初めての距離
お待たせしました。
やっと風邪が落ち着いたのでまた投稿し始めます。
楽しんで頂けると幸いです。
顔を上げた先にアルベイユ殿下がいることに驚きを隠せずに何度も瞬きを繰り返す。
その姿は泥まみれで端正な顔も、普段ピシッと着こなしている制服も汚れていた。
「…アルベイユ、殿下…?」
「あぁ。なんだ。」
「何故…ここに?」
「そんなのお前が斜面から転がり落ちたと聞いたからだ。リリアンヌが血相を変えて自分を庇って落ちたと言っていた。そんなことしそうにないのにな。」
余計な一言にカチンっとくるもそれよりも重大なことがあるのでそれは置いておいてアルベイユ殿下に詰め寄る。
「だとしても、一国の王子が、しかも次期国王になるかもしれない唯一の御方がこんなところに来るのは間違っております。万が一御自分の身に何かあったらとは考えなかったのですか?!貴方様は私のように代えが効く存在では無いのですよ!」
そう捲し立てる私の目を見つめて殿下はとんでもないことを言ってのけた。
「だが、俺はお前の婚約者だ。お前の唯一の婚約者の俺がお前を心配しないでどうする。」
その言葉が衝撃的で瞠目してしまう自分がいる。
心配…?心配したの?私を?
公務以外で殆ど顔を合わせることもない、興味すらもない私を?
「どうした?どこか痛むのか?すぐに緊急の合図を出す。少し待っておけ。」
そう言うと殿下はポケットから合図を打ち出すための筒を出し、赤い花火を打ち上げる。その姿をぼーっと眺めているともう一つ緊急用に渡されていた小型シェルターを私の横に起動させていた。
「防音防壁で姿くらましの魔法を施してあるそうだ。とりあえず、この辺の魔物になら有効だそうだから安心しろ。」
今もなお黙ったままの私を不審に思ったのか殿下が顔を覗き込んでくる。
「ヒャッ!」
そのあまりの近さに変な声が出てしまうのはしょうがないことよ。だってこんなに至近距離で顔合わせるのなんて初めてなんですもの。
「顔色が少し悪いな。何処か痛むところは?」
「べ、べつに、ないですわ!」
「そんなことはないだろう。あの高さから落ちたんだ。見せてみろ。」
そう言うと壊れ物を触るかのような手付きで私の肩や腕に指を這わせる殿下。
こんなこと殿下と婚約してから初めてのことであまりのことに頭がおかしくなりそうですわ!
「なな、な、なにを!!」
「いいからじっとしてろ。確かめるだけだ。」
「だとしても破廉恥すぎますわっ!っい…!」
殿下の手を払い除けようとしたら右足が痛み、つい声を上げてしまった。それに気付いた殿下が視線を下げて足を見る。
「これは…ひどいな。少しでも冷やしておこう。」
そういうと私の右足に氷魔法をかけてくれる。冷んやりとして熱くズキズキと痛む足が少し楽になる。
「あ、ありがとう、ございます。」
「あぁ。他に痛むところは?」
「は、本当にもうありませんわ。」
「そうか。ならば迎えが来るまで暫く待つとしよう。」
それから暫くは沈黙が続いた。
私はこの状況を、殿下の行動の意味を考えあぐねていた。けれども考えても考えてもなんだか思考が纏まらず、だんだん頭がぼーっとしてくる。
それになんだか顔が熱い。心臓の鼓動も早くなっている気がする。
何?もしかしてアルベイユ殿下相手に緊張しているとでも言うの?全く、今更可笑しな話だわ。
殿下も殿下よ。何故今更私を気にかけるのかしら。
アルベイユ殿下の方をじーっと見ていると不意に目が合う。その瞬間ドキリと鳴る心臓。けれども目を晒せずに見つめ合う。
胸が苦しい…。何なのかしら。最近可笑しいわ。
呼吸が上手く出来ず、息も段々と荒くなっていく気がする。
「アイリス?」
名前を呼ばれるとますます心臓が早く脈打つ。
「っ…!殿下っ…。」
はっ…、はっ…、と荒くなる息、きっと赤くなっているだろう火照りを増す顔、こんな姿、殿下に見られたくない。けれど目を晒すこともできない。
次第にアルベイユ殿下の手が頬に触れる。
森の夜の寒さで少し冷たいその手が酷く気持ちよく感じでしまい、つい、その手に顔を擦り寄せてしまう。
見ればアルベイユ殿下の頬も赤く染まっているように見えた。
「…熱い…な。」
無言でこくりと頷き返事を返す。
そして、とすっ、と殿下の胸にしな垂れ掛かる。
公爵令嬢としてあるまじき行為なのはわかっているが何故か身体に思うように力が入らない。
そんな私に驚いているのかアルベイユ殿下の手が右往左往しているのが動きでわかる。
そのことが少し可笑しくて、ふっ、と笑うも、段々と睡魔がやってきて瞼を下ろそうとしてくる。
こんなところで寝てはいけないわ。せめて救助が来るまでは…!
眠気に抗おうとするもアルベイユ殿下の心臓の鼓動が私を安心させてくる。
だめ!だめよ!起きなさい!
そんな攻防も虚しく、殿下の手が私の瞼を閉じさせるように撫でてくるので、そのまま眠りに落ちてしまう。
ゆらゆらと揺籠のように揺れるのが心地いい。
なんだか羽毛にでも包まっているみたいに暖かいし、もう少しだけ寝かせてもらいましょう。
はっ!と目が覚めるとそこは見知った自分の部屋であった。
私はどうしてここに…?
そこで思い出した。思い出したくもない、アルベイユ殿下への醜態の数々を。
かぁー、と顔に熱が集まるのがわかる。
私ったら何をしているのかしら!
もう!破廉恥が過ぎましてよ!!
あ、あんな殿下の胸に…。
そこで思い出す。思った以上にがっしりとした胸板の感触を。
さらにかかー、と熱くなる顔をぼふっ!と枕に埋めてジタバタしてみるが、忘れることなど出来るはずもない。
本当になんてことをしてしまったのでしょう。
殿下に痴女だと思われてないかしら。
いや、私のことなんてなんとも思っていないのだからきっと大丈夫ね。
思い浮かぶのはアルベイユ殿下とリリアンヌさんの姿。
自分がどれだけ意識しようと殿下は彼女しか見ていない。その事実を思い出すと途端に冷静になれた。
明日、とりあえず謝っておきましょう。
目覚めたことを知らせるベルを鳴らすと侍女だけでなく、父も母もリーンハルトも部屋に入ってきた。
母ならわかるが父が涙を流して抱きついてきたときは侍女や執事含めてその場にいた全員呆れ果てた顔をしていたわね。
それから無茶をしたことを叱られつつも無事であったことを喜ばれ、子どものようで恥ずかしくもあったがそれ以上に嬉しかったのは秘密よ。
そして父の心配性により、しばらくは療養のため学園を休むことになった。