神社には何か特別な空気が漂っている。
神社に着くまで、およそ30分。
周囲は木々に囲まれていて、澄んだ空気が肌に心地いい。
久しぶりに訪れた神社は、昔と変わらず静かだった。
鳥居の前では、一人の男性が掃き掃除をしている。
三十代くらいの眼鏡をかけた黒髪の男──恐らく、この神社の住職だろう。
俺の記憶にあるのは、六十代くらいの、白髪混じりの年配の神主だった。
眼鏡の男が誰であれ、話を聞いてみないことには何もわからない。
ふと、男性がこちらに気づき、穏やかに微笑みながら軽く会釈する。
俺も会釈を返し、少し緊張しながら口を開いた。
「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど……いいですか?」
男性は掃除の手を止め、柔らかな声で答える。
「ええ、なんでしょう?」
「今から十年くらい前、この神社にいた神主さんにお会いしたいんですけど……
今、どこに……?」
俺の言葉に、男性はふっと表情を曇らせた。
そして、少し伏し目がちに言う。
「父のことでしたら……昨年、体調を崩してしまって。今は自宅で休養しています」
「……そうですか……」
思わず視線を落とす。
どうやらこの男性はあの神主の息子らしい。
「父とは、どういったご関係ですか?」
「えっと、幼いころ、よくここに遊びに来ていて……
神主さんが、よく話しかけてくれたんです。
会話の内容は、正直あまり覚えてないんですけど……
優しい方でした。またお話がしたかったんですけど……本当に残念です」
住職の男性は少し考えるように沈黙し、それから静かに口を開いた。
「……お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「神谷です。神谷春斗」
俺がそう名乗ると、彼は丁寧に一礼しながら名乗った。
「神谷さん、初めまして。私はこの神社の住職をしております、福徳竜馬です。
よろしくお願いします」
彼の姿勢に、俺も自然と頭を下げる。
「よろしくお願いします」
この神社と、俺の家族とのつながり。
父のこと。
すべてが複雑に絡み合っている気がして、俺はそっとお守りを握りしめた。
俺は意を決して、福徳さんに尋ねることにする。
「あの、実は最近、神社に興味があって……
この神社について詳しく聞きたいんですけど、教えてもらえませんか?」
自然を装ったつもりだったが、内心は緊張でいっぱいだった。
福徳さんは少し驚いたように目を瞬かせたあと、穏やかに微笑む。
「いいですよ。どうぞこちらへ」
そう言って、彼は神社の奥へと歩を進めた。俺もその後をついていく。
鳥居をくぐり、拝殿を過ぎ、さらに奥へ。
辺りは一層静かになり、木々が風に揺れる音だけが響いている。
やがて、福徳さんが足を止めた。
そこには、小さな祠があった。
長い年月を経ているのか、木の部分には苔が生え、古びた雰囲気を醸し出している。
「この祠は……?」
俺が問いかけると、彼はゆっくりと口を開いた。
「父から聞いた話によると……ここには、ある神様が眠っているそうです。
そして、その神様がこの神社を守っていると、代々伝えられてきました」
「神様……?」
「えぇ。その神様の名は──眠封神」
「眠封神……?」
聞き慣れない名だった。
福徳さんは頷き、続ける。
「はい。この神社の名前の由来にもなった神様です。
伝承では、眠封神はあらゆる生命を眠らせ、
封じるほどの力を持っていたと言われています」
眠らせ、封じる……?
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
まさか……。
そんな大きな力を持った神様が──俺の父親なのか?
そんな馬鹿な、と頭では思う。
けれど、心の奥底では、それを否定できない何かがあった。
「その神様が、人の前に姿を現すことって……あったりするんですか?」
俺は自分の言葉を確かめるように、慎重に問いかけた。
福徳さんは少し目を伏せ、考え込むように沈黙した。
やがて、一呼吸置いて静かに語り始める。
「……父が生前、こんな話をしていました。
眠封神は、かつて一人の女性を愛してしまった、と」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が跳ねた。
「一人の女性……?」
「ええ。しかし、神が一人の人間を愛することは、
この世界の理に反しているのでしょう。
眠封神はその女性を愛してしまったが故に、神の力が衰え、
やがて実体を保つことすらできなくなってしまったそうです」
愛したが故に、実体を失った……。
「じゃあ、その神様は……その女性と会話することもできなくなったってことですか?」
「そうです。触れることも、言葉を交わすこともできず、ただ存在が薄れていった。
愛する人の目の前にいながら、その女性に認識されなくなってしまった、
と父は言っていました」
愛する人に認識されなくなった──。
俺は、はっと息を飲んだ。
その愛した女性って……母さんのことなんじゃないか?
そう考えた瞬間、頭の中の霧が晴れていく感覚がした。
俺の父親は、いなくなったんじゃない。
母さんが──いや、能力を持たない人が、父を認識できなくなったんだ。
なら……もし俺が、本当に神の力を持っているなら。
眠封神と話せる可能性があるんじゃないか?
この目で、父の存在を確かめられるんじゃないか……?
「福徳さんは……その眠封神に会ったことあるんですか?」
俺は思わず前のめりになりながら聞いた。
彼は軽く首を横に振る。
「いいえ、私は父から話を聞いただけですので」
「……そうですか」
仮に眠封神の姿が見えたとしても、ここにいるとは限らない。
胸の奥が、少しだけ重くなる。
そんな俺を見て、福徳さんは優しく微笑んだ。
「神谷さん。あなたがここに通い続ければ、
あなたの想いに眠封神も応えてくれるはず……。
だから、またここにいらしてください」
福徳さんの声に励まされるように俺は静かに頷く。
「……はい。また来ます」
そう返して、俺は神社を後にした。
まだ続きます。




