時として重要な約束ほどすぐに忘れる。
帰り道の空はすっかり夜の装いで、
月がちょっと見栄を張ってるみたいにやたらと明るかった。
黒咲との会話が、頭の中で反芻される。
今にも消えてしまいそうな彼女の切ない横顔。
「私は……好かれてないみたい」って言っていた黒咲は
とても悲しそうで、思い出しただけで胸が苦しくなる。
俺が知らない黒咲の過去は、想像するよりずっと辛いものなのかもしれない。
黒咲の力の影響でこの先、何が起こるのか。
考えたところで答えが出るわけじゃないけど…。
何があったとしても俺は彼女を守りたい、そう思った。
そんなこんなで、自宅に到着したのが午後七時を少し過ぎたころ。
コンビニで買ったデラックス幕の内弁当を開封して、
テレビもつけずに無音で食べた。
中身は見慣れたラインナップ――
焼き魚、玉子焼き、ひじき、唐揚げ、煮物。
そして何の変哲もない白飯。
食べ終えた後は風呂に入り、頭まで湯に沈んで
「はあ〜」とか昭和のオヤジみたいなため息をついてみたりした。
寝る準備も万端。
あとはベッドに飛び込むだけ、のはずだった。
――!!!
「……チャトだ!」
跳ねるように布団から飛び起き、
ベッドの上に置かれたスマホに手を伸ばす。
時間はすでに午後十時を回っている。
これはマズい…。
急いで「ツナグチャト」にログインし、音無のアカウントを検索。
とりあえず、「チャトを開始する」ボタンをクリック。
すぐに画面が切り替わって、音無からのメッセージが飛び込んできた。
> 遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い
……メッセージの圧がエグい。
「メンヘラ彼女かよ……」
と、つい口に出してしまったが、慌ててスマホのキーボードに指を走らせる。
> 遅れてごめん。
すると、すぐに返事がきた。
> 他に謝ることは?
……? なんのことだ?
> え?
> とぼけるな。
> いや、俺は別になにもしてない。
> 貴様、俺の妹に手を出しただろ。
この一文を見て、さっきの記憶が一気に呼び起こされる。
――音無渚。
あの金髪美女。
彼女は音無の妹だった。
そして、俺はたしかに彼女を押し倒した(事故だけど)。
「……」
文字を入力する手が一瞬止まり、画面の前で頭を抱えた。
「悪かった、けどあれには事情があってだな。
話せば長くなる。
っていうかさ、チャトより電話の方が早くないか?」
そう打ち込んだ直後、チャト画面がパッと閉じられ、
数秒後に着信音が鳴った。
画面には「音無蒼真」の名前が表示されている。
おいおい、行動早すぎだろ。
「……もしもし。ってか、なんで俺の電話番号知ってんだよ?」
スマホの向こうで、ふふんと鼻で笑うような声が返ってきた。
「ツナグチャトでやり取りすれば、
お互いの電話番号も登録される仕組みになってるんだ。そんなことも知らないのか?」
得意げに語る声が妙に癇に障る。
こいつ、もしかして説明書とか隅々まで読むタイプか?
「悪かったな。あんたと違って、俺はSNSに疎いんだよ」
「ふっ、まあいい。――本題に入るとしよう」
やれやれ、ようやく核心に入るらしい。
「貴様、俺の妹とどういう関係なんだ?」
「ちょっと待て! 本題はそこじゃないだろ。直井先生のことだ」
「……そうだった。直井……あいつは、何かを隠している」
そこから語られたのは、予想外の話だった。
音無が1年のとき、直井が立ち上げた部活――通称「F.N.K.部」。
活動内容は当時も今と変わらず、人助けだったり、怪奇現象を調べたり、
そんな感じだったらしい。
当時のメンバーは、音無と赤井、そしてもう一人。
その「もう一人」が、どうしても思い出せないとのことだった。
顔も、声も、名前も。
存在のすべてが、記憶のスキマにすっぽりと消えてるそうだ。
テンションの低い声で音無が話を続ける。
「確かにいたんだ。確実に、そこに“誰か”がいた。
でも、思い出そうとするたびに頭がモヤモヤしてくる。
……まるで、意図的に記憶を消されたような感覚だ」
音無が言う赤井っていうのは、コンビニでレジ打ちしてた赤井とおそらく同一人物だろう。
あの赤髪で口が悪い人も、他の生徒達と同じようにその「誰か」の記憶を失っているらしい。
「俺たちだけじゃない。顧問だった直井に聞いても、
“そんな子は知らない”の一点張りだった」
話によると音無は不信感を抱いたまま、一年で部を退部。
部の空気もおかしくなり、後を追うように赤井も辞めたらしい。
理由は「バイトに専念したいから」
――今の彼の姿からして、妙に納得できてしまうのがなんとも言えない。
「おかしな話だろ?」
音無の声が静かに言葉を結んだ。
確かに、音無の立場からすると変な話だ。存在していたはずの“誰か”が、
みんなの記憶から綺麗に抜け落ちているのはあまりにも奇妙だ。
しかし、部の中心にいた直井までもが、それを「知らない」と断言している。
「そもそもどうして、あんたは“もう一人の部員”がいたって、
そんなに確信持ってるんだ?」
俺の問いに、音無はしばらく沈黙したあと、少しだけ声のトーンを落として言った。
「……俺のカバンの中に
その部員から送られたであろうラブレターがあったからだ」
「は? ラブレター?」
あまりにも唐突な単語に、俺は素っ頓狂な声を出してしまった。
「ああ、そうだ。……今も俺の手元にある。
ちょうどいい、今から読むぞ」
電話越しに紙を開く音がして、静かな間が訪れた。
耳を澄ませると、音無が手紙を読み上げ始める。
「音無くんへ
fnk部に入って、もう少しで一年だね。
いろんなことがあったけど、
音無くんと赤井くんと直井先生、
みんなとの部活動は最高に楽しかった!
この先、新しい部員も入るだろうし、
今よりもっと活動の幅が広がるんじゃないかな。
ここだけの話、
僕はリーダーの音無くんのこと、
本当に尊敬してるし、大好きです。
これからも、よろしくね。
……って感じだ。どうだ?」
「いや、どちらかというとラブレターっていうより、
ただの“手紙”に思えるんだけど」
「大好きって書かれててもか?」
うぐっ……。
言葉に詰まる俺。
いやまあ、たしかに大好きという言葉はある。
しかも“尊敬”もしてるし、“これからもよろしく”って、
恋愛感情があるフラグと思うのも無理はない。
だが、気になることがひとつ。
「……っていうか、“僕”って。手紙の送り主は、男なんじゃないか?」
「神谷、甘いな。“僕”を一人称に使う女子はこの世に存在する。
まあ、どっちにしても俺はそいつに愛されていたってことだな」
真面目な口調でそう言ってるけど、
声が少し震えているのは気のせいか?
「ところで赤井って、あんたの妹と一緒にコンビニで働いてた赤い髪の人だろ?」
「ああ、そうだ。貴様、赤井を通して妹に近づこうとしたのか?」
「違う。ただ、コンビニで少し話しただけだ。
…その人、本当に“何も覚えてない”のか?」
「……何度もしつこく聞いたが、ダメだった。
本当に何も覚えてないらしい。
しかし、あれだな…
なんとかしてあいつの本音を聞き出せればいいのだが」
それを聞いて、俺の脳内にある一人の人物が浮かび上がる。
――相澤。
人の心が読める、超ハイテンション女子。
……もしかすると、彼女になら、なにかわかるかもしれない。
「……なにか手はあるのか?」
音無の問いに、俺は少しだけ間をあけてから答えた。
「うまくいくかはわからない。でも、試してみる価値はあると思う」
俺は深呼吸してから、決意を込めて言った。
「明日の放課後、“もう一人の部員”が書いたであろう手紙を持って、
赤井さんがバイトしてるコンビニに来てくれ」
「赤井に直接、聞くつもりか?」
「……ああ。ある“秘策”があるんだ」
電話の向こう側で、沈黙が続く。
そして――
「……秘策か。……わかった。明日の放課後、そこで会おう」
音無の声は低く、そしてどこか期待に満ちていた。
まだ続きます。




