前例主義? ではその前例を処刑いたしましょう
「それは前例がございませんので、却下となります」
朝の会議室。中堅職員の言葉に、くららの眉がピクリと跳ねた。
「……今、なんと?」
「ですから、前例が――」
「前例がないなら、作ればよろしいでしょう?」
空気が凍りついた。
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地方市役所にはびこる前例主義。
新しい提案は即座に「前例がない」「過去に揉めた」「手間がかかる」と葬られる。
「ほら、また怒らせた」
「誰だよ提案したの」
「くららさんに火をつけるとか無謀すぎ」
若手職員たちはひそひそとささやいた。
「わたくしは理解いたしました。この組織は、貴族的威厳ではなく前例的思考が支配していると」
「いやその言い方はどうなんだ……」
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昼休み。中野がくららに声をかける。
「ちょっと、落ち着けよ。古参を敵に回しても、やりたいことはできないぞ」
「ですから、戦うのです。わたくしの正義と、この町の未来のために」
「……あーあ。そういうとこ、やっぱ好きになれねぇけど、嫌いにもなれねぇんだよな」
中野は苦笑しながら、サンドイッチを半分差し出した。
「え? これは……施し? まるで中世のパンの配給のような……」
「ちげぇよ。友情の証。あと血糖値下がってるっぽいから倒れる前に食え」
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午後。
「お言葉ですが、古き良きやり方を、軽々に変えるのはいかがなものかと……」
年配職員たちが静かにくららを囲む。
それでも、彼女は動じない。
「貴方方の良きやり方が、今の若者を疲弊させ、未来を閉ざしているとしたら?」
「何を根拠に――」
「ならば、わたくしが証明してみせましょう。この新しい提案で成果を出してみせますわ」
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一週間後。
くららが進めた新提案――「市民からの意見箱をAIで自動分類・集約する実験プロジェクト」は、あっという間に小さな成果を出し始めた。
放置されていた市民の声が、スピーディに政策会議に反映され始めたのだ。
「……何だこれは……意外と……便利じゃないか?」
「でもこれ、前に同じような話出たとき潰されたんだぞ?」
「くららさんだから通ったんだよ。気品で殴ってきたからな……」
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その日、くららはひとり夜の庁舎に残っていた。
クラリスの幻影が、静かに問いかける。
「貴女は本当に、それが貴族の振る舞いだと?」
「いいえ。わたくしは――この町の職員として、やっておりますわ」
背筋を伸ばし、笑みを浮かべる。
その笑顔は、かつての悪役令嬢ではなかった。