きのこ
4歳になるうちの息子は、きのこが好きだ。
始まりは4ヶ月前、そろそろ梅雨に入る頃だった。団地の横にある小さな林を二人で散歩していて、たまたま見つけたそれを「きのこだよ」と教えたのだ。それはさして美しくもない--と言うよりはむしろヌメッとして不気味な、小さなきのこだった。その何が良かったのかさっぱり分からないが、息子は驚くほどキラキラした目でそれを眺め、その日からきのこに夢中になったのだった。
息子の興味の対象がきのこだというのは、親としては少々複雑だ。音楽とか、ボール遊びとか、恐竜だとか、もっと色々あるではないか、等と身勝手な事が頭を過る。しかし、親の心子知らずとはこの事だろう。我が子は増々きのこへの偏愛を強め、林に連れて行けとねだったり、図鑑を眺めるだけでは飽き足らず、ついにある日、「きのこになりたい」と言い始めた。
そこから私達の戦いの日々が始まった。まず、「きのこになるためにはきのこを食べるべし」という原始的な思考に取り憑かれた彼は、その日からスーパーで必ずきのこをねだった。
買わなければ「きのこたべさせて」などと泣いて縋るので、恥ずかしくて辟易した。息子との攻防に破れた私は、その日から毎日数品のきのこ料理を作るという苦行を強いられた。3週間程それが続き、きのこを入れられそうな料理のレパートリーも底をついてきた頃、息子は作戦を変更した。
我が家では栽培キットで椎茸を育てている。息子が気に入るだろうと夫が買ってきたそれには、直径10センチ程の丸太に養分を塗りたくった菌床が入っている。それを室内の日の当たらない所に置き、日にニ回ほど霧吹きで水を吹きかけてやる。するとにゅっと椎茸の素が盛り上がり、一週間後には食べられる大きさに成長する。
それをじっと観察していた息子は、「しゅーしゅーして」と、自分にも水を掛けろと言ってくる。風邪をひくからダメだと霧吹きを仕舞ったが、登園前に服を着たままびしょ濡れになっている息子を発見して、さすがに絶句した。聞くと自分でシャワーを浴びたらしい。「そんなことをしても、きのこにはなれない、あなたは人間だからね」と言い聞かせたが、癇癪を起こし大層手を焼いた。翌日にも同じ状態の息子発見して、私は匙を投げた。仕方なく翌日からは、少しだけ髪に水を吹き掛けてやることにした。溜息しか出ない。
何とかならないものかと夫に零したが、「その頑固さは君似だよ。早く諦めた方がいいと思うな」などと笑ってくるから、余計に腹が立った。
その後も息子は、子供なりに知恵を絞り、きのこの絵を描きまくる、きのこ柄の服を着る、保育園の園長先生にお願いするなどの方法で、その憧憬を実現させようと試みたが、ことごとく失敗した。いくら何でもそろそろ諦めてもらわねばと思った頃、転機は突然訪れた。
その日は、前日の雨など嘘のように爽やかな秋晴れだった。保育園に向かって歩く私達を、セーラー服の背中が自転車で追い越していく。それを目で追っていた息子が、はっと息を飲んで、叫んだのだった。
「きのこ!」
「まさかそれで解決するとはなぁ」
夫が笑いを噛み殺しているのが分かって、ムッとする。
「笑い事じゃない。わたしがどれだけ振り回されたと思ってるのよ」
まぁまぁ、と夫が息子の寝顔を見つめて微笑んだ。
「好きな事に熱中して、頑張れる子だって分かったじゃない」
ぴぃぴぃと鼻を鳴らして眠る息子の髪型は、今日からマッシュルームカットだ。




