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神子ちゃんの言葉を疑った。
「なんで、そんなこと聞くの?」
神子ちゃんには関係ない! と叫びたかった。でも、それを許さない雰囲気が流れていた。
「……はっきり言います」
神子ちゃんが、体全体に力を入れているのが分かる。そして、手のひらがゆっくりと開くと同時に、言葉が聞こえた。
「私、風紀センパイのこと、昔から好きでした」
「……え」
「高校の時から、ずっと好きでした。でも、風紀センパイは明日香先輩一途ですし、幸せそうだったので、告白して惑わそうとか、邪魔しようとか思ったことはありませんでした」
神子ちゃんの震える声が聞こえてくる。
「でも、おかしいです。明日香センパイと別れた時から、ずっとおかしいです。だいたいの話は分かっているつもりです。風紀センパイが勝手に、明日香センパイのもとから去って行ったということも知っています。細かい事情までは分かりません。誰がどう見たって、風紀センパイが悪いです。あの男は鬼畜です。恨まれて当然です。ぶっ飛んじゃえばいいんです」
神子ちゃんの開かれていた手が、再び握られた。
「でも、でも! 明日香センパイも、流れるまま行かなくても良かったのではないでしょうか。明日香センパイだって、風紀センパイにもっと近寄って行くことが出来たはずです。もっともっと頑張れば、風紀センパイを見つけ出して、話を聞くことだって出来たはずです! 悪いのは、弱いのは風紀センパイだけではありません。明日香センパイも同じです!」
神子ちゃんの言葉に何も言い返せなかった。確かに、私も……逃げていた。風紀に会いに行くこと。もしかしたら、風紀は私を捨てたんじゃないかって。
優華さんや、渡利さん。いろんな人に、捨てられたんじゃないよって聞かされてきた。明日香の夢を――とか、綺麗な言葉を聞かされてきた。
それすら、嘘なんじゃないかって思ったこともあった。どうして、風紀は会いに来てくれないのだろうって思っていた。
待っているばかりだった。
自分の足は、動いていなかったのに。
「ねぇ、明日香センパイ。私は、明日香センパイのことも大好きです。憧れの人です。テレビだって絶対見ています。でも、ここはもう譲れません。明日香センパイが、風紀センパイを見放したんです」
違う、私は……
「風紀センパイを辛い気持ちにしているのは、明日香センパイです」
「ちが……う」
「違わない」
「違う!」
「じゃあ、どうして、今日喋ったりしなかったんですか? 何とも思っていないなら、ただの同級生だと思っているなら、喋れたはずです。亮平センパイにも、昔みたいに喋れたはずです」
でも、しなかった。ううん。出来なかった。
「どうですか、明日香センパイ。風紀センパイのこと、好きなんですか?」
「好き……だよ」
「なら、どうして、追いかけないんですか。こんなところで、別れていいんですか? これが、最後のチャンスかもしれませんよ」
でも、私は……。
少し俯いた私。すると、頬を叩かれた。
「……明日香センパイなんて、知りません!」
「神子ちゃん……?」
一歩踏み出す勇気が、私にはなかった。
「私は行きます」
「え?」
「風紀センパイのところに。あなたとは違うってところを見せつけます。そんな、明日香センパイになんかあげません。この、いくじなし!」
そう言って、神子ちゃんは走って行った。
頬に痛みが残る。
「神子ちゃん……」
自然と涙がこぼれてきて、その場に崩れ落ちた。
私、風紀と一緒にいる資格なんてないんじゃないかと思って。
「ごめん、風紀」
☆――――――――☆
「おい、風紀待てよ」
後ろから亮平に呼ばれ立ち止まった。
「なんだよ」
「はぁ……。お前、このまま行かせていいの?」
「何を?」
本当は分かっていた。亮平の言葉の意味。
「明日香、行かせていいのかって聞いてんの」
「……俺は、もう決めたんだ」
明日香の邪魔はしないって。明日香は、俺のところで止まっているような人じゃないんだ。
「これが最後かもしれないんだぞ? もう、会えないかもしれないんだぞ? 分かっているか?」
「あの時、俺はあいつの夢を邪魔しないって」
「それが何だって言うんだよ! あいつの夢、ちゃんと聞いたのかよ!」
亮平が俺の胸倉を掴んで、叫んだ。今まで、こういったことはあまりなかった。
「……聞いたよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「嘘だろぉが!」
亮平が胸倉をつかんだまま、にらみ合いが続く。
「離せよ」
「……もういいのかよ。本当に、明日香のこと」
「いいって言ってんだろ」
「好きなくせに」
俺は、イラっときて、無理やり亮平の手を払いのけた。
「好きだけど、好きだからこそ、我慢しなくちゃいけないことっていうのもあるんだよ!」
亮平は、その言葉に鼻で笑った。
「嘘だろ。明日香の存在が怖くなったんだろ。自分のもとに置いておけないからって、あいつを捨てたんだ」
「なっ!」
「そうじゃなきゃ、風紀のもとに居たがっていた明日香を見捨てるなんてこと普通はしない」
「お前……言っていいことと悪いことが!」
「黙れよ、風紀。なら、どうして、成美と共に行動しようと思ったんだ。明日香がいるかもって思ったからだろ? 明日香が来るって知っていたからだろう? 中途半端な奴。お前が、そんな弱いやつだと思っていなかったよ」
「亮平!」
殴りたきゃ、殴れ。そう顔に書いてあった。でも、俺の手は前には突き出せかった。どこにもぶつけられない気持ちが、拳に集まっている。
「なんだ、殴らないのか」
「お前を殴っても……何も解決しないから」
「じゃあ、俺が殴るよ」
言葉と同時に、俺の脳は揺れた。倒れこみそうな体を、必死に支えて亮平を見る。
「いってぇな!」
「言ったよな、昔。明日香とお前が幸せならそれでいいって、お前ら二人が幸せなら、俺は幸せだって。ところがどうだ。今は、二人とも辛そうな顔をしている。お前は、明日香を不幸にした。だから、俺は……お前から明日香を奪うよ」
高校三年生の時の、俺が悩んでいるときだった。亮平は俺に言った。二人が幸せだと、俺も幸せだ。だから、明日香と風紀を応援するって。
俺だって分かっている。明日香が、幸せなのかどうかなんて。本当は、辛いのかもしれない。優華さんも、泣いていた。シマさんと別れさせられて泣いていた。明日香も、そういう気持なのかもしれない。
だけど……
俺は、勢いよく地面を蹴って亮平の頬に拳をぶち込んだ。
「俺だって、一緒に居たいさ! でも、明日香の居るべき場所は、俺の隣じゃないんだよ! ダイヤモンドは輝いていなくちゃいけないんだよ!」
体勢を整えた亮平は、俺を見下ろすかのように呟いた。
「……ほら、そう言って逃げる。全部、明日香のせいにしようとしている」
「亮平!」
「お前とは違う道を行く。お前には出来なかった道を行かせてもらう。もう、見てられねぇよ」
「やめろ」
「なんで? お前にそう言われなきゃいけないんだ? 彼氏でもないお前にさ。風紀はただの弱虫だ!」
俺は弱虫だ。逃げ虫だ。避け虫だ。いつも、現実から逃げてきた。明日香のことも、いつだって逃げてきた。明日香の番組を、出来るだけ見ないようにしてきた。あいつが、遠くに行くのが怖くて、嫌で、泣きたくて。
……あぁ、そっか。
違うのかもしれない。
「そうだよ、彼氏じゃないよ」
なんで怖いのか、なんで嫌なのか。
どうして、泣きそうなのか。
もしかして、違うのかもしれない。
……いや、違う。
俺が望んできたのは、こんな現実じゃなかったはずだ。
もっと楽しく、もっと美しく、もっと輝ける未来だったはずだ。
「でも、明日香は……」
明日香はどう思っているんだ?
明日香は今に満足なのか?
もう、体験期間は終わった。十分だろう。三年は少し長すぎるぐらいだ。
明日香と、もう一度会いたい。話し合ってみたい。
抱きしめたい。
そして、聞きたい。明日香の言葉を。本当の言葉を。
どう思っているのか、ちゃんと確かめたい。
「明日香は……俺の女だ。行かせるか」
そう言って、拳を振り下ろした。しかし、それは避けられて、代わりにボディーに一発もらってしまった。
「悪いが、もう遅いよ。行かせてもらう」
昔は一緒に戦ったりしたけど、亮平と殴りあったのは久しぶりだった。もう、記憶では曖昧なほど昔だ。
「行かせねぇ」
タックルして、亮平が転んだところに馬乗りになった。一発、顔面にぶち込む。だけど、すぐに体を蹴られ、体勢は五分五分の状態になった。
俺と亮平は何も言わず突っ込む。基本、足技の多い亮平。俺は亮平とは逆で、拳を使う方が得意だ。亮平のハイキックが俺に向かってくる。それを、左腕でガードして、右手を下から亮平の顎めがけて振り上げた。しかし、体をそらされ、避けられる。
それからも、攻めに攻めた。カウンターをいくつかもらったけど、倒れずに奮闘した。戦っている時間はそう長くなかっただろう。ルールもない喧嘩だ。スポーツでやっている格闘技とは違って、早く終わる。俺と亮平も例外ではなかった。
俺は、亮平が俺の胴めがけて蹴りを入れてきたところに、すかさず顔に向けて拳を放った。
鈍い音がする。
崩れ落ちる音もした。
そして、背中を向けて――明日香のところへと向かった。
★―――――――★
校門付近では、一人の少年が倒れ。
裏門付近では、一人の少女が泣き崩れ。
そして、二人の少年少女が、倒れ、泣き崩れている人を支えにいくために校内を走っていた。
いくつもの気持ちが絡まっている四人。香坂風紀。秋本明日香。清水亮平。佐原神子。
校門付近では、一人の少女が少年を見つけた。
「センパイ……?」
「センパイ! 大丈夫ですか!」
裏門付近では、一人の少年が少女の体に触れた。
「明日香、大丈夫か?」
「……言いたいことがあるんだ」
それぞれの気持ちを抱き、物語は進んでいく。
「風紀センパイ、怪我していますよ!」
「亮平……君?」
そして、なかなか噛み合わないのも人間である。