『姉』という生き物
兄弟姉妹が出てくる小説や漫画を、昔からよく読んでいた。
最初に好きになったのが、兄と弟の話だ。
なぜか私が選んで読む作品では、兄より弟のほうが優秀だったり、才能があったりすることが多かった。
と意識して探していたわけではない。ただ、気がつけばそういう作品ばかりをページをめくって追っていたのだった。サンデーだったからだろうか?
そして二十歳前後の頃、小説投稿サイト「小説家になろう」を読み始めた。
最初は現代ものの青春小説などを読んでいたが、やがて異世界ものにも手を伸ばすようになった。気に入った作品なら、ジャンルなんて関係ない。
そうしていろいろな作品を読んでいるうちに、私はある種類の物語に何度も出会うようになった。
それが、【妹に虐げられている姉】という話だった。
姉は家族から愛されていない。妹ばかりが可愛がられている。
姉は容姿にも能力にも恵まれず、家族から蔑ろにされている。
妹は姉の婚約者を奪ったりする。両親も妹の味方をする。
そして姉は家を出る。そこで、自分を大切にしてくれる人と出会う。
才能を認められ、愛され、幸せになっていく。
一方で、姉を虐げていた妹や両親は勝手に自滅していく。
いわゆる「ざまぁ」である。シンデレラ物語とも言うだろうか。
私はそれを、画面のこちら側で「あらあら、まあまあ」とお茶をすすりながら、気楽に楽しく読んでいた。
あるとき、ふと画面をスクロールする手が止まった。
(……いや、待て。姉って、そんなに弱いものなのか?)
「妹に虐げられる姉」という構図。私は、そこだけがどうにも首を傾げたくなるほど腑に落ちなかった。
もちろん、現実にそういう不遇な姉妹がいることくらいは分かる。家族関係なんて、家庭の数だけ存在するのだから。そんなことはありえないと創作の世界を否定したいわけではない。
ただ、私の知っている「姉」という生き物は、そんなやわな存在ではなかったのだ。
私の中で、姉はもっと圧倒的な強者だった。
姉は絶対的な上位者である。年上には逆らわない。姉の言うことには従う。
その代わり、年上は年下の面倒を見る。
それが我が家に絶対君主制のごとく根付いていたルールだった。
だから私の中では、姉に虐げられる妹なら、まだ構造として理解できる。いや、もちろんそれだって現実にあったら問題だが、心情的な上下関係としてはしっくりくるのだ。
しかし、妹に虐げられる姉となると、私の脳内データベースは「……どういうこと?」とフリーズしてしまう。
私の中の姉は、いつだってどこか堂々としていて、「私のほうが上なんだけど?」という顔をしていた。唯一無二。自由。選択権は常に自分にある。
おやつや食事だって、威風堂々とゆっくり味わって食べる。妹である私は、その絶対権力者の周りを金魚のフンのようにちょろちょろしている。
姉とは、そういう君臨する存在だと思っていたのだ。
ところが、である。
大人になったある日、その絶対権力者であった姉本人の口から、思わぬ言葉が飛び出した。
「私はさ、『お姉ちゃんなんだから』って言われるのが本当に嫌だったんだよね」
私はその場に居すくまり、開いた口が塞がらなくなった。
……そうなの?
私にとって「お姉ちゃんなんだから」というフレーズは、絶対的な権力を与える魔法の言葉だと思っていた。
けれど、姉の視点から見れば、それは「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」という抑圧の呪文だったのだ。
同じ言葉なのに、受け取る立場によって意味が180度違っていた。
さらに姉の弁明は続く。
姉からすると、私は幼少期、かなり親から甘やかされていたらしい。母が常に私に手をかけていたし、妹だからという理由で大抵のことは許されていた、と。
それを聞いて、昔の自分を振り返り。
「……確かに」
私は根っからの怠け者だった。姉のように何かに向上心燃やすわけでもなく、一つのことを極めようと努力した覚えもない。ただのんべんだらりと、ぼんやりと部屋の隅で絵を描いて過ごす子どもだったのだ。暗かったし、愛想もなかった。
しっかり者の姉からすれば、そんなずるい方で要領のいい妹を見て「なんで私ばっかり損をして、あいつは気楽なんだ」と思うことも当然あったのだろう。
姉とはかなり年が離れていたこともあり、大人が不在の時は食事の支度や風呂などを世話をしてもらっていた。姉に育ててもらった面も大いにある。
ただ、
姉に容赦なく叱られた記憶くらいある。雷のような声で怒鳴られたこともある。目の前を通ったからという良く分からない理由で叩かれたことも何度かある。
真っ暗な納屋に閉じ込められたことや、冬の冷たい夜気の中に玄関から外へ放り出された記憶だって、バッチリ残っているのだ。ちなみに、こちら二つは私のやらかしが関連している。私の自業自得であったので粛々と受けた。
だから私は心の中で、
(そこはもう制裁を実行済みということで、イーブンってことにしてくれませんかね……?)
などと必死に小声で言い訳を探したりもする。
もっとも。
さらに記憶の引き出しを奥までひっくり返してみれば、やっぱり私がかなりヤバい加害者だった。
姉の部屋のドアをノックもせずに勝手に開ける。
姉が大切にしている漫画を無断で読む。
あろうことか、姉がノートに秘密裏ため込んでいた自作のポエムまで勝手に英語辞書を引いて解読していた。
一度こっぴどく怒られて懲りればいいものを、喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプだった私は、何度でも同じ過ちを繰り返した。
……そりゃブチ切れるわ。プライバシー観念がマイナスどころか欠落していたのだ。
大人になり、一人の人間としての境界線を知った今の私なら、当時の姉の激怒も心から理解できる。私だってそんな妹、納屋どころか山へ放り出したくなる。
あの頃の私は、たぶん姉にとって、タチの悪いかなり面倒くさい妹だったのだ。
そんなふうに記憶の答え合わせをしていくと、少しずつ両者の世界が見えてきた。
姉には姉の積み重ねてきた記憶がある。私には私の受け取ってきた記憶がある。
同じ屋根の下で、同じ飯を食べて育ったはずなのに、お互いの脳内に残っている損得勘定の計算式がまるで違うのだ。
姉の帳簿には、「私はお姉ちゃんだから、ずっと我慢を強いられた」という赤字が刻まれている。
私の帳簿には、「私は妹だから、ちゃんとお姉ちゃんに怒られていました」という記録が残っている。
どちらかが嘘をついているわけではない。どちらも、それぞれの立場から見た「絶対的な事実」なのだと思う。
家庭という小さな世界の中で、姉には姉の帳簿があり、私には私の帳簿がある。同じ出来事というコインの表を見るか裏を見るかで、意味はガラリと変わってしまう。
そして私は、三十路を過ぎた頃にようやく気づいた。
幼い頃から私が「姉」という二文字から勝手に想像していたイメージは、全国共通の「姉の生態」などではなかったのだ。我が家という狭い特異点でしか通用しないローカルルールを、愚かにも世界中のすべ ての「姉」という存在にそのまま適用していただけだった。
そしてたぶん、姉の瞳に映っていた私は、「お姉ちゃんに守られる可憐で健気な妹」などではなく、
「お姉ちゃんだからと私が我慢させられている横で、へらへらと自由に生きていた妹」
だったのだろう。
……うん。完全に合っています。ぐうの音も出ません。
改めまして。
お姉ちゃんへ。その節は本当に、本当に申し訳ありませんでした。
正直、姉妹仲が良いのかと聞かれたら、私はよく分かりません。そもそも、何を基準に「仲が良い」と判断するのでしょうか。
今でも私にとって姉は上位者で、頭が上がりません。育ててもらった恩義もありますし、さんざん迷惑をかけた申し訳なさもあります。
姉からは季節ごとに電話がかかってきます。
「ちゃんとやってるのか」
「ちゃんとできているのか」
「義父母さんと旦那くんの言うことを、よく聞くのよ」
「あんた、とろいんだから」
……だいたい、亡くなった母と同じことを言われます。
いまだに心配をかけている妹です。ただ、母が最後まで「耐えなさい」と言っていたのに対して、姉は違います。「どうしてもなら、あんたと子どもたち迎えに行くからね。すぐに言うんだよ」そう言ってくれます。
やっぱり、頼れるお姉ちゃんです。
とはいえ。
姉にも家庭があります。
姉にも、守るべき人たちがいます。
いつまでも頼りない妹ではいられません。
ということで私は今後、頑張ってこの家を掌握し、立派な覇者になろうと思います。そしていつか姉に、
「お姉ちゃん。何かあったら、こっちに連れて来たい人、全員連れて来てね。もちろん、迎えの手配も即日でするから」と、胸を張って言えるようになりたい。
……それくらい強い妹に、私はこれからレベルアップしていこうと思います。




