チャプター41 揺れる遊具
あるたとえ話がある。
糸が絡まりすぎて解けなくなったものを渡されたとしよう。大抵は三パターンに分かれるそうだ。
一人目。何とかほどこうと工夫をし、最終的に解ける者。
二人目。少しほどこうと努力するが投げ出してしまう者。
三人目。最初からほどこうとせずにハサミで断ち切る者。
さて、僕はどれに属するだろうかね。
人間なんて分けようと思えば簡単に分かれちゃうもんだ。今この場にいる奇妙なメンバーもね。
「誠矢君、いったい何が起こったっていうの?」
「多分返事無いでしょうからオレが答えますよ」
「圭護、まずは自己紹介から始めてくんない? 裕也もいねえし…何この状況」
「紗枝…此処に来たのは理由があったんだよな?」
疑問詞の列が伸びていく。勿論僕はこの混乱を解いてやる気はないね。ハサミを持って微笑みながら機会を待つだけだ。
拓とかいうのは完ぺきに一人目のパターン。突然現れたこの女性もね。多分よく知らないこの男は二人目だな。
圭護とか言ったこの男は一見二人目だけど、実は三人目に思えてならない。
「すべての要はこいつが握ってるんで説明させます」
ほらね、こういう駆け引きに慣れているんだ。
ラトルから少し離れた公園に集合している。
既に沈みつつあるつきの弱弱しい光が辺りを包みこんでいる。夏の湿気は太陽の残り香の如くしつこく漂う。
「誠矢」
全員が誠矢を見る。
公園の脇にあるブランコを囲んだ柵にもたれかかる青年二人。不安げに手を握りしめ合う夫婦。
のんびりと彼らを見回して、誠矢は唇を持ち上げた。
「さっきも言った通り、裕也って人は女の人が連れて行ったんだ。暗かったからよくわかんないけど、あれってもしかしたらラトルの従業員かもしれない」
和人世を除く全員が反応した。拓は柵から勢いよく立ちあがったせいで足をつったようだ。案の定、これだけの人数の手前、痛みに耐えながらも文句をぶつける。
「お前って何考えているのか分んねえよ。ラトルのオーナーの秘密を暴くんだったら普通止めるだろうがよ」
圭護が察して拓に座るよう促す。拓の赤いスニーカーが滑る音がした。
「あっという間だったんだもん、二人とも打ち合わせでもしてたみたいに」
圭護の表情が暗くなる。
(へえ…知ってるんだ)
誠矢はわざと反応を待った。秘密と言うのは自分から話すよりも聞きだす方が何倍も愉しい。
紗枝は先ほどから誠也を見ていたが、その視線は誠矢の意識に届くことはなかった。ブランコを軽く揺らしながら、少年は頬づえをつく。
重い沈黙が下りてきたときに、とうとう圭護が口を開いた。
「拓からいってくんね?」
何と卑怯者な。
「何のこと?」
無駄だったみたいだ。
圭護はあからさまに当惑する。目の前の青年の無邪気ゆえの無知を、呆れを通りこして恐れているかのように。
顎を掻く仕草がまたそれらしい。
「裕也の名字だよ」
拓が足をさするのをやめた。全員の視線が彼に集まる。
彼は青年離れした純粋な笑顔でそれらを受けとめる。
「何が? 福原だよ…あ」
どうやら当人も含め時が止まったようだ。
僕以外。
事情を呑みこめていない和人世をしり目に、拓と紗枝は慌てふためいている。
「福原って、福原って瑠衣ちゃんのあの部長…っていうより私の部長」
「えええ、裕也まさかあの男と家族…うわ想像できない」
「拓今頃かよ…」
静かに、静かにと二人を見詰めた。
誠矢の蒼い眼は彼らの心に冷たく浸透していく。会話がやんだ。
「それで、圭護は何を言うつもりなの?」
ちらりと見上げた先の男は、月を背後に立っていた。放射状に立った髪はシルエットとなって浮き上がる。骨格だけで男らしさが伝わる影だ。
「オレさ…」
誠矢は舌打ちを我慢した。
こうした勿体ぶり方は憎むものの一つだ。
夜風が五人の間を通り過ぎる。和人世が短く咳をした。
「オレさ、裕也とオーナーって仲間だと思うんだよな」
「あり得ないね」
言ってしまってから誠也は後悔した。早すぎる否定ほど肯定に近いものはない。圭護が自分を見詰めているのを感じる。
「知ってたんだな、誠矢」
大人びた声が聞こえる。誠矢は両足でブランコを揺らす。
錆ついた音がこだまする。
しばらくその余韻を楽しんでから、少年は狂ったように笑い始めた。
幼い口をゆがませて、背中を震わしながら。
「フフハハッ、アハ…ハハ…だったら何か変わったの? ハハ…」
(だったら何が出来たの?)
紗枝がゆっくりと和人世から離れ、誠矢に近づいてきた。
それに気付きながらも圭護と相対する。圭護は笑っていなかった。
ただ、目の前の少年を見下ろしていた。誠矢はまだ低く嗤っている。
「誠矢君、貴方のお母さんのことを話させて」
笑い声が止まる。
紗枝はうなじに何かが突き刺さる気がした。
「…いやですよ」
誠矢は顔を上げた。随分と愉快な面が並んでいる。Tシャツの襟元の乱れを正すと、ブランコから立ち上がった。
紗枝がハッと息をのむ。
茶色い前髪のカーテンの向こうで、彼女は身をすくませた。
「母の出番は明日なんです」
フッと顎を引いた誠矢は道化師の神秘さを秘めていた。
圭護は無言だった。拓も言うことが見つからずに呆然としていた。
その中で一人、無知ゆえに勇気が絞り出せた男がいた。
「栗野美里だろう? 君の母親は。いったい今回の事件に彼女がどう絡んでいるのか説明してくれないか? 私は比坂に毒殺されかけた。大翔がいなければ事件すら気付けなかった。君たちに会うことなど予想もしなかったっ…だが、出会ったのは何かが働いているせいなんだろう?」
誠矢は口元を拭った。
こういう人間は嫌いじゃない。
「事件、毒殺、策略、騒動、変化、色々な名前を生み出してきたねオーナー…でもね、オーナー何か比じゃない位すごい人がいるんだよ?」
和人世の冷や汗が流れる音が聞こえる。
紗枝は自分を直視できないようだ。
「勿論比坂よりもね」
圭護が柵に腰かける。頭をくしゃくしゃに掻くと、整理できたのか一言言い放った。
「裕也は悪か?」
久しぶりに答えにくい質問だった。
思案する時間を稼ぐのも忘れるほどに。
「正義なんじゃない?」
声の主は、美しい女性だった。
公園の出口に近い所かららしい、三つの人影が寄ってくる。
(へえ…来たんだ)
順序を大切にする血筋にしては綺麗じゃない登場だ。
和人世が後ずさった。圭護はにやりと人影に笑いかける。
「比…坂っ…」
「今晩は、良い夜ですわね」
「よお」
「待ってたのか、圭護」
比坂は白いストールをひらめかせていた。裕也は先ほどと同じ格好だ。
そしてその後ろには、ラトルで何度か見かけたことのある女性が腕を組んでいた。
「ここに来ればいいって…言われたんだけど」
どうして誠矢君がいるのかしら、そんなつぶやきが聞こえた。
(良いよもう…面倒くさいけど説明役に回ってあげるよ)
ポケットの中のUSBを指で転がしてから、誠矢は比坂に声を掛けた。
「何からしましょうか?」
星空の下で女性は髪をすいた。流れるようにそれは背中に落ちつく。
「今宵の順序の説明から」
艶やかな唇はそれ以上言葉を生み出そうとはしなかった。