古典がどんなに良いものか、語れるだけ語ってやる!
『古典は時代の荒波を超えて、現代に伝わっている。それだけで価値がある』
立命館アジア太平洋大学の学長・出口治明が、著書で述べていた。
普遍的な価値があるのは理屈としては分かるが…。
それでもイマイチ、ピンとない。
そんな人にピンと来て欲しい。
そんな思いで書きました。
『古典を読め!』
『はい、読みます!』
そんな奴はいない。
古典は読めと言われて読むモノではない。
好んで読むモノである。
イヤイヤ読んで血肉になるモノか!
なのに、作家志望者に命令を下す者がいる。
教えるのが下手な作家は命令する事しか出来ない。
『俺達は書くプロだが、教えるプロではないぞ』
昔、某作家が講義で述べていた。
作家の多くが、講義に呼ばれるが、大半は教えるスキルを持ち合わせていない。
つまり素人講師だ。
そんな作家がうまく教えたい事を教える方法は、実体験を述べるに限る。
『これはためになる!』
そう思われれば、成功したも同然!
だから。
『古典はためになる!』
そう思われる事を願い、語るとしよう。
ある日、私はTwitter(X)で、猫の表紙の本を並べた画像を見つけた。
投稿主は猫好きのようだ。
その中に夏目漱石のデビュー作【吾輩は猫である】もあった。
(猫を主人公にした作品……ハッ!)
天啓が降りた。
雷に撃たれたような衝撃!
(現代を舞台にすれば、新しい作品が出来上がる!)
そこから、さらに想像(妄想!?)が拡がった。
猫好きは日本に数多といる。
夏目漱石の時代より、飼っている人も多い。
1人暮らしのOL。上京してきた若者。一人親家庭。施設の子ども、または老人。
飼う人も全く違う。
猫の視点で物語を描くことは、新規性と親和性を兼ね備えている。
しかも文豪・夏目漱石に肖れる!
広報戦略上、とても優位だ。
出版社が音頭をとって、そんな作品を募集すれば!?
夏目漱石の没年月日に合わせて出版すれば!?
WEB作家達が一斉に作品を発表すれば!?
流行が起こせるのではないか!?
いても立ってもいられずツイートした!
拡散希望と入れて。
【古典の舞台を現代に当てはめる】
それだけで新しい作品の萌芽となるだろう。
ちなみに夏目漱石が考えた。
《吾輩は猫である》の原題は【猫伝】
それを聞いた担当編集者は…。
『これでは駄目だ』
と、判断。
物語の冒頭の一文をタイトルにした。
担当編集者の判断が無ければ…。
タイトルは大事!
結局、古典は読んでなかったな。
しかし、古典は触れるだけで知恵をもたらす。
その実例として、読者に認識されれば良し。
また、ネタがあれば書くとしよう。