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時たま、同じ夢を見る。そう遠くない過去の夢。
あいつはいつも笑っていた。
俺の前で、あの太陽のような笑顔を。
俺には眩しすぎた。俺だけに留まるはずがないと悟った。
あの笑顔は
あの演技は
あいつの存在は
俺だけのものにしてはいけないと感じた。
いつも、夢の中ではあいつは笑っているだけだった。
何をしゃべることなく、ただ二人で笑いあっている夢。
「おい、風紀大丈夫か?」
亮平の声で、目が覚めた。男の声で起きるっていうのは、なかなか嬉しくない体験だな。
「おはよ……ってか、また勝手に入ったのかよ」
いつの間にか所持されていた俺の家の合鍵。亮平だから許したものの、こいつの才能は世界でさえ騙せそうな気がする。
「うなされていたぞ」
いつものように、亮平は会話のキャッチボールをしようとせず、勝手に話を進めてきた。
確かに、いい夢ではなかった。俺にとっては悲しい夢。過去の夢。
後悔はしていないはず。あいつが出ているテレビを見ると、どういうわけか、心が痛むけど。
「で、今日はまたなんでこんな時間に?」
時計に目を向けると、朝の八時。今日は土曜日。あの、カメラマン助手作業から、丸々一週間が経った。
この時間に、しかも身なりを整えている亮平を見ると嫌な予感しかしないんだけど。
「シマさんに、風紀君にまた来てもらえないかって誘われたからさ。ほら、早く支度しろ」
「俺の予定はガン無視かよ!」
「お前、今日何もないだろ? 明日、風紀がいつも買っている作家さんの文庫発売日だから、買いにいくだろうけど」
なんで、お前はそこまで把握済みなんだよ。
「ふふふ、俺に隠し事は出来ないぜ。なんなら、風紀の最近はまっているAV女優の名前も……」
「もういい。分かった。行くよ、行けばいいんだろ!」
俺にプライベートという文字はないのかよ。
とりあえず、普段着に着替えて、亮平のご飯を作ってから家を出た。亮平の話によると、今日の撮影は昼かららしい。じゃあ、なんでこんなに朝早くに起こされたか聞いたら、どうやら撮影前に行きたいところがあるとかなんとか。
歩き出して十分。あまり、俺は近づかなさそうな喫茶店にたどり着いた。いつも俺たちが寄る喫茶店と言えば、全国チェーンのスタ○とかだし。こういう、洒落たお店にはあまり来ない。
「なんかあるのか?」
「まぁ、いいから付いて来いって」
カランカランという、春にぴったりの音が店内に響き渡った。俺たちを出迎えてくれた店員も、普通のバイトさんとは違う雰囲気を醸し出している。俺の服装チョイス間違えたな。
ただ、手伝うだけだしいっかみたいなノリで出てきたから。
「やぁ」
手をあげて俺たちを迎えてくれたのは、シマさんだった。確かに、シマさんの雰囲気にはあってそうだ。
「こ、こんにちは」
俺は丁寧に頭を下げると、アハハハと軽い笑い声が聞こえてきた。
「そんな風にしなくていいよ。亮平君なんて、僕をイジってくるぐらいだからね」
「お、お前、そんなことしてんの!?」
亮平に問いただすと、頭をかきながら照れた表情をしていた。
「って、褒めてねぇよ!」
「そりゃどうも」
だから、褒めてないって!
「今日も風紀君に手伝ってもらっちゃって悪いね。なんか、風紀君がいると雰囲気がよくなるんだよね」
「こいつ、そういう才能があるんですよ」
いや、ねぇから。
「さて、本題に入ろう」
本題?
「あぁ、風紀。この前話したこと覚えているだろ? それについて、ちょっと追求してみたんだ、俺」
たぶん、この前話したことっていうのは、どうしてシマさんがカメラマンになったかってこと?
俺たちの間では、優華さんを追いかけてっていう結果になったんだけど……いくらなんでも、聞き方が直球過ぎやしないかい?
「亮平君から、大体の話は聞いたよ」
その言葉で、俺の体は軽く硬直した。
「風紀君も、僕と似たような過去を持っているんだね」
「は、はい」
似たようなっていうか、ほとんど一緒っていうか。俺は、シマさんほどしっかりしていなかっただろうけど。
「苦しい決断だったよね」
一つ一つの言葉が重い。
「僕がカメラマンになった理由。確かに、優華に近付けるんじゃないかっていう気持ちは少なからずあった。でも、それが一番の理由ではないんだよ」
「え?」
「僕はね、最初は人を撮っていなかったんだ。といっても、カメラマン歴はこの業界ではとても短い。それなのに“最初は”って言葉を使うのはおかしいかもしれないが聞いてほしい。普通に風景を撮影するだけの、自己満足でしかなかったんだ。過去を思い出したくないばかりに、何かに夢中になりたかった」
気持ちは痛いほどわかる。実際、俺も同じような気持ちになっている。テレビが見るのが怖かった時期もあった。離れていく明日香を見ていられなかった。
「いつの日にかね、写真の整理をしているときに、ふと高校時代の写真が出てきたんだ。見たくないって気持ちもあったけど、なんとなく目を通してみたんだ。それは、僕がカメラ担当のときのだった。部活で合宿に行った時、一人ひとりの写真を撮っては撮りまくっていた。中には、恥ずかしい過去もあったりで面白かったよ」
そう言って、懐かしそうにシマさんは笑った。
「そして、その中から一枚。僕の人生を変えるほどの写真が見つかった」
きっと、それは……
「優華の写真だった。あの当時から、僕たちは付き合っていた。隠し通そうと必死だったけど、たぶんみんなに知られていただろうね。学校のアイドルだったからね、優華は。合宿中に、自由時間っていうのがあってね、僕たちは二人でまわったんだ。もちろん、カメラ係りの僕は、さまざまな写真を撮ったさ。その中に、彼女が映った写真があった」
そう言って、シマさんは鞄の中から何か箱を取り出した。
「それが、これさ」
手のひらに収まりそうな小さな箱を開けると、そこから一枚の写真が出てきた。
「優華……さん?」
海を背景に、振り返って笑っている優華さんだった。今より少し若い。でも、美しさは損なわれてなかった。夜空いっぱいに浮かんでいる星達のような笑顔だった。
「綺麗だろ」
俺と亮平は無言でうなずく。
「この笑顔を、俺だけのものにしていいのかって思ったんだ」
シマさんの言葉が胸に刺さった。まるで、自分を見ているかのようだった。
「風紀君も、同じだろ?」
何も言わずとも、シマさんは俺の心を感じ取ったらしい。
「難しい決断だったさ。優華に後悔などしてほしくなかった。僕は、泣きながら優華が所属している社長に頭を下げたよ。優華をお願いしますって」
「でも、僕はこれを見てカメラマンになろうと思ったんだ。優華以外の人から、こんな笑顔が撮れるのか試してみようって。でも、駄目だよね。今でも、カメラを撮る時は、優華を思い浮かべてしまうんだ」
それ以上、言葉は続かなかった。
その日の撮影はあまり覚えていない。ただ、あんな話をしたシマさん本人は、前と変わらない笑顔で写真を撮っていることだけは覚えていた。