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3話 友人の嫌疑


 魔王が倒され、十五年の歳月が流れた。

 王城の中庭に木製の剣が激しくぶつかり合う乾いた音がこだまする。やがて一本の剣が弾かれ、弧を描いて彼方に飛んでいった。

「くそーまた負けた!」

「へへ! 先生っ、今の見てた?」

 飛ばされた剣を拾い上げ、先生と呼ばれた男が物陰から現れる。ディオンだ。

 近年騎士団の団長になったディオンは王子二人の剣術の師範に任命され、こうして毎日のように稽古をつけている。

「よそ見するからだ。お前は集中が長く続かないな、レナトス」

「はい……」

「ラケス、お前は踏み込みすぎる癖がある。距離を保て」

「はーい」

 ユリウスの子供たちは皆元気に育っていた。特に上の王子二人は利発で優しく、剣の師をよく慕っている。

 ディオンが次の課題を出そうとした時、淑やかな拍手とともに柔らかい女の声が聞こえた。

「おつかれさま。少し休憩してはどう?」

「母上!」

 ルークの妻であるソーニャ、今や王妃となった彼女がグラスに手ずから冷水を注ぎ、息子二人に手渡した。もう一つのグラスにも水を注いでディオンに差し出すと、柔和な笑みを浮かべた。

「さ、卿もどうぞ」

「恐縮です」

 受け取った水を一息に飲み干すディオンをソーニャはまじまじと見つめ、感心したように呟く。

「剣の稽古が良いのかしら」

「……何ですか?」

「ディオン、あなたって本当に若々しいわ。あ、気分を害したらごめんなさい。変な意味では無くってよ。きっと努力の賜物なのね」

「確かに、父上と同い年とは思えません」

「ラケス、父上が拗ねるぞ」

 ディオンはふっと笑って目を逸らす。と、その先に自分の部下が立っているのが見えた。何かを目で訴えている。

「私も剣を習おうかしら」

「美しい王妃様には必要ないでしょう……ラケス、レナトス、今日の稽古はここまでだ。では失礼」

「やった!」

「あら。では座学の先生をお呼びしましょうか」

「えー、つまんないの」

 悲喜こもごもの生徒二人を後にして、ディオンは部下と共に去った。



 今や大司教となったイブキは王都を離れ、聖地にそびえる世界樹の麓に住んでいる。今や謁見するのも難しいほどの人物が自ら足を運び、勇者ルークに会いに来たと言うのだ。

 折悪く勇者は隣国へ会談に赴いており、代わりに旧知のディオンが呼び出された。

「……久しいですね、ディオン君」

「イブキ、いや今は大司教か。猊下と呼ばないとな」

「いーえ、からかうのはよしてくださいよ、騎士団長どの」

 そう言いながらもイブキは旧友を抱擁して、再会を喜んだ。

「ルーク君に会いに来たのですが、タイミングが悪かったですね」

「ああ、本来ならもう帰ってるはずなんだが長引いてるらしい。どうも最近──」

「魔物が現れた」

 イブキが眉間を指で揉みながら続ける。

「まさにそれなんですよ、今日ルーク君に会いに来た理由……強力な魔物が各国で目撃されている。魔物を完全に滅ぼせるわけではありませんが、魔王を倒したことで弱体化したはずでした。

どの国も対応に追われています。この国はまだ……大きな被害は出ていないようですが」

「魔物が出れば俺が出向くし、シェルの結界がある。ルークが睨みをきかせているしな……他国より守りは堅いはずだ」

「この騒ぎ、魔王復活の兆しではと、噂になっています」

 まさか、とディオンは笑い飛ばした。イブキも微笑んでいるが、目は笑っていない。

「早すぎるだろ」

「ですよねぇ」

 ユリウスは同盟国の救援や、国境付近に出た魔物の対応に忙殺されている。イブキもそうなのだろう、険しい顔で眉間を揉んで大きなため息をついた。

「思えば十年前……神獣が消えたのがきっかけだったのかもしれません」

 邪悪な魔力から生まれるのは魔物だが、聖なる魔力からは神獣と呼ばれる善の生き物が生まれる。神の加護によって各地に産み落とされ、それぞれの縄張りを守護していた者たちが数年前から一柱、また一柱と消えた。

 巨体の象、獰猛な獅子、勇ましい雄鹿など、どれも凡人には傷付けることのできない伝説の生き物だ。最初は務めを終え、神の元に召されたのだと誰もが思っていた。神の作った円環のもと、新たな神獣がすぐに生まれてくるはずだと。

 だが数年経った今も、新しい神獣は目撃されていない。

 イブキは出された茶には手をつけず、おもむろに席を立った。

「王が居ないのであれば出直しましょう。愚痴に付き合わせましたね」

 その時、乱雑なノック音とほぼ同時に応接間の扉が勢い良く開かれた。転びそうな勢いで二人の少年が駆け込んでくる。

「イブキ様ー!」

「先生ごめんなさい! 大司教様と先生がお話してるって聞いて、ラケスがどうしてもって」

「おお、まさかラケス殿下にレナトス殿下! お二人ともこーんなに小さくて、洗礼式をしたのが昨日のことのようですよ……子供の成長は早いですね」

大司教に頭を撫でられ、王子たちはへへへと照れ笑いを浮かべる。

「はぁはぁ……ラケス様、レナトス様! 書き取りがまだ終わって……はぁはぁ……」

 そこに王子の教育係をしている公爵夫人が息を切らせてやって来た。大司教の姿に驚き慌ててカーテシーをしてから、ぐずる二人の王子を両手に引きずって退出した。

「元気でよろしい。今はディオン君が二人の師範だとか」

「ああ、二人とも教え甲斐がある」

「そうですか……いくつになりました?」

「ラケスがもうすぐ十三、レナトスは十になったところだ」

「……覚えていますか? レナトス王子の洗礼式。ルーク君の希望で、ディオン君が代父として参列しましたね。王子を抱いた君に、私が祈りを捧げました」

 ディオンも当時を思い出し、懐かしさに目を細める。腕の中にすっぽり収まる、ちいさな赤ん坊。

 ユリウス子たちは全員生まれたその日からすぐ側で見守ってきた。忙しいユリウスに代わり、父親役を買って叱咤することもある。それでも慕ってくれる王子たちを、我が子のように大切に思っている。

 ディオンの胸に呼び起こされたあたたかな想いとは反対に、イブキはじっと、ディオンを試すような眼差しで見つめた。

「私はね、自分が長命種の末裔なのをよく忘れてしまいます。王都を離れてからは特に、時の流れに疎くなった。だから……意識していませんでした」

「何が言いたい」

「……若作りは程々にという事ですよ、ディオン。君は若すぎる。《十年前から変わってなさ過ぎる》

今は何も聞きません。話したくなったらうちまで来てください、いつでも開けておきますから、だから──」

 言い終わるより早く、ディオンが剣を抜き、さらにそれより早くイブキが障壁を張ったが、すぐに解いて無防備になった。

「ディオン君……私は君を信じています。ルーク君の親友である君が邪道に堕ちるはずがない……」

「俺の何を知ってそんな事が言える」

「……少なくともまだ私を許せていないのは知っています。さあ剣を納めなさい、人が来ますよ」

 ディオンが剣を収めると同時に、イブキの付き人が控えめにドアを開けた。

「大司教様、そろそろ……」

「おや!もうそんな時間ですか。旧友とつい話し込んでしまいました。ではそろそろお暇しますよ」

 いつもの飄々とした笑みを浮かべてイブキは去っていった。

 一人応接間に残されたディオンは、いつものように懐の宝玉に話しかける。

──今日は良い日だ。何年振りだろう、あいつに会ったのは。イブキの奴、全然変わってなかったぞ。あれがエルフの血というやつか? 羨ましい限りだな、俺はやっとの思いで手に入れたのに……。

 壁に掛けられた華美な鏡を覗き込んだ。男が一人写っている。確かに騎士団長を名乗るには不釣り合いなほど若すぎるかもしれない。

「実験が成功しすぎるのも困りものだな。髭でも伸ばしてみるか? なあルーク」

 神獣の角や鬣には確かに不老の力があったが、なにぶん触媒として強力すぎて制御できないのが難点だった。

 周囲から怪しまれては、今の立場が危うい。権力や名誉に興味はないが、今面倒を見ている二人の王子が一人前になるまで側で見守りたいという情が芽生えていた。

──暫く見た目だけでも誤魔化すしかないか。自然な白髪を作る魔法を調べよう。

 ディオンは上機嫌で応接間を後にした。



 膨大な量の魔王の蔵書。

 最後の方は蚯蚓がのたうったような奇妙な文字や、特定の魔法をかけなければ文字が浮かばない本など、一冊の解読に数ヶ月かかる事も多々あった。

 だが老いのしがらみから逃れたディオンはまるで長く続く趣味を楽しむように解読を進め、ついに全てを読了した。最後の頁を読み終わるとディオンはサイドテーブルにそっと本を置き、大きく息をついて横たわった。ランプを消し、月明かりを感じながら目を閉じる。

 解読を始めてから、二十数年の月日が経っていた。



 勇者王ルークが倒れたのはそれから三年後の冬だった。

 初めは持病の頭痛だと王自身侮っていたが、次第に玉座に座っていられなくなり、ついにベッドを出ることも難しくなった。近頃は王のために設けられた、日当たりがよく静かな別棟の療養部屋で一日を過ごしている。

 玉座には王太子が座り、それを第二王子がよく支えているので政の滞りはない。

 ただこの国の繁栄の象徴であった勇者王が臥せていることで、言葉にはしないが皆不安になっていた。

ある昼下がり、法衣を着た男が王を見舞った。

「イブキか……」

「ルーク君。いかがですか、体の調子は」

「うむ、絶好調だ……」

 年齢の割に皺が寄り、青白くなった手をイブキが握る。冷たい枯れ木のようなそれは、もはや勇者の剣を振るうことは叶わない。

「鎮痛のまじないを掛けた聖水を持ってきました。辛いときに一杯飲んでくださいね」

「ああ……助かる……」

 起きあがろうとする王の背をイブキが咄嗟に支える。そこにシェルもやってきて、慣れた手つきで王の背に厚いクッションを入れてやった。

「ルーク、無理して起き上がらなくて良いんだぞ」

「シェル……久しぶりにイブキに会えた……これが最後になるかもしれん、よく顔を見せてくれ……」

「そんな弱気な事言うなよ」

「そうですよルーク君。次はディオン君も連れてきますから、全員で話しましょう」

 気丈に、励まそうとする二人も声が震えていた。痩せこけた友人の体を見て感傷を覚える。それでも王は白い顔で心から嬉しそうに笑い、痛みも忘れて旧友たちと昔のようなひとときを過ごした。



 その頃、騎士団長の職を辞し、いち家臣として王を支えるディオンの屋敷に不本意な来客があった。

「ふーむ、良いところに住んでいるではないか。かつてこの儂が卿をルークの従士に据えてやった事、忘れてはいまいな?」

「勿論です、閣下」

 ふんぞり返る老人に、ディオンは苛立ちを隠しきれない様子で接待していた。ルークの実父、元伯爵は自分より華々しい経歴を持つディオンに虚勢を張りたい一心で、茶を出したメイドに茶がぬるいだの別の茶菓子は無いのかなどと余計なケチをつけるので、ディオンはメイドを下がらせ、本題に入るよう促した。

「うむ……サイモンよ、話せ」

 ルークの腹違いの兄だ。ルークの家族を邪険にできないにユリウスによって取り立てられ、無能には不釣り合いな地位を得ている。

 どんな肩書があろうが本質は父親の言いなりの凡愚だな、とディオンは胸の内で吐き捨てた。

「あー、ディオン……殿。王太子殿下は未だ独身であられる。殿下は確か貴殿を師として慕っているとか……ところで、うちの末娘が来年成人の予定でな、親馬鹿だが器量良しのいい娘だ」

「サイモン様。簡潔に話していただけますか」

「儂の孫娘と王太子の縁談をまとめろと言っとるのだ」

 鼻息荒く口を挟んできたかと思えば、ディオンは苛立ちを通り越して頭が痛くなってきた。

「なぜ今、それを俺に? ご自身で王に直談判すれば良い話でしょう」

「とっくに何度も言っておる! だがルークの奴、結婚は本人に任せるだの言って聞く耳を持たんのだ! ラケス王子と従兄弟である孫娘が婚姻すれば我が家は更に強くなる。ルークが寝込んでいる今が好機なのだ。死んでしまってからではまたややこしくるからな」

「王がとうに断った事をなぜ俺が」

「お前が言えばなんとでもなろう! 縁談がまとまった暁にはもう一人の孫娘をお前にやる! 若い娘の身体は良いぞ? なんのつもりで独り身でおるのかは知らんが、妻を娶って子を作らねばこの家は誰が継ぐのだ?」

「……──だ」

「何だ、聞こえんぞ」

 ディオンは身を乗り出した。

「余計なお世話だと言ったんだ。それが人にものを頼む態度か?」

「……この恩知らずが! 王に取り入って、尻尾を振るだけの能無しめ!」

「それはご子息に言ってやるといい」

 サイモンは耳まで赤くして俯き、老人は豪奢な指輪を嵌めた手をわなわなと震わせながら杖を振りかぶった。

 ディオンは振り下ろされた杖を難なく素手で受け止め、横に振り払った拍子に老人も釣られて無様に尻餅をつく。

「父上! 帰りましょう……!」

 サイモンは逃げ腰だが、元使用人に侮辱され、激昂した老人は必死に罵詈雑言を投げつける。

「儂に逆らって、今に後悔するぞ!」

「それで結構です。いい加減お引き取りください」

「ふん、所詮お前は卑しい娼婦の息子の小間使いよ。昔からそうだったな。あいつめ、サイモンのスペアとして引き取り面倒を見てやったがお前たちは本当に目障りでなあ! あれに父と呼ばれるたびに寒気がしておったわ!」

 ぷつん、とディオンの中で何かが切れる音がして、次に気付いた時には血溜まりの中に立っていた。

 首と胴が泣き別れになって床に転がる老人の後ろで、サイモンが声にならない悲鳴をあげ、腰を抜かして這いずっている。

 赤黒く煌々と輝くディオンの瞳と目が合った瞬間、サイモンは泡を吹いて失神してしまった。

「俺としたことが……宝剣の方を抜いてしまったか」

 刀身にこびりついた脂を老人のガウンで拭う。

やってしまった、と一瞬思ったが、思いがけずルークと血縁のある肉体が二体も手に入った事実に気付くとディオンは先程の怒りを忘れて胸が躍った。新しい玩具を手に入れた幼い子供のように、この【素材】をどう使うかで頭がいっぱいだ。

「今まで罪人や、賊で試してきたが勇者の血縁はやはり違うのか? ああ、これほど近くに良い実験体がいたのを今日まで忘れていたとは……

とにかく、今はここを片付けなければな」

 ディオンが指をパチリ、と鳴らした。と、同時に先程下がらせたメイドが控え目なノックをしてから室内を覗き見る。

「旦那様、何か大きな音がしましたが大丈夫ですか? あら? お客様は……」

 床に染みひとつない、整然とした部屋でディオンが紅茶を飲み終わったところだ。メイドは目を丸めて部屋を見回すが何の異変もない。

「先程帰られた。それと俺は少し出かける」

「まぁ……もう日が暮れてしまいますよ」

「急用だ。悪いが夕食は不要になったとキッチンに伝えてくれ」

「かしこまりました」

 メイドは主人が飲み終わったティーセットの後片付けを始めた。ずれた椅子のクッションを整えて、椅子を戻そうとした時、コツンと足先に何かが触れた。

「あら?」

 金銀がふんだんにあしらわれた、紳士用の杖が転がっている。

「いけない、忘れ物だわ」

 メイドは杖を持ち──ふと疑問に思った。杖をついたおじいさんが、杖を忘れて帰るなんてあるのかしら……?

「まあいいわ」

 考えている暇はない。早くキッチンに行って、夕飯の下拵えを始めているであろうシェフにキャンセルの事を伝えなければ。杖はとりあえず、執事長に預けておこう。

 メイドの頭に浮かんだ一抹の疑問は、すぐに忘れ去られた。

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