Broken Love Was Piled Up. As snow…Chapter3"Die together. and we will become immortal 1"
1
惨状。とにかく惨状である。恐らく昨夜からつけっぱなしでああろう暖房でリビングにはむっとする様な暖かい空気が蟠り、散乱したおつまみの袋にビールの缶とジュースの缶のタワーが築かれ、テーブルの上には昨夜の宴の名残を思わせる汚れた皿がいくつも並び、空になったワインボトルがカーペットに転がってそこからこぼれたワインレッドが染みを作っていた。そしてソファの上で母さんが寝ていた。布団を掛けられていたが、怜が掛けてやったのだろう。幸い、というべきかこの飲んだくれの巣の中に怜の姿はなかった。簡単に部屋を片づけてから怜の部屋へ向かった。
ノックをしても返事がない。寝ているのか、作業に集中しているのか。しばらく考えてから、そっと扉を開けて中を伺った。
こっちはこっちで酷かった。
よっぽど根を詰めたらしく、怜は机に突っ伏して気絶するように眠っていた。床一面に資料とおぼしき書籍が散乱して、アイディアが出てこなくて荒れていたのか棚から小物が落ちて、まるでそれなりの震度の地震に遭ったかのような散らかりっぷりである。
まずは何から手を着けるべきか、などと考えていると上着のポケットの携帯が振動し始めた。夏井からだ。しばらく待って切れるのを待ったが、しつこくバイブレーションを続けるので仕方なく電話に出た。
「どうかしたか?」
「おそい」
「すまんすまん。鞄の奥に入っててすぐに取り出せなかったんだ」
「そっか。ならしかたないね。でも次からはすぐに出れるところに置いといた方がいいよ? ところで、なんだけど。今日時間ある?」
「あるといえばある」片づけは、まあ後からでもいいか。
「じゃあ11時にH町の図書館前ね」決定事項のように彼女は言う。こういう時は逆らわない方が良い。三年間の付き合いで学んだ事だ。そして大抵何か悪いことが起こるので気が進まないと言えばそうなのだが。
怜のデスクの上のデジタル時計で時刻を確認する。いまは10時前だ。移動時間を考えると、余裕があると言えるほど時間がある訳ではないが、ないとも言えない微妙な時間だ。
「りょーかい」俺は答えた。
「それじゃ」
彼女の受け答えが妙に素っ気ない感じだったので進まない気が後退を始めそうになる。
「おう」短く答えて通話を終えた。
溜息がこぼれる。どうしてこうなるのだろう。夏井のこういう誘いに対してどうしてか断れない。どうせ碌でもないことになるのは判っているのだから。
「誰?」
「ひゅいっ!?」
「なにその河童みたいな驚き方」
怜の上半身がのそのそと起き上がり、長い髪がさらさらと肩からこぼれ落ちる。
「その反応。あの子でしょ」そう言って彼女は振り返る。顔がむくんで、クマが出来ているせいか、とんでもなく怖い。まるで柳の下の幽霊だ。おまけに顔に机の跡がついている。
「それはその、あれだ」
「あれって?」口元だけでにっこり笑う。
「はい。その通りです」
「安請け合いしちゃったんだ」
「はい」
「そうちゃん」
「はい」
「ばーか」
「返す言葉も御座いません」
「さくらさはどうだった?」そう言って彼女は大きくのびをした。
「熱は下がったからもう大丈夫」
「そっか。良かった。で、もう一つ」
「なにもなかったぞ」最後の一線を死守できたので嘘ではない。かもしれない。だがあのことを話すと余計な心配をさせそうだったので、言い出せなかった。
「本当に?」そう言って彼女は手招きした。俺は誘われるまま、怜の前で膝立ちになった。正面から抱きしめられる。頬にふれる着物の感触。少しくすぐったい彼女の髪。いつものシャンプーの香りと、その中で不思議と独立して感じる怜だけの匂い。心が安らぐ。寝不足と相俟って眠りそうになる。
「ねえそうちゃん」
呼ばれてはっとした。声色が固い。
「キスマーク、あるんだけど」
「へ?」
「なにしてたのかな?」
「いや、何もしてないぞ。だいたいそんなことする隙もなかったはずだし」そう寝てないんだから、知らない間にそんなことされるはずも。いや、待て。そう言えばこたつで眠ってた時間があった。
「そうちゃん?」
「一つ言っておくけど、俺からは何もしてないぞ」
「心当たりはあるんだ」
「ちょっとうたた寝してた隙にやられたかもです。はい」
「そうちゃんは隙だらけ過ぎるんだよね」呆れた様に彼女は言う。そして強く抱きしめられた。息苦しくなるけれど抵抗せずになすがまま、されるがまま、俺は怜の胸に顔を埋める。罪悪感とか後悔とか。いろんな感情がわき上がってくるのを抑えるように、俺は彼女にすがりついて抱きしめ返す。
「おかえりなさい」優しい声で彼女は言った。
「ただいま」俺はなぜだか泣きそうになった。
怜が与えてくる無償の愛が、時々重くのしかかることがある。その愛の、深さと重さとが、果たして自分と釣り合っているのか疑問に思うことさえある。そして本当に自分が怜にとって相応しいのか不安になる。決まって後ろめたい時にそんな考えにとらわれる。そして何やかんや許してくれる怜に、頭が上がらなくなる。もし許してもらえなくて、俺から離れて行ってしまったら、なんて考えると恐ろしくてたまらなくなる。相応しいかどうかは別として、あの事故以来、俺にとって怜は、俺という人間を成り立たせる為の重要な要素であり、失うことなどあってはならない存在となっていた。
抱きしめていた力がふっとなくなった。怜は腕を解いて、俺が抱きついている形になった。
「本当は、何かあったんでしょ」彼女の黒く深く澄んだ瞳が俺を見つめる。見透かしているという次元では最早ない。判っているのだ。「さくら怖いもんね。私もさくらのことはちょっと怖いから、判るよ」
彼女の手が、俺の頭を撫でる。
「ごめんなさい。全部私が悪いの。あのとき、つい感情的になって挑発するようなこと言っちゃったから。だから多分そのせい」
違う、俺のせいだ。俺がちゃんとさくらさんのことに決着をつけられていないから。自業自得なんだ。
けれどその言葉が上手く言葉にできない。言い出そうとして喉のあたりで言葉がつっかえて、腹の底に戻っていく。
「そうちゃんは自分のせいだ、って思ってるかも知れないけれど、そうじゃないよ」彼女の前では考えていることなど全部お見通しなのだ。「悪いのは私なの。ぜーんぶ私の不始末」
無理に背負い込もうという風ではない。怜は本当に自分に責任があると考えてる。
「もう一年経つから白状するけれど、実は業を煮やして首根っこ掴んででもさくらを連れて来ようって考えたこともあったの。だってさくらは親友だし、そうちゃんの彼女だったから。そうちゃんが事故に遭ったのは自分のせいだって自分を責めて塞ぎ込んでるさくらを励まさなきゃって思ったこともあった。でもいざ行動を起こそうとすると、そのたびに頭の中で囁く声が聞こえたの。ここを逃したらお前は一生ただの姉として生きるしかない。それでもいいのか、って。そして私は何もせず、そうちゃんの恋人になった」
怜は悲しげな目で、後悔を吐き出すように、言った。
「私は卑怯者なの。卑怯でずるくてあくどい。でも怖かった。私はそうちゃんのおかげでいまがあるのに、そのそうちゃんがほかの誰かに、それがたとえ親友であっても、取られるのが怖かった。自分だけのそうちゃんで居て欲しかった。だから私はさくらをあの時見捨てたの。今も後悔してる。もっと他に方法はなかったのかなって考えることもある。過ぎたことなのにね」
俺も腕をほどいて、それから立ち上がった。
「怜の考えも判るんだけど、でも俺だって、中途半端なこと続けてる俺だって悪いんだから、全部自分が悪いみたいなことは言わないでくれよ」
「確かに、さくらが今みたいな事になってるのはそうちゃんが中途半端に付け入る隙を見せてるからなのは間違いないと思う。でも、そうちゃんはまだ気持ちに決着つけれてないんでしょ?」
俺は口ごもって、答えられない。
「さくらのことも、私のこともどっちも好き」怜はにっこり笑ってから、すっと俺の顔の方に手を伸ばした。何をするのかと思ったら思いっきりデコピンを食らった。
「いってえ」
「そうちゃんって贅沢だよね。私みたいに美人でそうちゃんのことよく理解してる婚約者が居るのに。さくらもさくらよ。諦める風でもないし、かといって積極的に奪いにもこないし。愛人ポジション気取ってそうちゃんとベタベタしてるし」
「怜?」
「なに」
「妬いてる?」
「いまにも蛇になりそう」
流石に安珍みたいにはなりたくない。まあ逃げ込む鐘はないけれど、逃げ出す理由も特にない。
俺は怜の肩を掴み、まっすぐに見つめた。
「あ、いや、だめ」唇が触れ合う瞬間に、怜が恥じらった。普段はあまり見せないリアクションだ。「昨日焼き肉食べたし、夜食食べて寝落ちしたから歯ちゃんと磨いてないし。だから――」
臭うと言いたかったのだろうが、問答無用で俺は唇を重ね合わせた。強引に舌をからませる。確かにニンニクとか、多分お好み焼きのソースとかが混じったすごくカオスな匂いがした。
「キスで誤魔化そうとするのは悪い癖だと思うんだよね」顔を赤くしながら怜は言った。「それはそうと、そろそろ行かなくても大丈夫?」
言われて時間を確認した。
「あんまり大丈夫じゃないな」
「ねえそうちゃん」
「なに?」
「さくらのことはいろいろ事情があるから、まだそれなりに許容は出来る。でもあの子はダメだよ。私、そこまでは許せる自信はないし、つもりもないから。もしなにかあったら、何しでかすか判らないから」
ただの脅しではない。
本当にそうなるかもしれないから警告しているのだ。
目を見れば判る。
「判ってる」俺は答えた。
「そうちゃんが判ってても、あの子は判ってないから。だから気をつけるように。いい?」
「ああ」
「それじゃあこれを」
怜は引き出しを開け、そこから何か取り出した。
「お守り?」
「私の手作りなの」
少々大ぶりで、中に何が入っているのか、妙にずっしりと重たい。手触りからしてソリッドな質感の物体が入っているらしい。
「悪い虫がつかないように丹精込めて作ったから、大事にしてね」
にっこりと微笑む。柔和に細めたその目の奥で「絶対に中はみるな」と脅しているように見えたので、俺は「ありがとう」と答えるとすぐに上着のポケットに突っ込んだ。
「それじゃあ行ってくる」
「いってらっしゃい」
つづく
お久しぶりです。今年中にはなんとかこの分全部投稿したいです。次回は今週中に出来れば