日常が崩壊するのは別におかしな事じゃない。
夕食の時間ってのは、基本的に一日の中で最も平和な時間帯であるべきだ。
少なくとも、俺にとってはそうであってほしかった。
だが、今日に限ってはそうもいかなかった。
「春斗、あんたに話しておきたいことがあるの」
母親が箸を置き、真剣な目で俺を見つめる。
なんだよ、急に。そういう話は食事が終わってからにしてくれ。
唐揚げが喉を通らなくなるだろ。
「……何?」
俺は警戒しながら応じる。
大体こういうときの親の話っていうのは、ロクなもんじゃない。
大掃除を手伝えとか、成績を上げろとか、そんな話に決まっている。
だが、この日の母の話は、そのどれとも違っていた。
「あんたの父親のことよ」
……父親?
正直、その単語を耳にすること自体が珍しかった。
俺が物心ついたときから、家には母親しかいなかったし、
父親の話なんてこれまで一度も出たことがない。
そもそも俺の記憶の中に、父親という概念が存在しないのだ。
そんな俺の反応を察したのか、母は少し寂しそうに笑った。
「今まで話さなかったのは、どう話していいのかわからなかったから。
でも、そろそろ言っておいたほうがいいと思ってね」
母はゆっくりと話し始めた。
話によると、母は昔、とある神社で父と出会ったらしい。
「不思議な人だったわ。いつも神社にいるわけじゃなくて、
会える日もあれば会えない日もあった。
でも、一緒にいる時間はとても楽しくて……気がついたら、好きになってたの」
母は懐かしむような目で語る。
だが、俺はそんなロマンスに浸る余裕なんてない。
「……で、父さんはどこの誰だったんだ?」
この問いに、母は少し困ったように笑い、そして申し訳なさそうに言った。
「わからないのよ」
わからない?
冗談だろ?
「どういうことだよ、それ」
「私にもわからないの。彼は、自分のことをほとんど話さなかった。
どこに住んでいるのか、何をしているのか、まるで謎のままだったの。
でも……そのミステリアスなところに母さんはね、強く惹かれたのよ」
つまり、俺の父親は、名前も素性も不明のまま、
どこかへ消えてしまったってことか?
まるで都市伝説みたいな話じゃないか。
「……父さんに会ったのは、最後にいつ?」
「あなたが生まれる前……それ以来、一度も会えていないわ」
この瞬間、俺の中で何かが音を立てて崩れた気がした。
ずっと気にしたことなんてなかったけど、いざ父親の話をされると、
思っていた以上に俺の中にぽっかりと穴が空いたような気がする。
そして、もう一つの疑問が浮かぶ。
「……その神社って、どこ?」
母は驚いたように俺を見た。
「どうして?」
「いや……別に。ただ、ちょっと気になっただけだよ」
「あの人と出会った神社はあんたもよく知ってるところよ」
「もしかして、家から一番近いあの神社?」
俺の言葉に母がうなずく。
幼い頃、俺はその神社でよくひとりで遊んでいた。
今になって考えると、奇妙な場所だった気がする。
常に誰かに見られている様なそんな視線を感じる場所。
母はふと視線を落とし、静かに続けた。
「実はね……あなたが生まれた後、その神社の神主さんに聞いたの。
彼のことを。そしたらね……」
母の声がわずかに震えた。
「神主さんは言ったわ。『その男性は神様ですよ』って」
……神様?
「いやいや、待てよ。神様って……あの神様?」
母は静かに頷いた。
「彼は特別な力を持っていた。どんな傷も癒やす力を……」
俺は言葉を失った。
「じゃあ……俺は……」
自分の喉から出た言葉が、自分でも信じられなかった。
「俺は、神様の子供なのか?」
母は微笑みながら、静かに頷いた。
信じられない。
そんなはずがない。
だけど、母の目は真剣だった。
俺の平凡だった人生は、この日を境に、
一気に非現実へと引きずり込まれていくことになったのだった。
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