病は気から
前回、ユリウス殿下から近くで観察するのを止められてから私はまた、魔法で遠くから観察する日々となった。
可愛くなるのは簡単だと思っていたのに、なんと意外にも時間がかかってしまっているのですわ。しかし、一度決めたことはやり通さなくては己のプライドが許さないので途中で辞めるようなことはしませんけれど。
今日も今日とてルルアンヌさんを見つめていると、アルベイユ殿下が彼女のところにやってきて二人で談笑を始めている。これはチャンス!としっかりバッチリ凝視していると、なんとはしたないことに、笑いながらアルベイユ殿下の腕に触れているではないか。
「これは『可愛い』なのかしら…?」
己の常識ではダンスの時以外で婚約者ではない殿方に触れるのは御法度。ましてや白昼堂々とあのように女性から触れるというのは破廉恥というものだと教わっている。
流石にこれは真似できないわね。というか、あの方は教養がないと自ら体現しているような気がするのだけれども、アルベイユ殿下はそれでいいのかしら。
ちらりとアルベイユ殿下を見ると頬を赤く染め、戸惑いつつも嬉しそうに顔を綻ばせている。
己の見たことのない表情に、あんな顔もするのね、と一人思う。
それからアルベイユ殿下のあの顔が頭から離れられなかった。何と言っていいものか、見てはいけないものを見てしまったような、居た堪れない感情を抱いてしまう。
そんなぐるぐるとした思いを胸に、授業を受けるがちっとも身に入らない。まぁ、学校の授業内容などとうの昔に公爵家で習っているので、今更聞かなくてもいいのだけれど。
しかし、なんとも絶妙なタイミングでダンスの授業があったものですこと。
魔法学園なのだから魔法だけを学べば良いものを、こればかりはカリキュラムなので仕方がありませんわね。
広い室内演習場に集まり講師の話しを聞いていくと、途中でアルベイユ殿下が代表で踊って欲しいと頼まれ、婚約者である私も必然的に踊るはめとなる。
お互いに前に出る際にアルベイユ殿下は隣にいらっしゃるミリアンヌさんに袖を軽く引っ張られ、何か耳打ちをされて顔を赤らめている。
その姿を見るとまたもあの不思議な感情が胸に沸く。
何かしら。こんなこと初めてよ。
自分自身のことなのに、こんなに言葉にできない気持ちは初めてで少々戸惑うが、今は授業中。しっかりせねばと切り替える。
「では、音楽がなりましたら踊り始めてください。」
講師の言葉にお互いが手を取り、音楽が鳴れば何回したかもわからない踊りを皆の前で披露する。
いつものことなのに、なんだが違和感を感じますわ。
何故かしら。と悩んでいると、少しだけいつもより身体を合わせる距離が空いているのに気がついた。
それにより、またも私の心はもやもやと面倒な感情が押し込めてくる。
なんなのかしら。全く。きっと体調が良くないのね。
無事に完璧に踊り終えると大喝采の拍手の中それぞれが元の場所へと戻るのだが、アルベイユ殿下はそそくさとイエンヌさんの所へと戻って、また何かを耳打ちされていた。
もやもや…。
はっ!いけないわ。体調が悪化し始めているのね。これは早々に療養する必要があるわ!
ダンスの講義が終わるやすぐに医務室へと繰り出した。
魔法医師に少し休ませて欲しい旨を伝えると、治癒魔法の有無を聞かれたが怪我をしているわけではないので断った。そして、カーテンで仕切られているベッドで少し横になることに。
きっと慣れないことをしてるから疲れが溜まったのね。少しだけ眠りましょう。
そう思うのに、瞳を閉じると今日のもやもやした場面が瞼の裏に蘇ってきやがりますわ。
これじゃ、寝られませんわね。
寝るのは諦めて少し散歩でもして気分を変えましょうか。
そうして、私がベッドから起きようとしたらカーテン越しに声が掛かる。
「アイリス?開けてもいいかな?」
この声はユリウス殿下ではなくて?
どうしたのかしら。まさかご病気がぶり返したのではないの?
そんな心配が頭を過る。
「アイリス?大丈夫?開けるよ?」
返事のない私を心配してか遠慮がちにそろりそろりとカーテンが開かられる。
私の顔を見るや少し驚いたように目を見開くユリウス殿下の顔は初めて見ましたわ。
「大丈夫?」
「えぇ。私は少し気分が優れなかっただけです。ご心配痛み入りますわ。
それよりも殿下は何故ここに?ご病気は完治されたのでは?」
「僕かい?僕はただ単におサボりだね。」
「おさぼり?」
「そう。今剣術と魔法を掛け合わせる授業なんだけど、誰も僕に剣を持たせてくれないからね。暇で暇でこうしてふて寝でもしてるってわけ。」
あっかからんと言ってのけるこの人は本当にユリウス殿下だろうか?以前より王宮で顔を合わせたことのあるユリウス殿下はもっと沈んだ顔をされることが多かったが、最近は良く笑っている。
ご病気が治ったら性格も明るくなるものなのね。
なんだがその事実に嬉しくなって、胸のもやもやが少し晴れた気がした。
「アイリスは?そんなに泣きそうな顔をしてどうしたの?」
泣きそうな顔などしていたかしら。
そんな顔子どもの時以来だわ。いや、王子妃教育が始まってからはそんなこと許されなかったから、きっともっと随分と前になるわね。
そんなことを思いながらふっと笑うと、ユリウス殿下が覗き込んでくる。
「アルベイユと何かあった?」
さすがユリウス殿下ね。聡いったらないわ。
「いえ。何でも御座いませんわ。」
「何でも無いって顔はしていないけど。」
「そうですね。一つだけ。
…また、可愛いの成果を見てもらえますか?」
リリアンヌさんのように腕に触れることはできないけれど、袖を少し引っ張るくらいならはしたなくはならないわよね。
そう思って恥ずかしさを我慢して、ユリウス殿下の袖を少しだけ引っ張った。
「っ!!」
すると少しだけ頬が色づくユリウス殿下。
これはもしかして合格ではなくて?!
「見ましたか?!これが私の真骨頂ですわ!」
「…。ブーッ。ダメだね。これは反則です。」
「…反則なんてあるのですか?」
「そりゃあるよ。僕に触れるんじゃなくて、君自身の仕草だけで可愛くならないと。」
「ムムム…。確かに…、そうですわね。仕方がありませんわ。今のは無しということで。また考えて参りますので、その時は宜しくお願い致します。」
「うん。頑張って。」
それから次なる可愛いを学ぶために私は殿下に別れを告げて医務室を出た。
「あー…。危なかった。あんなの反則だよ。」