5-1
「風紀センパイ、大丈夫ですか!? なんで、こんなところで倒れているんですか! きゅ、救急車、呼ばなくちゃ!」
声が聞こえる。この声……神子か?
うつ伏せに倒れていた俺の体は、神子によって視界に空が映るようになった。痛む脇腹を堪えながらも、神子が慌ててポケットから出した携帯に手を伸ばす。
「大丈夫、これぐらい……」
「大丈夫なら倒れてないでください! 心配するんですからねっ」
神子は今にも泣き出しそうな声をしていた。
「泣くなよ」
「泣いてませんっ!」
「泣いてんじゃん」
服の袖で、自分の涙を拭いている神子を見て、少しだけ面白く感じたし、可愛いなって思ってしまった。
って、こんなことしている場合じゃない。亮平は……もう行ったのか?
俺の手より、亮平の蹴りの方が先にあたり、力無く俺は倒れた。高校時代なら、絶対に俺の方が強かったのに。この三年、何もしていなかったのが駄目だったみたいだ。なんだかんだ、亮平は体を動かしていたし。その差か……。
亮平を止めないと。本当に、明日香のところに行って、明日香を奪われてしまう。
せっかく、明日香と話す勇気がついたのに、終わってたまるかよ。
「わりぃ、神子。ちょっと行かなくちゃいけないところがあるんだ」
不幸中の幸いか、今は神子に触られても大丈夫みたいだ。意識が朦朧としているからか、やるべきことがあるからなのか。でも、長時間は触っていられない。神子から体を離すと、俺は立ち上がった。
「どこいくんですか? もしかして、明日香センパイのところですか?」
神子が、いつもより真剣な目つきでそう聞いてきた。
「あぁ」
「行かせません」
え、行かせません? なんで、神子がそんなことを言うんだ?
「なんで?」
「行っても無駄です。明日香センパイは……風紀センパイに会いたくないはずです」
明日香が、俺に会いたくない……か。
「そっか。でも、行かなきゃ駄目なんだ。もう時間もない。ごめんな。気遣いありがとう」
神子の優しさに触れ、一歩踏み出した。しかし、再び神子の言葉で足を止められる。
「私、風紀センパイのこと好きです!」
大きな声だった。そして、いつもの神子とは違うような気がした。
「……神子?」
張り上げた声も、涙で霞んでいるように聞こえた。神子の、悲しい思いが、俺に伝わってくる。
「ずっと、好きでした。明日香センパイじゃなくて、私を見てくれませんか? 風紀……センパイ」
俺は、少し神子に近づく。触ることはできない。でも、俯いている神子の顔を覗き込むように、ゆっくりと屈んだ。
「神子、ありがとう」
涙があふれ出している。神子の言葉は嬉しい。素直にそう感じた。驚きもあった。でも、やっぱり。
「……でも、ごめん。俺は、明日香に会いに行かなくちゃいけないんだ。また、ゆっくり話そう。俺たちは、同じ大学なんだからさ」
撫でてやることが出来ない。いつも可愛く思っていた後輩が泣いているのに、必死に気持ちを伝えてくれたのに、優しく出来ないそんな自分に腹が立った。
そして、神子が涙を流す原因が俺にあっとことも。俺が、もっとしっかりしていれば、神子は泣かずに済んだ。こんな優柔不断な俺だから、神子を泣かすことになってしまった。
「……はいっ!」
神子は、袖で目を隠しながら、しゃがみこんだ。
「いってくる。また、明日会おう」
ごめん、神子。
俺は、背中を向けて走った。
たぶん、明日香はまだ裏門に居る。あれから、十分ほど過ぎているけど、そんな気がする。
走った。
走り続けた先に、見えてきた。二人の影。
誰かなんて、近づくまでもなかった。
まだ、二人とも俺には気づいていないみたい。なんたって、抱き合っているのだから。
亮平は俺に背中を向けて、明日香は亮平の腕の中。
一瞬止まりかけた足。
でも、地面を蹴った。こんなところで止まれない。
明日香の言葉を聞くまでは。まだ、絶望してはいけない。
……そんでもって、亮平。
俺は、亮平の肩を掴み、力いっぱい明日香から引き離した。
「明日香に何してんだ!」
そして、その勢いのまま、顔面に渾身の一撃をぶち込んだ。
「明日香っ!」
明日香の背中に手をまわして、抱きついた。強く、離さないように。
後ろで、亮平が立ち上がる音がする。でも、それに気を回せないぐらいに、目の前にいる明日香の存在を離すことをしたくなかった。
「ほらな、言っただろう?」
その言葉を呟いたのは亮平だ。さすがの俺も、振り返った。
「どういう……?」
しかし、明日香は俺から離れようとしなかった。明日香は、腕をまわして、離れないように必死にしがみついていた。
「ごめん、ごめんね、風紀。私、ずっと……ずっと」
「なんで、明日香が謝るんだよ」
良く分からない、今の状況が。
亮平は俺の後ろまでやってきて、明日香に一言呟いた。
「俺の言った通り、風紀は来てくれただろう?」
言った通り? だって、亮平は……明日香を俺から奪うためにここに来たんじゃ?
「まぁ、あとはよろしく」
困惑した俺を置いたまま、亮平は俺の肩をトントンと叩いて去って行った。
また、泣き声がする。明日香の声。こんなに近くで聞いたのは久しぶりで、そして……なんだか嬉しくて。
「明日香、ごめん。勝手に居なくなったりして」
「……ほんとだよ」
ゆっくりと、明日香の背中を撫でた。懐かしい感触を思い出しながら。