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王冠よりもナプキンを~元女王はテーブルコーデで成功する

王冠よりもナプキンを~元女王はテーブルコーデで成功する

作者: 百鬼清風

王に政略結婚の道具として迎えられた女王・レティシア。容姿端麗、気品あふれる王妃でありながら、政略が終わると同時に「もう君はいらない」と離縁され、王宮を追われることに。


落ちぶれた元王妃が持っていたのは、完璧なテーブルコーディネートのセンスと、人の心をつかむ絶品の料理技術。

王妃時代、晩餐会で客人をもてなすために独学で磨いたそれらの技術を活かし、古びた洋館を改装してレストラン《プルミエール》を開店する。


「王冠を失ったって、私は私の世界を美しく飾れる」


次第にその店は、味と美しさの噂で上流階級や芸術家たちの間で話題となり、やがて社交界の中心に。

しかしその成功の裏には、冷静沈着な文官・カイルの影があった。かつて王に仕えていた彼は、密かにレティシアに想いを寄せ、彼女の再起を静かに支えていたのだった。


王宮からも、かつての政敵からも妬みと羨望の視線が集まるなか、

レティシアは「愛される」ことの本当の意味と、自分の人生を再定義していく——。

第一章 「王冠を脱ぐ日」



 昼下がりの王宮は、春の光に包まれていた。だが、女王レティシアの胸に咲くものは、凍てついた白薔薇のようだった。


「これで、正式に手続きは完了だ」


 向かいに座るアウグスト王が、無表情にそう告げる。目の前の銀の盆には、彼女の名が記された離縁状と、王妃の証たる金の指輪が並んでいた。


 レティシアはしばらくそれらを見下ろし、やがて静かに微笑んだ。


「ご苦労さまでした、陛下。……これで、あなたの新しい王妃との未来も、晴れやかになりますね」


「皮肉を言うつもりか?」


「いいえ。ただの挨拶よ。元・王妃としての最後の務めを果たしているだけ」


 その声には、涙も怒りもなかった。むしろ、王の方が目を逸らす。

 レティシアは立ち上がり、テーブルに手を添えて一礼した。長く磨き上げた所作。高貴さは王冠によるものではなかった。


「私はこの宮殿を去ります。あなたの邪魔にはなりません。ただひとつ、お願いがあります」


「なんだ」


「私が持ち出す家具と食器は、すべて私自身がデザインし、誂えたものです。……あれは、王妃としての娯楽の延長ではなく、私自身の“作品”でした」


「……構わない。好きに持ち出すといい」


 それがレティシアと王の最後の会話だった。

 王宮を後にする彼女の背に、見送る者は少なかった。けれど、その一人の男だけは違った。


「馬車の手配は済ませてあります。ルヴェリエ様」


 冷ややかな声が、正門の影から響いた。現れたのは、灰色の上着に身を包んだ文官、カイル・アシュフォード。

 彼は王室付きの書記官でありながら、奇妙なほど彼女に親身だった。いかなる命令も超えず、しかし常にレティシアを“見る”視線だけは、どこか特別だった。


「ありがとう、カイル。あなたの効率の良さにはいつも感心するわ」


「当然の務めです。……しかし、この先はもはや“公務”ではない。貴女の選択に、私は私の意志で付き従うつもりです」


 レティシアは少しだけ目を見開いた。そして、ふと息を吐いて笑った。


「あなたのような人が、情で動くとは思わなかったわ」


「情ではありません。合理的に見て、貴女がこの国にとって有益だからです。……王は愚かです」


「まぁ、それは私が言うべきセリフではないけれど」


 二人はそうして並んで、王宮をあとにした。

 行き先は、王都の片隅にある古びた館。かつて芸術家の集うサロンとして使われていたが、いまはほとんど人が寄りつかない。レティシアはそこに、自分の新たな世界を築こうとしていた。


「王妃の務めを果たすために、私は食卓を整え、食材を吟味し、器を作った。誰も気にしなかったけれど、私はいつも真剣だったの」


 レティシアは埃を払いながら、残された椅子の脚を撫でた。


「この手で、また人をもてなしたい。喜ばせたいの。王冠がなくても、それはきっとできる」


「そのために私が必要なら、使ってください」


 カイルは短くそう言い、ノートを取り出す。


「まずは資金の管理と必要設備のリストアップから始めましょう。貴女が料理と空間を作るなら、私は流れを整えます」


「本当に、あなたって便利な男ね」


「文官ですので」


 そのやりとりに、ふっと笑いがこぼれた。


 王冠はもうない。けれど、心にはまだ炎がある。

 灰の中から立ち上がるように、レティシアの新しい人生が静かに動き始めた。



第二章 「最初の一皿」



 王宮を離れて三ヶ月。レティシアは、かつて芸術家たちが集った洋館を、静かに改装していた。


 壁の漆喰は塗り直され、煤けたランプは新しい灯火に生まれ変わった。カイルの手配で手に入れた家具や器具は、すべて彼女の目と手で選ばれ、配置された。


 彼女のサロン──いや、レストラン《プルミエール》は、いよいよ開店のときを迎えようとしていた。


「グラスの角度、テーブルクロスのたるみ、ナプキンの折り方。すべて完璧」


 レティシアは最後の仕上げに、銀製のカトラリーを静かに並べていった。その所作には王宮仕込みの気品と、職人としての執念が同居していた。


「今日の予約は一組のみ。あのグルメ誌の記者だったか」


「ええ。『リュミエール』のレビュアー、ダリオ・マーチン。辛辣な筆で知られています。彼の一言が今後を左右するでしょう」


 カイルが帳簿を閉じながら告げる。レティシアは静かに頷き、厨房へ向かった。

 彼女が選んだ初日の料理は、季節野菜のポタージュ、鴨のローストとラズベリーソース、そしてミントの香る洋梨のコンポート。シンプルだが、素材と火入れ、そして盛り付けの美しさに自信があった。


 やがて、午後七時。扉の鈴が鳴る。


「ごきげんよう。お招きに預かり光栄です」


 入ってきたのは、目つきの鋭い中年男。細身のスーツに身を包み、目の奥には常に何かを見透かすような光を宿していた。


 レティシアは丁寧に出迎えた。


「本日はお越しくださりありがとうございます。《プルミエール》へようこそ。料理と空間を楽しんでいただければ幸いです」


「ほう……これはこれは、まるで宮廷の晩餐のような所作だ。やはり“あの”元王妃とお見受けしてよろしいのかな?」


 彼の声には皮肉が滲んでいた。だが、レティシアは微笑んだままうなずいた。


「ご想像にお任せします。ただ、今日の私は料理人であり、もてなす者です」


 席に案内され、コースが始まった。ポタージュの一匙で、記者の眉がわずかに動いた。

 次に運ばれた鴨肉は、口に入れるとナイフが不要なほど柔らかく、ラズベリーの酸味が肉の甘みを引き立てていた。


「……ふむ。意外だ」


「何がですか?」


「美しさに偏っただけの料理かと思っていた。だが、これは……骨がある。料理人としての矜持を感じる。そうだな……“生きるための芸術”だ」


 レティシアの手がわずかに止まった。カイルが横目でそれを見つめていた。


 最後のデザートが運ばれる頃、記者は静かにナプキンを畳んだ。


「この店のレビューは、特集記事にしましょう。美食家の間で話題になるのも時間の問題です」


「光栄です。ですが、まだ始まったばかりです」


「それがいい。伸びしろのある宝石は、見る者を楽しませる」


 その夜、ダリオ・マーチンの筆によって、《プルミエール》の名は瞬く間に王都中に知れ渡ることとなった。


 数日後、予約帳はびっしりと埋まり、貴族や芸術家、商人や学者といった面々が列をなした。

 レティシアは厨房とホールを行き来しながら、ひとつずつ丁寧に応対した。その動きはまるで、一つの舞台を仕切る指揮者のようだった。


「……こうして貴女が輝いているのを見ると、離縁を決めた王の愚かさが、より一層浮き彫りになりますね」


 カイルの冷たい声に、レティシアは微笑で返した。


「そうかしら。私にとっては、ようやく自分で選んだ人生よ。……王妃ではなく、レティシアとして生きるって、こんなにも鮮やかなのね」


 彼女の目に、迷いはなかった。

 しかし、成功の光の中には、まだ気づかぬ影があった。



第三章 「炎と影」



 《プルミエール》は、王都の話題の中心となった。

 かつての王妃が自ら手がける料理と空間に、貴族たちはこぞって足を運び、予約は数ヶ月先まで埋まった。

 昼には美食を語る令嬢たちがテーブルを囲み、夜には詩人や音楽家がワイン片手に芸術論を戦わせる。


 しかしその名声は、静かに波紋を広げていた。


「……女王様の再起? 冗談じゃないわ。あんなのは見せかけのサロンごっこよ」


 サロンの片隅、紅茶を啜る侯爵夫人が小声で毒を吐く。

 かつてレティシアを見下していた上流階級の女たちには、彼女の成功が面白くなかった。

 王の寵愛を失い、捨てられたはずの女が、今や社交界の中心で微笑んでいる──それが、許せないのだ。


 一方、王宮にもその報せは届いていた。


「……彼女がここまでの影響力を持つとは。想定外だ」


 玉座の奥、アウグスト王は眉をひそめた。

 新王妃との結婚は政治的には順調だが、国民の心が《プルミエール》に惹かれていくのは、決して見過ごせることではなかった。


「前王妃は、政に口出しする気はないようですが……」


 側近が言いかけた言葉を、王は手で制す。


「ならば良い。だが、それがいつまで続くかは分からぬ。名声とは、時に権力と同じ力を持つのだ」


 その晩、王宮の晩餐会の列席名簿から、レティシアの名がひっそりと削除された。



 その知らせを聞いたとき、レティシアはすでに気づいていた。


「……面白いわね。王宮が“私の存在”を恐れるようになるなんて」


「あなたの料理は、人の心を動かす。器に盛るのは食事であっても、その奥にある哲学と美学が、社会を変えていると……王は感じているのでしょう」


 カイルは淡々と言った。その横顔はいつにも増して冷ややかで、しかし、微かに揺れていた。


「それにしても、あなたはずっと変わらないわね。私がどれだけ変わっても、いつも静かにそばにいる」


 レティシアの声には、いつもと違う温度があった。

 彼女は立ち上がり、窓辺の夜風にそっと触れるように寄った。


「……あなたが私の敵でない限り、私は安心して進めるの。カイル、もし私がこの先、もっと大きな波に飲まれるとしても……あなたは、」


「私は、貴女の味方です」


 彼は即座に応じた。迷いのない声だった。

 けれど、その言葉のあとに、何かを押し殺すように視線を逸らしたのを、レティシアは見逃さなかった。


「ありがとう。……でも、時々は感情で動いてもいいのよ?」


 レティシアの微笑みは、どこか寂しげだった。


 その夜、レストランの厨房に火災が起きた。


 原因は、外部からの放火だった。倉庫の裏口から火がつけられ、幸いにもカイルの迅速な対処で大事には至らなかったが、貴重なワインの在庫と食器の一部が焼け落ちた。


「誰かが、明確な悪意を持っていた。──これは、単なる嫉妬ではありません」


 カイルが煙の残る厨房で呟いた。

 レティシアは、割れた皿の欠片をひとつ拾い上げ、静かに指をなぞった。


「王宮ね。あるいは、彼らに恩を売りたい誰か」


「おそらく両方でしょう。……今後、警備と人の出入りを見直す必要があります。必要なら、私の個人的な連絡網を動かします」


「そこまで……してくれるの?」


「貴女が“生き残る”ためなら、私にできることはすべてするつもりです」


 彼のその瞳には、忠誠と、もうひとつ、深く秘められた想いが揺れていた。

 レティシアは目を伏せた。彼女自身の中にも、確かに何かが芽生えつつあった。


 だが、それを言葉にするには──まだ、早すぎた。



第四章 「銀の夜明け」



 放火事件の夜から、一週間。


 《プルミエール》は営業を一時休止していた。焼け焦げた倉庫と、焦げ臭さが残る厨房。だが、レティシアは泣かなかった。


「……悲しんでいる暇なんてないわ。私には、まだやるべきことがある」


 彼女は黒い作業着をまとい、自ら片づけに参加した。

 割れた皿を一つひとつ拾い、煤けた壁を磨き、使える器具を点検していく。

 その姿に、スタッフたちの士気も自然と高まっていった。


「王妃であったことも、宮廷を離れたことも、もう関係ない。私たちがここで築くものは、私たちの手でしか生まれないのよ」


 レティシアの声には力があった。


 その数日後、レストランはついに再開した。

 最初の夜、かつての常連たち──貴族、詩人、芸術家──が、無言で列を作って待っていた。彼女を助けたいと申し出た者もいたが、レティシアは静かに首を振った。


「私は、自分の足で立ちたいのです。どうか、お客様としてお越しください」


 その夜、レティシアは特別メニューを用意した。

 それは、王宮時代に一度だけ披露した幻の一皿、「銀の夜明け」──レモンと白ワインで蒸し上げた鱈に、銀箔をあしらったソースと、春の山菜の苦味を合わせた料理だった。


 それは、再出発の宣言だった。



 閉店後。誰もいなくなったホールに、カイルが現れた。

 彼の手には、一輪の白いカメリアの花があった。


「開店祝いには少し遅れましたが」


「まあ……あなたが花を持ってくるなんて、意外だわ」


「文官らしからぬ真似でしょうか」


 彼は少し口元を緩めた。それは、ほとんど奇跡のような笑みだった。


「この一週間、あなたがどんなふうに立ち上がってきたか、ずっと見ていました」


「あなたがいてくれたからよ。私、気づいていたわ。あなたがずっと陰から支えてくれていたこと……でももう、陰じゃなくてもいいのよ」


 レティシアはそっと花を受け取った。指が触れ合う。


 長い沈黙があった。


 そして、カイルが静かに言った。


「私は、あなたの料理が好きです。けれど──それ以上に、あなたが、自分の人生を自分の手で選び取っていくその姿が……好きです」


 レティシアは目を見開いた。けれど、次の瞬間には笑っていた。


「……もっと早く言ってくれていれば、ワインを一本取っておいたのに」


「明日でも構いません。どうせまた、ここに来ますから」


「……なら、今夜はお茶でも淹れましょうか。私の手でね」


 ふたりは並んでキッチンへ向かった。

 かつて王宮で彼女が立った場所とは違う、けれど今、何よりも大切な舞台だった。



 《プルミエール》はその後、料理と空間だけでなく、“人と人が再生する場所”として評判を得るようになった。

 レティシアの名はもはや「元王妃」ではなく、ひとりの料理人として王都中に知られ──そして、愛された。


 彼女の隣には、常に一人の文官がいた。

 クールで、理知的で、どこか不器用な男。

 けれど彼の静かなまなざしこそが、レティシアにとって、世界で一番あたたかな光だった。

この小説の続編です。

王冠よりもナプキンを2~レティシア様の優雅な日常 、クールな恋人は不器用です

https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n9810ki/

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