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時間は待ってくれない。
あっという間に大学祭の日となってしまった。
あの日、成美さんと会い、別れた後すぐにメールを送った。
その後、待ち合わせ場所と時間が指定されたメールが送られてきて、返信をすませ、連絡のやり取りは終わった。
昨日も、一応何通か成美さんからメールが来ていたが、仕事関係の話ばかりでさっぱりだった。
指定された時刻は、十一時。学校の裏門だそうだ。普段は使わない裏門だから、少し行くのに手間取った。
時計に目をやると、もうすぐ十時五十分になろうとしていた。
あと、十分ぐらい。
大学祭の開催は、十時から。といっても、昼までは特にイベントごともなく、本番は昼から夜にかけてといわれている。
亮平は、店の看板として駆り出されていて、今日一日自由には動けないようだ。
大学祭は、数日に分けて行われる。
毎年、一番盛り上がってイベントがすごいのが初日らしい。
今日も『スペシャルゲストの秋本 明日香、金森 優華、土城 成美……』と様々な芸能人の名前を出して、アナウンスを流している。今年の実行委員の力の入れようが尋常じゃない。
無駄に、緊張するな。
あの別れ方をしてから、俺は一方的に明日香を見てきた。苦しくなるから、なるべくテレビはつけないようにしていたけど。
ふう、とため息をつく。緊張を和らげようとおもってしたことなんだけど、まったくとして効果なし。
人っていう文字を手のひらに書いて、食べてみる。うん、効果なし。
じゃあこれはどうだ、手にリンゴの絵を描いてにおいをかいでみる。そうすると、人によってはリンゴの匂いがするらしい。匂いをかごうとしたところへ、下からちょんとお手を押し上げてあげると、その人の手が鼻にぶつかってイタイイタイになっちゃうっていう……。あれ、なんか途中から変になった。
……明日香は、俺を見てどう思うだろうか。
成美さんは、俺のことを伝えているのだろうか。
大きく息をすったところに、車が近寄ってくる音がした。白い車だ。俺が想像していたのは、ロケバスといわれるようなものだったけど、普通に小さい車だった。
予想通り、車は裏口に止まり、後部座席が開く。中からは、いつもよりもお洒落な成美さんが出てきた。
一人で。
「あれ、明日香……さんは?」
俺がそう聞くと、成美さんは頬を膨らませ、顔を横に向け拗ねたような表情を浮かべた。
「ふん、一言目がそれ!?」
「あ、違うんだ。なんか、来るって聞いて緊張していたからさ。よこうそ、大学祭へ」
にっこりと笑って言うと、成美さんも笑って頷いた。
助手席から、女の人が降りてくる。スーツを着ていて、いかにも大人の女性って感じがする。でも、見た目はそこまで年齢行ってなさそう。二十代後半か?
「ごめんなさい、うちの成美がわがまま言ったようで」
どうやら、マネージャーのようだ。
「いや、別に大丈夫ですよ。もし、成美さんに何かあって、大学に傷がつくようなことは、ここの学生としても悲しいので」
「そうですか。ありがとうございます。では、今日一日、よろしくおねがいしますね」
マネージャーがもう一度車に乗り込むと、窓を開けて成美さんに「迷惑かけちゃだめだよ。あと、十三時に控室に来るように。分かった?」と念を押していた。
成美さんは成美さんで、分かりました、と仕事人らしく答える。どうやら、成美さんは仕事の時間より早めにきたみたいだ。
「じゃあ、行こっか!」
成美さんが車のほうから振り返ると、そこには芸能人としてではなく、ただの女の子としての笑顔があった。
「おっけ」
「えっと、風紀君?」
一歩進んだところで、成美さんが立ち止まる。
「ん?」
「風紀って呼んでもいいかな?」
「え、あぁ。別にいいけど」
「じゃあ、私のことも成美って呼んで!」
呼び捨ては、若干抵抗あるな……。
「決まりね! 今度『さん』とかつけて呼んだら、泣いちゃうんだから」
強引に決められたその内容に、何も反論できずその場は終わってしまった。
「とりあえず、十三時まではフリーだから、一緒に回ろうね」
「まぁ、最初からそのつもりだけど」
だって、一応はボディーガードだし。
「でも、手を繋ぐとかはNGなんだから。うちの事務所、無駄にそういうところ厳しいんだよねぇ……」
はぁ、と成美は大きくため息をつく。その厳しさは、身をもって体感しているんだけどね。
「とりあえず、おなか減ったからご飯食べたいなぁ」
「ご飯ねぇ。大学祭だから、その辺に出店たくさんあるけど」
ゆっくりは出来ないな。
今日の成美は、前以上に変装とか、自分のことを隠そうとしていない。そのせいか、さっきから歩いていると、無駄に注目を浴びている気がする。遠くからは「あれ、土城 成美じゃない?」なんて声が聞こえてくるし。
「……気になる?」
「何が?」
「視線っていうか……ね」
えへへ、と苦笑いを浮かべる成美。
「もう、私は慣れっこだけど、風紀はそうでもないかな?」
「いや、別に大丈夫だよ」
なんたって、ずっと亮平の隣にいたのだから。高校のときなんか、それに明日香がプラスされるんだ。注目度で言ったら、今日と同じぐらいだ。
それにしても、見られているなぁ。
周りに視線を向ける。俺の風貌は、さほど威圧出来るほどでもない。他人から見たら、俺が成美のマネージャーのようにも見えるのだろう。
カップルには……見えないか。
「あのぉ……成美さんですよね?」
一人の女性が、成美に近づいていた。こういう場合は、どうすればいいんだろう。
「そうですよ! 今日のイベント、来てくださいね♪」
営業スマイルっていうのか、どうなのか分からないけど、俺が今まで見てきた(そう日はないけど)成美の笑顔とはまた違った気がする。
「はい!」
そう言って、女性は離れて行った。遠くの方で、友達とキャーキャー騒いでる。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ、慣れっこだもの。まぁ、女の子はいいけど、男性が来たらブロックしてね」
「了解」
それから、何度か声を掛けられることが何度もあった。大体は女性だ。聞くところによると、成美は女性向けファッション誌によく乗っているらしい。男性もちょこちょこ来ているけど、そこまで面倒なやつは来なかった。一言いえば、離れてくれる人達ばかり。
「あそこなんてどう?」
大学の校舎内に入り、ぐるぐる回っていると、成美が『キャッツカフェ!』と書かれたところを指さした。
「あぁ、いいんじゃね?」
「決まりね!」
そのまま、一人で先に歩いていく。俺も、その後ろを少し早歩きで追いかけた。
「いらっしゃいませにゃー!」
部屋に入ると、一斉に女の子のそう言う声が聞こえてきた。
「二名さまにゃ?」
メイド服に似た何かと、猫耳カチューシャを被った女の人が出迎えてくれた。
「うん、二名様!」
「かしこまりましたにゃ! こちらへどうぞにゃ!」
元気よくハキハキ喋る女の子に、なにかしらの違和感を感じながら、俺たちは席へと案内された。
「なんかすごいね、こういうところ!」
「あぁ、すごいな……」
なんか、高校時代にやった明日香のコスプレ集を思い出す。猫耳メイドから始まり、学ランとか吸血鬼だった。どれも全部かわいすぎて、鼻血でそうだったのは言いも思い出だな。
「い、いらっしゃいませにゃん? メニューはこちらにありますにゃん」
そう言って、メニューと水が一緒に出された。
……が、どこかで聞き覚えのある声だった。
「え、風紀センパイ……」
「神子?」
お互いに目をあわせて、俺は吹き出し、神子はその場にしゃがみこんだ。
「お、おい。にゃんってなんだよ、にゃんって! お前、そういうキャラじゃないだろ!」
笑いが止まらなくなった俺を見て、成美さんはぽかんとしていた。
「知り合い?」
「あぁ、高校の後輩でもあり、大学の後輩なんだ」
「そっか。可愛らしい子ね」
しゃがみこんでいる神子の頭に、成美の手が伸びる。やっぱり、こいつは人形らしく扱われる才能があるらしい。
恥ずかしさもやんだのか、神子は冷静さを少々取り戻したようだ。
「こんにちは。佐原 神子です。って……え? 風紀センパイ、こちらの方ってもしかして……」
「あぁ、神子でもやっぱり知っていたか。土城 成美だよ」
「知っていたとかのレベルじゃないですよ! 大ファンです! あ、握手してください!」
「え、えぇ……」
あまりのハイテンションに、営業スマイルが若干崩れた成美が握手をした。
「な、なんで風紀センパイと?」
「今日、成美のボディーガードしているんだ。何かと、人気者は大変らしいからな」
「ボボボボディーガードって……。これだけ見ていたら、たんなるデートですよ、デート!!」
「いや、そんな風に見えないだろ。成美と俺じゃ、格差がありすぎるって」
「まぁ、確かに……」
「納得するなよ! フォローしろよ!」
俺がつっこむと、前に座っている成美がクスクス笑いだした。
「ごめん。こいつ、面白いやつだろ? ほら、仕事に戻れよ」
「え、あ、はい。って、違います! 早く、注文してください!」
「あれ、語尾のにゃあは?」
俺がそう聞くと、神子は悔しそうに口をつむんで呟いた。
「ちゅ、注文してくださいにゃあ……」
もちろん、俺の笑いが再び起こったことは言うまでもない。