今更見惚れて、胸をときめかせたのだ。これほど馬鹿げたこともないだろう。さくらさんだけではない。夏井にすらある種熱を込めた視線を送ってしまった自分にただ呆れ、失望し、しかし受け入れるほかなかった。

「ねえ、お腹空かない?」夏井が言った。「私はぺこぺこ」

「そう言われるとそう言う気がしてくる」

「なにそれ」

「昼飯って食わなくても割と平気じゃんか」

「そう? 私は三食ちゃんと食べないと元気でないな」

「ならどっかで食うか?」

「うん」そう言うのを待ってたとばかりに彼女は元気に頷いた。食わなくても元気じゃん。

 大通りに戻って、人波に流されながら店を探す。なにしろ俺たちは中学生で、しかも買い物の後で、帰りの交通費も考えないといけないからそんなに高いところには入れない。

「俺はなんでもいいんだけどさ。夏井は何か食べたいものあるか?」

「本格的にお腹減ってきたから結構しっかり食べたい」

「どういうのを」

「それは三島君にお任せ。ちゃんとエスコートしてね?」

「はいはい」溜息混じりに俺は答えた。「けど文句言うなよ」

 実は気になっていた店があるのだ。俺は夏井の腕を掴むと、人の流れに逆らって歩き始めた。

「ちょっと、三島君」

「いいから黙ってついてこい」

 俺たちが降りた駅のすぐそばにある一軒の定食屋に入った。前を通ったとき、ふと漂ってきた出汁の香りと、軒先に展示してあった親子丼の写真が妙に脳裏に焼き付いていたのだ。

「なんだかちょっと渋いチョイスだね。おそば屋さんだよ、ここ」

「いいか、夏井。蕎麦屋のどんぶりってのはめちゃくちゃ旨いんだ。その上、ほら、この料金表を見てみろ。そんなに高くない」

「もしかして、三島君ってこう言うの好きなの?」

「俺が好きっていうよりは、怜が好きなんだよな。たまに二人で出かけるとこう言うところで食うんだ」

「私とのデートなのにそういう理由でこういうとこを選ぶんだ」

「他意はないぞ」

「余計にひどい!」彼女は怒鳴った。しかし腹は間違いなく減っているようで、怒声に続いて腹の虫が大声で鳴いた。怒りなのか羞恥なのか。とにかく彼女は顔を赤くして、「はやく食べようよ、ほら!」と引き戸をあけると、俺の腕を引っ張って店の中に入った




     つづく

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