チャプター22 調査三日目
現実逃避をしたくなるほど暑い日がやってきた。
そしてオレは愛猫アズと現実から逃げて遊んでいる。前足を持つと確かに体重の増えを感じる。地球温暖化を意識してはいないが、オレの部屋にエアコンはない。
お陰で為す術もないオレに、灼熱が襲いかかっている。
狭い部屋であるが、オレの性格上部屋はさっぱりしている。一日一回の掃除が日課だ。九時とも決めている。
猫じゃらし代わりの毛糸を投げ捨て、日課を始めようとした途端に邪魔が入った。
九百八十円の机の上で鳴るオレの携帯、メールの送り主は勿論拓であった。
「証言者が手に入った! 三丁目へ^^」
うっとおしい絵文字は視界にも入らず、オレは愛車オーク目指して飛び出した。
三丁目は東京で言う銀座のように高い建物ばかりだ。お洒落なのだろうが、この暑さでは一層暑苦しく思えるのは圭護だけではない筈だ。
絶え間なく流れる汗に、水分補給も無駄な抵抗と感じてきた頃二人が見えた。拓の黄緑色のシャツと裕也の紺色のタンクトップが、くっきりと二人を分けていた。
圭護は慣れた動作でオークを急停止させる。錆びたブレーキ音がこだました。
「流石、十五分で到着だね」
「それは十五分も待たされたという皮肉にしか聞こえないが」
「お前ら、今日は客がいるんだぞ」
裕也の叱咤で圭護は、後ろに立つ若い男性に気が付いた。
よく声が掛けられたな、と圭護は第一に思った。オールバックは初めて見たとも感じた。
「長谷大翔さん。ラトルのケーキについて話してくれるんだって」
だいと、圭護は何度か頭で繰り返した。裕也が話を促す。
「この暑さだし、俺の部屋で話すことになった」
こうして男四人は六丁目へと向かった。何のために三丁目に来たのか圭護は尋ねなかった。
裕也の家は特徴を掴みにくい。周りの家と屋根の色は黒で統一され、太陽パネルの位置もそろっている。庭は三坪ほどで、几帳面な裕也の父が野菜を栽培している。
壁は灰色で煉瓦模様すらなく、玄関も最近のデザインが重視された一般的なもの。
「失礼しまあす」
「お久しぶりでえす」
「お初に失礼します」
一番礼儀正しかったのは、オールバックの大翔であった。
今一度大翔を観察してみると、白地にバイクが描かれたTシャツ、その上に緑チェックの上着を羽織り、黒に近いジーンズをはいている。意外にもピアスはしていなかった。
せわしい足音と共に、エプロン姿の裕也の母が現れた。
予想していた訪問らしく、軽食程度だけどと食事を出してくれた。
ホウレン草のポタージュに、厚いハンバーグのサンドウィッチ、有難くも冷えた麦茶が用意されていた。
驚嘆の声をあげながら一番に食べ終わった拓が、経過を話し始めた。
「昨日男の子と別れた後、もう一度裕也とケーキ屋に行ったんだ。大して面白いことはなかったんだけど、帰り際に店から出てきたのが大翔さん。声を掛けてみたら、あのケーキ屋さん変わっているでしょう、と返されて何か知っていると思っていくつか質問してみたら、今日また会って話そうということになったんだ。三丁目に住んでて今日は迎えに行く形になったんだ」
まとめてみると、大翔さんは何か知っているということだろう。
オレは三杯めの麦茶を飲み干すと、潤った声で調査を始めた。
「大翔さん、知っていることを話してくれますか」
同時に脳内の記事とペンを持つ。一言一句聞き逃さないつもりだ。
「そうですねえ、わたしはイチゴタルトが無性に好きで、近くにケーキ屋を見つけたから行ってみたんですよ。そしたら、モンブランに噂があって、運命が変わるとか…それで買ってみたんですね。あ、これメモしてないなら敬語やめるか。買ったんすよ、そしたら何か違和感つうか変わったんすねえ」
十三秒の沈黙が流れた。少なくともオレの体内で流れた。
「えっ、で?」
「ん?」
何でもないような顔でコップに口をつけ、大翔は止まった。
「どんな変化があったのか調べたいんだけど」
何があっても相手は恐そうな年上である。大きな口はきけない。
「んああ…大雑把でいいすかね。俺はあれから幸運が上がったんすよ。仕事で昇給して、信号も青が多くて。だけど一つ、誰かに付きまとわれてる感じがするんだよな…不気味でね」
「誰かってことはわからないんですね」
大翔は首を掻いて困った顔をした。少し親近感がわく仕草だった。背後の柔らかく光って揺れるカーテンの効果かもしれない。
「俺も何度か突き止めようとはしたん…すけど。なんつうの、あれ。実態がつかめなくて気味悪い…幽霊的な。ちげえっ、そんな目で見んな。俺も体力あるから見つけたらただじゃおかねえっての」
とにかくオレは真っ先に目を伏せた。
「つまり、モンブランの所為でそれが起こったのは間違いないってこと?」
珍しく拓が的確な質問を発した。それがわかればようやくペンが動かせる。
「あのな、俺がそんな者に付きまとわれて気付かないと言うのか」
拓のピンクの顔が青に染まる。勿論この場の全員が大翔の性格をいまだ把握していないが、誰だって彼に睨まれればそうなるであろう。
「じゃあ、詳しく聞かせてくんね?」
一番落ち着き、一番クールな裕也がバトンを受け取った。さすが俺の憧れの人。
「俺の周りにもケーキを食って変わったやつがいるんだ。一人は俺みたいに誰かに付きまとわれてるってのと、最近まで株が上がり続けたってやつ。二人目はばかばかしくて相談もしねえけどな、ケーキが原因なんて。そいつは不明の病気にかかってとっくに亡くなった。寒気がしたね。健康体だったんだよ、それまでは」
裕也の家の空調が効き始めたらしい。