チャプター23 強豪の衝突
男はテレビを見ながらほくそえんでいた。
カナダから取り寄せたワインを傾け、ソファに身を沈める。
「現在チェンジは株価を上げ続け、たった今十万台に達しましたっ。信じられないことです。恐ろしくも、ほかの会社は圧力を掛けようにも掛けられない混乱状態であることです。多くの専門家が正体を突き止めようとしていますが、結果は得られておりません。前代未聞です。世界的にもこの会社がトップに立ちました。アメリカでは大規模な調査が行われていますが…まだ連絡が入っていないところをみると、はい、掴めていないのでしょう」
焦っているアナウンサーが哀れに思えてくる。やっとここまでの力を持ったのだ。世界を驚愕させるほどの力を。男は快感にぞくぞくした。
テレビを眺めるのにも飽きてきて、スイッチに手を伸ばした途端、アナウンサーの声質が変わった。新たな驚きを含む声は、初めて男を動揺させた。
「たった今チェンジの価格が止まりましたっ。十万二千三百四十です。代わりに猛烈な勢いで株価を上げるもう一つの会社が現れました。今名前を確認した所…ラトル…ラトルだそうです。千円台から始まったその会社は現在四万八千七百円…五万を越しました。いったいどうなっているのでしょうか。昨日のチェンジをもう一度見ているかのようです。ラトルは順調に株価を上げ続け…チェンジに迫っていますっ。何処から資金が生まれているのでしょうか…」
男は無意識に立ち上がった。グラスが手から離れ、重力に従いその身を回転させる。一瞬先に赤い模様が絨毯に広がり、ガラスが飛び散った。男の足に痛みが走ったが、気付くことはなかった。
「何…だと」
早歩きで扉を開けコンピュータ室へ滑り込む。そこは淡い青の光に満たされ、五台のパソコンが株市場の情報を知らせていた。
一番遠いパソコンの前に座り、キーボードを弾く。袖が腕に落ちてくるので脱ぎ捨てた。
すると腕の古傷が目に入り、余計に男の心を騒がせた。
脚を伝って行く何かの感触がし、見下ろすと血だった。無造作に拭き取るが痛みはしつこく残る。
慣れた株市場が今朝とは違う賑やかさで満ちていた。男の背中に悪寒が走る。臣下の陰謀に落ちていく王のような感覚であった。
「違う、違うっ。ラトルは私だっ。何者なんだこの会社は」
ニュースの通り、その会社「ラトル」はのし上がってきていた。先日の自分を見ているような、奇妙な映像だ。だが、一つ男の手口と違う点がある。
その会社は男の会社以外に何の影響も与えていないことだ。
「あり得ない…」
ほかの企業から株主を引っ張らずにしてどうやって、この状況で株価を上げるのだ。血と共に汗が足を伝った。咄嗟に頭が働かない。男は窮地に陥っていた。
メールが入り、一日の始まりを知らせた。仕事場に行く時間だ。
男はそれまで一度も動けなくなったことはない。この時は別だった。
時計の音にただ焦るばかりで、無力さを感じていた。この男を驚愕させた会社の背景にいる人物を知った時、男の顔は何色になるだろうか。
やっと脚を動かし玄関を出た時には、遅刻が確定していた。凡人ならば。
男の車は青色に光る信号のもとを走り抜け、開店時間五分前に間に合った。
停めた車の中で、手を緩やかに動かし両肩、額に円を描く。男とある人物しか知らない、感謝の意の動作だ。終えると三秒目を閉じ、呼吸を一拍置いて車から出た。
店には髪を後ろに束ねた女性が先にいた。後姿だけで畏敬の念を感じてしまう、不思議な空気の持ち主だ。そばを通る時、またラベンダーの香りがした。
スッと振り向いた女は微笑をたたえていた。
「今日はいくつ御作り致しますか?」
一瞬答えるのが遅れた。だが、気が付かないほど短い時間であっただろう。
「そうだな、二十個ほど頼むよ」
「かしこまりました」
颯爽と仕事場へ向かう彼女に男は強い安心感を抱いた。と同時に思考が音を立てて働き始める。「ラトル」のトリックが少しずつ姿を現し始めたのだ。
「負ける訳はない」
つぶやく男は客の入ってくるドアを見つめた。