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栗の変化  作者: レモナー
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チャプター3 青年は・・

  

  目を開けるとカメラがオレを捕えていた。


  そうだ、昨日は仕事から帰って外さないまま寝てしまったんだ。

 携帯を見てアラームに裏切られたことを知る。床についた手がジワリと湿っていた。

 「暑ぃ。三八度とかマジねぇ」

 チェックのシャツを脱ぎ捨て『ユウゴ』のTシャツを被る。一瞬の蒼の世界の後、天井が見下ろす日常へ顔を出す。

 まだ日の目を見ないこのブランドはオレの好みにはまっている。自分の名の圭護と少し響きが似ているのも誇らしい。

 パンの袋をつかみ取りカメラ用のバックを肩にかける。家具より多いコンビニの袋を足で脇に寄せながら、思考力の目覚めない頭を掻いた。

 視線を投げかけてくるアズを無視して、玄関へと向かう。

 目を軽く押さえ眠気を追い払っていると、アズが腕の間から顔を出した。

 「太ったな、のろま猫」

 地の底から絞り出したような声で鳴き、アズは肩へよじ登った。

 「悪かった、オレが悪かった。だから髪はくわえんな」

 濃いブラウンの体と黒い縞模様のこの獣は、未だ主人を理解していない。

 1DKの部屋はこいつの世界へと化している。

 何度表面を片付けようと染み付いたものは変わらない。毛が散らかっているとかではない。

 部屋中からアズの気配がする。猫ってこんなすごい動物か。

 やっと降りたアズが出ないようにドアを開ける。

 正午の空気はむせかえるほど湿っていた。それでも大きく息を吸う。

 「じゃあな、アズ」

 一声聞こえた気がした。


  今日の相手はケーキ屋らしい。相棒の拓と裕也からは連絡が入っていない。

 (情報なしってことか、そりゃいい)

 高校卒業して、進路をすべて無視し三人で始めた記者まがいのこの仕事は、すっかり板についた。

 すべてのバイト代をつぎ込み買ったカメラを片手に、この二年調査をしてきた。

 もちろんスポンサーはいる。拓の父親だ。

 どこかの雑誌のトップという彼はオレらの為に一ページも提供してくれた。

 ここまでなら涙ものだが、週一ネタを探すのは容易じゃない。

 それにそろそろ仕事で上へあがりたいころだ。

 いつまでもコネを使ってるんじゃ、な。

 『オーク』と名付けたマウンテンバイクにまたがり、駐車場の一角を蹴飛ばす。

 名前通り力強い自転車が、足のリズムより早く街を駆ける。 


  口笛を吹きながら走っていると目的の場所が見えてきた。

 アパートの八丁目から十一丁目まで一時間もかからない。難点と言えば、高い建物の無い所為で影の恩恵を授かれないことだろうな。

 変な名前の看板が見え、『オーク』を止める。煙を立てながら地面に新たな黒い跡を刻んだ。

 白を主とした外観で欧米風だ。一枚フィルムに焼きつけチェックする。しっかり看板も入れて、周りの花壇を暈し、店を際立たせた。

 「洒落てるって言うか」

 目の前でガラスのドアが開き、愛想のよい男の声がした。

 「いらっしゃいませ」

 少なくとも三百円は財布から消えてもらわなければならないだろう。

 店長の雰囲気からして「冷やかし」は不可能だからな。

 なるべく呼吸を浅くする。肺まで侵されないように。勿論ケーキ屋の中でそれは不可能に近い。

 バニラとイチゴと、後はよくわからない甘いにおいが次々とオレの努力を無にする。

 何気なくショーケースを眺めながら、拓と裕也が好きなモンブランを探す。

 「すいませんね、さっき売り切れてしまったんですよ」

 オレは何も言ってない。しかし店長はオレを見ている。他に客もいるのにオレを見ている。

 「は、ああ、どうも」

 (笑顔作るだけでも嫌なのに、なんで赤の他人に笑わなきゃいけない。)

 とにかくモンブランがないなら仕方ない、チーズケーキに狙いを変えた。

 財布を見ながら、「カラメルチーズケーキ」を選ぶ。質よりも値段が大切だ。一つ一九〇円は偉大だ。

 注文しても値段は告げられなかった。舌打ちを我慢し暗算で小銭を出す。

 (アンケートがあれば、即効苦情を書くんだけどな)

 「すみませんね、うちはそういうの置いてないんで」

 独り言体質の自覚はないんだが。なんでオレを見てんだ。他に客もいるのに何でオレを見てんだ。

 男は何も気にせぬように笑っている。見方を変えれば見下しているようにも思える。捻くれた捉え方の好きな自分は勝手に気分を損ねた。

 では、考え方をもっと変えてみればどうなるだろうか。

 (こいつがエスパーってことも…狂ったかオレは)

 「はは、何のことです」

 なんとなく返事は聞きたくなくて、急いで外へ出る。逃げているようでさらに苛立つ。

 下げた袋から漂う香りが胃を刺激した。

 (だから嫌なんだよ、ケーキとか。バニラの香りとか。)

 飛ばそうと考えながら、オークに跨った。忠実なオレの足は、何も言わずに主人に従った。


  ドアを見つめて男はつぶやく。

 「わかるんですよ、私はね」

 陽炎の中に青年が消えてからも、その声は夏の太陽の下漂い続けた。

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