01 - 目玉焼き
「ねぇねぇ、目玉焼きに何かける?」
「俺マヨネーズかけるの好きだわ」
「ええー、マヨネーズ?」
「なんだよ、悪いかよ。卵サンドとかまんまそれだろ」
学校の休み時間、僕はよくある話題をなんとなく聞いていた。
僕の前の席で、男女のクラスメイトが語り合っている。
「なぁ、お前は何かけてるんだ?」
二人の視線がほぼ同時にこちらに向けられた。
僕はそれをただ傍観していただけだったが、
するりと会話の輪に入れられてしまった。
僕は返答に悩みながら答えた。
「あー、うちはじいちゃんが頑固でさ。家族でかける物が決まってるんだよね。それ以外かけてるのを見ると怒っちゃうんだ」
「はぁ、めんどくせぇじいちゃんだなぁ。…で、何かけてるんだ?」
「醤油だよ」
「あー、醤油か。なんつーか、それっぽいわ」
…まぁ、じいちゃんが好きそうって言うと、
なんとなくそういうイメージになるのかな。
「お前はどうなん? 何かかけてみたいものはないのか?」
「え? うーん…」
言われてみれば、ずっと醤油だけで食べるのが当たり前だったから、
他の物をかけてみるなんて考えたことがなかった。
というか、じいちゃんが怖かったからな。
しかし、実際に食べられるわけではないとはいえ、
たまには気分転換として、別の味を楽しんでみたいとは思った。
想像するくらいは許されるだろう。
種類が多いわけではなかったが、僕の頭には色々な調味料の案が浮かんでいた。
…そうだな、その中で食べてみたいのは…
「…塩、かな。今は塩で食べてみたい」
「ふーん、塩か。通っぽくていいんじゃねぇの」
「塩ねぇ。あ、そうそう。急に話変わっちゃうんだけどさ…」
それだけ言うと、クラスメイトは僕に関心をなくしたのか、
また二人で会話の続きを始めた。
僕としても大した話題ではなかったので、
そのまま気にせず、またぼーっと二人を眺めていた。
次の日の朝、いつものように我が家の食卓には目玉焼きが並んでいた。
だが、どこか様子が違った。目玉焼きはもう少し茶色っぽかったはずだ。
というか、醤油がかかっていないように見える。
不思議に思って僕は母に聞いてみた。
「お母さん、醤油かけ忘れてるよ?」
「醤油? 何言ってるの? うちはいつも塩でしょうが」
「…え?」
「おじいさんがいつまで経っても塩でしか食べないんだもの」
「まぁ、それは…あ、あれ?」
「どうしたのよ。調子でも悪いの? テレビか何かで見て、お醤油で食べたくなっちゃったの?」
「いや、そういうわけじゃ…なくて…」
何かおかしい。
僕の記憶が間違っているのか。
…いや、毎日のように食べる目玉焼きだぞ。間違えて覚えているはずがない。
じゃあ母がおかしくなってしまったのか。
僕は気になって他の家族の様子も伺った。
後から席についた父は、何も言わずに目玉焼きを食べていた。
更に後から来た祖母もそのまま食べ、
問題の祖父も特に気にすることなく食べていた。
祖父は目玉焼きにこだわりがある人だ。
ここで下手に刺激して空気を悪くするのも怖い。
しかし誰も何も言わない。やはりおかしくなったのは僕の方なのか…
僕は気分が悪くなったまま、誰にも何も言えず登校した。
授業を受けている間も、ずっと目玉焼きのことが頭の中でぐるぐるとして、
ほとんど集中できていなかった。
そしてお昼休みになると、二人の女子が昼食前に、僕の席の前で会話をしていた。
昨日いた男女は席を外している。別の場所にでも食べに行ったのだろう。
仲の良いことだ。
僕はため息を一つついて、
沈んだ気持ちのまま弁当箱を広げようとした。
しかし、何を話しているのか全く気にしていなかった二人の会話から、
ハッキリと一つの単語が聞こえてしまい、
そちらの方にバッと顔を向けてしまった。
「ねぇ、いつも目玉焼きって何かけてる?」
…昨日と同じ会話をしている。
この話題は流行っているのだろうか。
まじまじと見てしまっていたせいか、僕の視線に向こうも気が付いたようで、
その女の子たちもこちらに顔を向けてきた。
「あんたはいつも何かけてる?」
また昨日と同じ質問をされた。
だが、どう答えるべきなのかが分からない。
「えっ…と……醤油だったはずなんだけど…今は塩…みたいっていうか…」
「ふーん。塩なんだ。何か別の味試してみたいとかないの?」
「え? …えーと…ソース…とか?」
「ええ? ソース? ちょっと濃すぎない?」
「あ、ああー…まぁそうかもしれないけど…ソースにも色々種類あるし」
「あー、確かに。それもそっか」
女の子たちはそれだけ聞いて満足したのか、
その場を離れると、教室から出て行ってしまった。
彼女たちも別の場所で食べるのだろうか。
僕は昼食の包みを開きながら、
頭の中はやはり目玉焼きのことでいっぱいになっていた。
次の日の朝。目玉焼きにはソースがかかっていた。
おかしい。絶対におかしい。何かが狂っている。
醤油が塩なら百歩譲って…いや、それもおかしいが。
…それより、二日で二度も調味料が変わるのも変だし、
僕が昨日学校で言った「かけたい物」に変わっている理由が分からない。
どこかに盗聴器でも仕掛けられていて、
僕は壮大なドッキリに巻き込まれているのか。
そうでもないと、このことに対して説明ができない。
僕は昨日と同じように母に質問をした。
「ねぇ…なんでソースかけてるの? うち、いつも醤油だったよね?」
「え? 何言っているの? おじいさんがソースが好きだからって、ずっとうちはソースなんじゃない。まったく、昨日もこれ言ったわよ。どうしちゃったのよ?」
「いや…おかしい、おかしい。絶対おかしい。うちは塩…じゃない。…醤油だったはず。だけど昨日は塩だったじゃん」
「ああー、分かった。お母さんを馬鹿にしようとしてるんでしょ。ちゃんといつも通り、昨日もソースだったわよ」
「いや……え? …ごめん。ちょっと…僕が頭おかしくなってるのかもしれない」
「えー、ほんとどうしたのよ。大丈夫? 学校休んでお医者さん行く? 車で連れて行くわよ?」
「あ、い、いや。いい。いい。大丈夫。…ちょっとなんか…疲れてるだけかもしれない」
「そう? ちゃんと学校行ける?」
「うん。大丈夫…大丈夫…」
おかしい。家族は普通にしている。
なんでだ。二日連続でこんなことがあるのか。
本当に僕は頭がおかしくなってしまったんじゃないのか。
落ち着け。おかしいのは目玉焼きだけだ。
目玉焼きにかかっている物が違うっていう、ただそれだけだ。
他は全部いつも通り。変に思う必要はない。落ち着け。落ち着け…
僕の心臓が僕を焦らせるように気持ち悪い鼓動をし続け、
全身の表面にざわざわとした嫌悪感が這うように広がり、
僕の心をどこか暗い所へ引きずり込もうとしていた。
緊張と焦燥感が混ざり、僕はもう、じっと座っていることができなくなっていた。
それでも家の中をしばらくうろうろとしたり、深呼吸を繰り返すことで、
ある程度平常心を取り戻すことができた。
学校にはなんとか行けたが、
学校もまた、普段と違っていた。
今度はあまり僕の席の周りに来ない男二人組が、珍しく僕の近くで話をしていた。
僕はそれをできるだけ見ないように耳を傾けていたが、
途中であの話が聞こえてしまった。
「お前さ、目玉焼きに何かける?」
なんてことはない会話のはずなのに、僕の体は硬直した。
時が止まってしまったかのようだった。
音を立てるのが怖くなり、呼吸も同時に止めてしまったが、
心臓だけは急に音が聞こえなくなったような僕の世界の中で、
嫌にうるさく動き続けていた。
こんな話が三日も連続することがあるのか。
いや…ないとは言い切れない。
こいつらがたまたま今日この話に乗っただけなのかもしれない。
…そうだ。違う。次が問題だ。
この二人は僕に質問をしてくるのかどうかだ。
僕がおそるおそる二人の方へ顔を向けると、
やはり僕に気が付いて、二人もこちらに顔を向けてきた。
「お、そうだ。お前にも聞いていいか? お前、目玉焼きに何かける?」
ああ、聞いてきた。
なぜみんな僕にこの質問をするんだ。
「…なんでもいいだろ」
「おい、つれねぇな。どうした? 機嫌でも悪いのか?」
「…いや。悪い」
こんな所でコイツらにあたるのもおかしい。
僕だけがおかしいのかもしれないのだから。
「いやいいって。気にすんな。目玉焼きの話がなんかダメだったか?」
「そういうわけじゃないけど…」
「そうか? じゃあ、教えてくれよ」
「あー…。今は…ソースをかけてる。前は塩で…その前は醤油で…」
「ははっ、色々やってんだな。で? 今は何をかけたいんだ?」
またこの質問だ。だけどこれで分かる。
これで明日、目玉焼きに指定した物がかかっていれば、
僕のバッグの中か、服のどこかに盗聴器やカメラなどが仕掛けてあって、
みんなで僕にドッキリをしようとしているってことなんじゃないか。
ああそうだ、そうに違いない。それを僕だけが知らされていないんだ。
もしかしたら国家規模の何かの実験なのかもしれない。
僕は声を軽く震わせ、言葉に詰まりながらも希望するものを伝えた。
「い…今は……今は……ケチャップ…かな」
「へー、結構子供っぽいんだな」
「…オムレツとかにもかけるだろ」
「ああ、あれも同じ卵か。さんきゅな」
そう言って、二人は自分たちの席へ戻って行って、食事を始めた。
僕はあまり食欲が湧かなかったが、ボソボソと端からかじるように昼食をとった。
次の日。目玉焼きにはケチャップがかかっていた。
ああ、やっぱりそうだ。
僕はずっと監視されている。
誰にだ。みんなにだ。僕はみんなに監視されている。
じゃあなんでじいちゃんは黙ってこれに従っているんだ。
それがルールじゃなかったのか。
どうしてみんな平然としているんだ。
そうやって心の中で僕のことを笑いものにしているのか。
なんで僕なんだ。
どうして僕にこんなことをするんだ。
僕がどんな悪いことをしたって言うんだよ。
いやがらせか、実験か。どっちだっていい、そんなことは。
もう僕は、こんな意味の分からないことをされ続けることに耐えられなかった。
「…お母さん。頼むから本当に教えて欲しいんだけど、なんで今日はケチャップがかかってるの?」
「なんでって…もう。おじいさんがずっとケチャップがいいって言ってたからでしょ?」
「おかしいよ。そんなはずない。だって、じいちゃんはずっと塩をかけてたんだよ」
「え? 塩?」
「そうだよ。昨日はソースだったし、その前の日は塩で、それより前の日はずっと塩だったよ。なんで今日だけケチャップなの?」
「ほんとにおかしなことを言うわねぇ」
「どこがおかしいんだよ」
僕は母に対しても苛立ちを感じ始めていた。
話は聞いてくれているが、まるで噛み合っていない。
「ちょっと、怒らないでよ。なぁに? ずっとケチャップだったから、嫌になっちゃったの?」
「違う」
「じゃあ何よ。あんまりお母さんを困らせないでちょうだい」
母のあくまで普段通りな、のんびりとした言葉遣いと、
僕に向けられた理解のない一言のせいで、
僕の中で何かがぷつんと切れてしまった。
「違う!!!」
僕は衝動的に、叫ぶように大声を出した。
食卓に集まっていた家族が僕のことをじっと見つめて静かになった。
「どうしたー? やっと反抗期がきたか?」
父が新聞を見ながら面倒くさそうに反応する。
今は父の、そのどうでもよさそうな声が僕の心を逆撫でた。
「お父さんか? お父さんが何かしてるのか?」
「おい、親に向かってなんだその目は。いいからさっさと飯を食え。腹が減ってるからイライラするんだよ」
「違う! ふざけんじゃねぇよ! 僕を見ろよ! こっちを見ろっつってんだよ! ちゃんと僕の話を聞け! これにケチャップがかかってるのがおかしいって言ってんだよ!」
「だからなんだって言うんだ。そんなのでお前がそこまで怒る理由になんのか?」
僕は父を殴りたいのか、殴るのを堪えたいのか分からないまま、
両手をぎりぎりと強く握りしめた。
だが、そこで静観していた祖父が口を開いた。
「おい…飯がマズくなるだろ。さっさと食え」
ああ、くそっ…なんで誰も僕の言葉を聞いてくれないんだ。
なんで聞こうとすらしてくれないんだ。
実験だろうがなんだっていい。僕はもう限界なんだ。
見りゃ分かるだろう。もうやめてくれ。頼むからもうやめてくれよ。
僕は悔しくて悔しくて、歯ぎしりをしながら目に涙を浮かべた。
そしてそのまま朝食を食べずに家を飛び出して学校へ行った。
学校では、もう授業には集中できなかった。
ずっとイライラしていた。
ここにいる人間が全員僕を監視しているように思えた。
僕はこいつらが怖かった。
学校なんか来ないでその辺をうろついていた方がマシだったかもしれない。
でも、学校から外れても結局、周りにはずっと人の目がある。
かといって家に引きこもってもいられない。
だからむしろ、僕は恐怖を怒りに変えることにした。
この理不尽な仕打ちに対する苛立ちをぶつけようと考えた。
そして昼食時。予想はしていたが、前日までと同じ質問をされる。
「なぁ、目玉焼きにお前なら何かけたいんだ?」
こいつらは敵だ。僕の敵だ。
「知るか」
「おいおい、そんな怒るなよ。どうしたっつーんだよ」
「うるさい。どうだっていいだろ。目玉焼きなんかもうどうでもいいんだよ」
僕は怒りのあまり、自分を見失い始めていた。
クラスメイトを睨みつけ、いつ喧嘩になってもおかしくない雰囲気になる。
だが、こんなことをしている最中にも関わらず、
僕の中にふと一つ、考えが降りて来た。
もし…「存在しない物をかけている」と言ったらどうなるんだろう。
思いついたはいいが、背筋に寒い物が走る。
得体の知れない物が目玉焼きにかかって朝食として出るのだろうか。
それを家族は何も気にせず食べるのだろうか。
…いや、違う。僕は監視されているだけだ。
どうせそれらしい物が出されるか、
何も思いつかずに、ただプレーンな目玉焼きが出てくるだけだ。
でも、こんな小さなつまらないことでも意趣返しになるかと思い、
嫌な笑いをしてしまう自分がいた。
ああ、そうだ。もっとめちゃくちゃな返答をしてやろう。
目玉焼きだけじゃない。
こいつらだって僕にとってはもう、どうだっていいんだよ。
「…いや、かけてる」
「…あ? うん? なんて?」
「かけてるよ」
「は? いや、何かけたいかって聞いたんだけど?」
「だから、『かけてる』よ」
「……ああ。…ふーん…そうか。珍しいな」
クラスメイトはそれだけ言うと、
そのまま一緒にいたもう一人とどこかへ行ってしまった。
……どういうことだ。
今ので何が伝わったんだ。
僕はかなり適当に返事をした。相手を困らせるために。
わざと変なことを言ったつもりだった。でもあいつは理解したようだった。
意味が分からない。僕がおかしくなっている。
こいつら本当に僕の知ってるクラスメイトなんだよな。人間なんだよな。
僕を試しているのか。だとしたら何を試しているんだ。
何がしたいんだ。こんなことをして何になるんだ。
僕はわけが分からなくなってしまった。
何もかも諦めてしまったような気持ちになりながら、僕は弁当を取り出した。
朝食は食べていなかったから、こんな状況でも腹は減っていた。
僕はボロボロと泣きながら弁当を食べた。
食べている間もたくさんの視線を感じ続けているような気がしていた。
ああ怖い。僕はなんなんだ。僕はどうしてしまったんだ。
みんなどうしてしまったんだ。
心が壊れそうになりながら、僕はその日を終えた。
次の日、おそるおそる食卓を覗く。
いつも通り目玉焼きが置いてあった。
……何もかかっていない。
塩が薄くかかっているのかと思ったが、
表面に目を近づけて見ても、塩の粒は見えなかった。
本当にプレーンな状態の目玉焼きが出てきた。
そうか。そうなんだ。僕がおかしいんだ。
何もかかっていない目玉焼きを見て、笑いが込み上げてくる。
予想通り、どうしていいか分からないから、困ってこんなことになったんだ。
僕は心底馬鹿にするような気持ちで母に尋ねた。
「ねぇ、お母さん。今日は目玉焼きに何がかけてあるの?」
「え? いつも通り――かけてあるでしょ?」
「…えっ?」
「だから、――かけてあるでしょ?」
「え、ごめん、うまく聞き取れなかった」
「もう、――かけてあるって。おじいさんがいつも――かけてるからって…最近この話ばっかりじゃない。いい加減にしなさいよ」
母が何を言っているのか聞き取れない。
僕のことを馬鹿にしているのだろうか。
「そのかけてるやつ、どこにあるの? 見せてよ」
「え? おかしなことを言うわね。――かけてるんだから、――かけてるだけでしょ」
僕は母の口の動きを見ていた。
明らかに何か喋っているように見える。
でも口の動きがぼやけて頭に入らない。
何も聞こえない。空気の音すら聞こえない。
「…ち、違う。違う。違う。昨日はケチャップで、その前はずっとソースをかけてた。うちはずっとソースだった」
「あなた最近、毎日同じこと言ってるけど、本当に大丈夫なの?」
「…分からない。もう……分からない…」
僕はとてもじゃないが、目の前の目玉焼きを食べる気にはなれなかった。
ふらふらとしながら、今日も食事をとらずに学校へ行った。
今日が終われば明日は土曜日で休みだ。
もう家から出たくない。でも家も怖い。僕は何も信じられない。
世界が信じられない。何も見たくない。何も聞きたくない。
それでも、僕は学校の休み時間、
また人を変えて、あの質問に晒された。
「なぁ、オマエ、目玉焼きに何かけてる?」
「……かけてるよ」
「ああ、――な。――か。俺も――かけるしな」
ああ、ほとんど何を言っているのか聞き取れない。
母親と同じだ。
「で、今お前は何か、別にかけてみたい物はないのか?」
僕は最初にこの話が出た時の会話を思い出していた。
「…マヨネーズかな。あいつがかけてるって言ってたから」
少し離れた所にいた男子生徒を僕は指さした。
「ああ、マヨネーズね。いいじゃん、卵サンドっぽくって」
僕は朦朧としながら家に帰った。
あまりにも意識がぐらついていたせいか、
途中で車に轢かれそうになったが、いっそ轢いてくれた方が良いとさえ思えた。
次の日。
僕は目玉焼きを見た。
何もかかっていなかった。
自分の目玉焼きをもっと近くでよく見てみた。
やっぱり何もかかっていない。昨日と同じだ。
僕は気味の悪い目玉焼きを前にしながら、
僕が昨日クラスメイトに指定した物がかかっていないことを、
母に問い詰めるように質問した。
「…お母さん。どうしてかけてないの?」
…あれ。
僕は今なんて言ったんだ。
かかっている物を言ったつもりだったのに。
昨日指定した物ってなんだったっけ。
「え? だから――かけてるって…もう、昨日も言ったじゃない。このやり取り気に入ったの?」
「ご、ごめん。違うんだけど…」
「最近朝ごはん抜いちゃってるでしょ。もしかして目玉焼きに――かけてるの嫌になっちゃったの? だったらせめて、他の物だけでも食べちゃいなさい。元気出ないでしょ。…それで、あなたは代わりにかけたいもの何かあるの?」
「…わ、わか、わからない…昨日は…かけてあって…それより前はずっとケチャップだったから…それ以外がいいかもしれない」
「うーん、ずっと――かけてたけどね。そうねぇ、じゃあ、今度お醤油でもかけてみる? うちじゃ一度もかけたことないし。おじいさんにも私から言っておいてあげるから」
「あ、ああ、う、うん。そ、そうして…」
僕は目玉焼きを残して、
他の朝食をなんとか押し込むように食べた。
僕はこの日、自室に引きこもって、
自分の頭がバラバラになりそうになるのを抑えながら、
ずっと布団を被って何も見ないように、何も聞かないようにして過ごした。
そして次の日、日曜日になった。
目玉焼きには……かけてあった。
僕はそれを見て心から安堵した。
ああ、なんだ。かけてある。
今までずっと僕がおかしくなっていたと思ったのに、
ようやく元に戻った。
目玉焼きにかけてある。目玉焼きにかけてある。
ああ良かった。いつもと変わらない朝になった。
僕は胸を撫でおろし、急いでこのことを、喜びながら母に伝えた。
「ごめん。最近調子良くない感じだったんだけど、もう元に戻ったみたい。毎日変なこと聞いて悪かったね」
「あらそう、良かったわ。あなたが健康なのが一番良いんだから」
「はぁ、目玉焼きにかけてあってよかった。じいちゃんもずっとかけてるのが好きだったんだもんね」
「そうよ。だから今でもうちはみんなずっとかけてるの。おじいさんがかけてるのじゃないと怒るんだもの。ほんと頑固よねぇ」
あー、なんだったんだろう。
今週は家族に変な風に怒っちゃったし、
クラスメイトにもおかしいやつだと思われただろうな。
みんな許してくれるといいけど。
明日学校に行くことを想像して、なんだか恥ずかしい気持ちになる。
監視されているとかなんだとかバカバカしい。
一体僕は何を考えていたんだろう。
たかが目玉焼き一つで、こんなにもおかしくなりそうだったなんて。
みんなに話したらきっと笑われてしまう。
僕は目の前の目玉焼きを見つめた。
ああ、おいしそうだ。お腹がすいてくる。早く食べてしまいたい。
なんてことはない。ただの目玉焼きだ。
僕は僕の行動を思い返して、自分自身でも思わず笑ってしまっていた。
――
ただ、ずっとそこに、目玉焼きがかけてあっただけなのに。




