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栗の変化  作者: レモナー
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チャプター42 道化師の夜

  説明人が現れたと言う。それも少年だ。

 随分とありがたい。紗枝もそう思っているに違いない。

 だが、少年と比坂にかかわりがあるのがどうにも引っかかる。比坂は私に毒薬を与えた張本人のはずだ。いや、まだそれは確証されたわけではない。

 だからと言って今この場にいる彼女と普通に会話することなど不可能にしか思えない。帰宅後着替える時間もなかった背広姿のまま、和人世は脳を回転させていた。

 「今宵の順序…ね、あなたらしい卑怯な言葉だ」

 誠矢がぽつりと皮肉る。答えるように比坂は前に出た。

 「いいよ、必要ない。どうせあんたはオーナーの側についてたやつだ、僕より頭は良いんでしょ」

 すねた口調で誠矢は続ける。

 「明日は何の日ー?」

 小学生が先生におどけて尋ねる、その雰囲気がある一言だった。

 各人その質問の意義を考えだしている。

 和人世はと言うと、祝日の名前を次々並べているだけだ。

 「オレらの締切日ー?」

 「あ、確かにね。やばいじゃん」

 大学生らしい彼らがまず言った。後から来た裕也青年はその二人の方へ寄る。

 「圭護、下書きはどの辺よ?」

 「未だ構成図ぐらいかー、まあネタは上がってんだけど裏が取れてねえしな。裕也?」

 次に紗枝が囁いた。

 「明日はあの日じゃない…」

 何の記念日だっただろうか。そもそもこの時期に記念日など重なっていただろうか。妻は八年目にして記念日を猛烈に意識し出したが、その細かさには畏敬の念すら覚える。

 しばらく考えても何も思いつかなかった。

 「紗枝、何の日だ?」

 「教えない」

 即答だった。


  誠矢が中心に立つ。

 今この場で顔を見たことがあるのは、正直妻とその友人の片桐瑠衣のみだった。

 疎外感を覚えずにはいられない状況だ。自分以外はお互い認識があるようなのだから。否、妻も大学生三人組は知らないようだ。

 「それで?」

 比坂が促す。

 比較することは禁忌だが、紗枝に比べると妖艶な印象を持っている。

 視線に気づいたのか、彼女がこちらを向いた。一瞬、一週間前の仕事場を思い出す。コーヒーを持ってくる彼女の揺れるスカートから慌てて目をそらしたあのときを。

 そして、にこりと微笑んだ。妻とは異なる秘め事の多い笑み。

 「て言うかさあ、俺の口笛って結局何だったの?」

 拓と言った青年が怪訝そうに誠矢にぶつける。言われた当人は何でもないかのように受け答えた。

 「失敗だったみたいだね」

 裕也が残念でした、とからかう。

 「なんだよっ、お前がどっかいってなきゃ順調に進む予定だったんだろ? ラトルの美人さんと一緒にどこ行ったんだよ? その上瑠衣さんまで連れて来てさ」

 瑠衣が仄かに顔を赤らめた。

 敏感にそれに気付いた若者たちに熱気が取り巻く。

 「裕也ってめ…抜け駆けか?」

 「兄の思い人にか?」

 「そっか…福原部長さんは裕也のあ…になのお!?」

 よくわからない話題で盛り上がる青年達だ。紗枝を見ると、比坂が気になって仕方ないようだ。

 星の光を程よく受けて光るジャケットは、普段の彼女には似合わぬ魅力を発している。今気付いたが、靴もそれに合わせた黒皮だった。

 涙の痕はさっぱりと消えている。妙に安心した。

 「はい黙って」

 全員が口を閉じた。いったいこの少年が何だと言うのだろうか。

 よく見ると誠矢の両眼が光っているように思える。夏の夜に。あり得ない話だ。

 「オーナーの大切なものとるって話、あれは嘘ね」

 どうやら随分と酷い言葉だったらしい。圭護と拓はいきり立った。

 咄嗟に制した裕也を押しのけて、拓は関節を鳴らす。指、手首、首の順に。

 「いくらなんでもさあ、小学生におちょくられるのはよくないんだよね」

 純粋な外見とギャップある迫力だった。たとえるならば、新人に右ストレートを入れられて怒りに支配されたボクサーだ。多分この後は新人が消えるだろう。

 違った。

 圭護が拓の両手を背中にまわして押さえたのだ。

 「なにしてんの、圭護?」

 「オレもムカついてたまんないけどよぉ…こいつに傷付いたら何もかも分んないまんまで終わらせられそうだからな」

 拓の全身から怒りが抜けた。

 

  無性にタバコが欲しくなる。

 だが、禁煙をしてもう長い。背広にはライターしか携帯していない。

 そんな中で、裕也が口にタバコをくわえたのは嫌がらせにしか受け取れなかった。銘柄はスターザリック。若い時は世話になったものだ。

 「言い方悪かったかな、ラトルの厨房にその貼り紙があるのは本当だよ。でも、音波とかより大変な防犯装置があるの」

 「元々不可能なことをやらせたってことか?」

 少年は肯定の仕草をした。

 何人ものため息が聞こえる。だが、自分にその権利はない。

 「何でかって言うと、君達三人だけと話をしとこうと思ってね」

 突然居心地が悪くなった。自分は邪魔なようだ。

 瑠衣が進み出る。

 「それ今言ってどうするつもり? 大体ラトルのことなら私が一番知ってるわよ」

 比坂がくすりと笑った。彼女は従業員なのだから当然だ。

 誠矢も呆れたように顔を緩ませる。

 「言っとくけど、あんたが一番部外者だよ。何で此処につれてこられたのかも分かっていないでしょ?」

 これほど少年らしからぬ生意気な言葉をかつて聞いた事があっただろうか。

 一度ある。

 日本には珍しいテロのニュースで、インタビューされた街頭の人間でこんな感じのことを言った者がいた。後に彼が容疑者となり、世間を騒がせたのだが。

 「部長が関わっている時点で部外者じゃないわ」

 裕也がひゅうと息を漏らした。

 

  良い音を立てるヒールを鳴らしながら、瑠衣は中心に来た。誠矢の正面だ。

 「明日何が起こるっていうの? 私はさっき裕也君と比坂さんに聞いた少しのことしか知らない。部長には明日会えるの? あなたがこの騒動を巻き起こしたって本当?」

 どれほどいろんなことを経験してきたんだ彼らは。自分が生死をさ迷った問題すら小さく思える。

 「全部答えてもらえば満足?」

 どうにも少年が上手なようだ。

 瑠衣はふらりと下がると、一息吸って吐きだした。

 「順序通りならね」

 紗枝と似て強い女性らしい。

 誠矢もこれには予想外だったようで、一瞬目を大きくした。

 それでもすぐに無表情に戻り、ポケットに手を入れた。何が入っているのか分らないが、それを握っているようだ。

 「この三人にしか言うつもりはなかったんだけどねえ」

 この三人は不意に呼ばれてびくりとした。

 「一つだけ答えてあげられる。騒動を起こした中には僕もいるよ」

 瑠衣の眼に戸惑いが浮かんだ。紗枝から聞いてはいたが、彼女の会社も被害が大きかったようだ。株と言うのは経済の要。影響しない方が珍しいだろう。

 「圭護、何か言って」

 「お前に任せるよ、我らが好青年」

 「誰それ?」


  比坂が細い腕を綺麗に組み、左の指で腕を叩き始めた。日本人共通の合図、先へ進めと言うことだ。

 「えーっと、僕らはなんによって集められたかっていうと、ラトルだね」

 全員がうなずく。和人世もつられて首を振った。

 「それで、ここにはいないのもいるけど、オーナーを止めたいって言うのが方針としてある」

 「部長を探すっていうのも…」

 「含んでいるから黙って。ただ、ネットの世界じゃもう勝てないことが判明している。それについて細かく言うつもりはないね。付け加えるなら君らが何しようと興味もないね。ただ、明日にはすべてが解決するとだけ言っておくよ。さあて、今から何すべきか分った?」

 疑問詞が浮かぶのを止められない。

 しかし、比坂には何かが感じ取れたようだ。薄暗い中、顔が輝いている。

 瑠衣は真剣な表情で話から外れて行った。これ以上聞きたい事もないと言うように。三人の若者は裕也を真ん中に話しこんでいる。

 隣の紗枝の手を握ると、彼女も握り返した。

 「一つだけ聞きたいんだ」

 「なに?」

 紗枝と誠矢の声が被った。和人世は苦笑する。

 「悪い、比坂にだ」

 少年が心外だとばかりに顔をしかめた。女神の如く存在感を振りまいていた彼女が、そっと歩み寄る。

 記憶と同じ、ラベンダーの香りが流れた。

 「眼が見えなければよかったですか?」

 「いや、見えててよかったと思うよ」

 比坂は満足げにカールした髪をなでた。

 「あのな…俺に淹れたコーヒーに何か入れたか?」

 返事は期待していなかった。答えは欲しかった。

 「貴方がそう思うのでしたら」

 そうか、そうならいいんだ。

 紗枝は何の事かと目で訴えてくる。誠矢は既に意識の外らしく、ぶつぶつと口を動かしていた。

 赤い星が高く上がった。

 「紗枝、用は済んだか?」

 「全然」

 それでも、彼女は腕をからませてきた。

 少年を一瞥すると、紗枝は最後に言葉を残した。

 「明日には、貴方のお母さんについてすべて答えてもらうわ…誠矢君」

 少年は顔をあげなかった。小刻みに肩を震わしただけだ。

 紗枝もすぐに振り返ると、車へ和人世をせかした。奇妙な会合が終わった。

 解散だ。

 明日に向けて。

書き始めから大分話が絡まってしまった気がします。でもそれでいいのかなあ…彼らは同じ方向へ向かっているみたいですし。とうとう終末の日が来ますね。淋しくなります。

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