チャプター18 一人の文殊
オレ達の調査は奇妙なものとなった。
なにしろ小学生と最後に話したのは思い出せない位昔なのに、協力してもらっているんだからな。
「それで、ラトルはどこにも存在しなかったてことか」
「違う、確かにラトルの株主は存在しているんだ。だが、会社が明らかじゃない。名前すらつかめてないし。だからチェンジの黒幕だって証明できない」
さらにこの口調。どちらが年上かわからなくなってくる。
あの後、爺さんをつけるのはやめてファミレスに入った。店内は客が多い。
ウェイトレスは男三人に囲まれている少年を心配そうに見ている。
仕方ないだろ、説明もできないし。
「兄さんらは何でラトルを調べているんだ?」
オレは記事のことをかいつまんで話した。人にばらすようなこと、嫌だったけれど。
誠矢とやらは、一言も挟まずに最後まで聞いていた。少年らしく頷くこともなく、相槌を入れることもなかった。まあ、話しやすかったな。
話が終わるとたっぷり十秒黙ってから、口を開いた。
「ふうん、兄さん達はラトルについてまだほとんど知らないってことか。変化すら見ていないんだ。じゃあ、今朝の株市場の騒ぎも知らないってわけか」
それから栗野は今朝の異変について話し始めた。オレは株に通じてはいなかったが、興味があったので聞き入っていた、専門的なことはよくわからなかったがな。
(ふむ、株が四万を超えると異常なのか、そういや株は千単位で買うんだったけか。いや、違うか…確かそうだった気がするが、そうすると四千万か。ほう)
「じゃあ、何かっ。ラトルは伸びがすごい会社で力を持っていて変化おこしまくりです、危険ですので眺めるだけにしておいてください、って教えに来たのか」
裕也はそのニュースを知らなかったことが気に入らぬように言い捨てた。
(そういや、裕也もどっかの株を持ってるんだったか)
少年は一度うつむき、顔をあげるとはっきりした声で言い放った。
「僕はラトルを負かしたいんだ」
オレ達は三人同時に固まった。多分同じ情けない顔だったと思う。その空気の中で少年は淡々と続ける。
「僕は株については自信があるんだ。百円から初めて、何百倍にも増やせられるし、ある会社を倒産寸前に追いやることだってできた。なのに、なのに今回ラトルの正体すらつかめないだなんて…」
世のハッカーたちよ、この恐ろしい少年をどう思う。
コイツはラトルを倒したいからオレ達と情報交換を求めてきたってことか。
オレは心の記事を広げた。空所の多いこの記事は、大きな広がりを予感させる魅力的なネタだ。改めてオレは高ぶってきた。
「どうしてラトルが株価を引き上げられるかわかるかい。ラトルのオーナーはあれだけ株を使いこなせる想像できない富豪だ。ただ同然で建てた会社に資金をつぎ込めば株価が上がる。株主はどう思う? 買いあさって、さらに株価が上がる。群がる、上がる。そういうことさ」
ようやく事態がのみ込めてきた拓が、疑問を投げた
「それって犯罪になるんじゃないの?」
この難しい話の中でよくそう純粋になれるな。
「マスコミすら正体がつかめない相手を逮捕できるかな」
拓を含めて切り返せるものはいなかった。
栗野は突然メニューを手に取り、カレーとサラダを注文した。
呆気にとられたオレ達を見た少年は笑って言った。
「朝、何にも食べてないんだ」
オレはこの不思議な少年が理解できない。会って二時間ってこともある。
だが、一生付き合ってもこの少年を理解できることはないと思う、誰も。
なぜか、さっきまで熱く株を語っていたのに今はぱくぱくカレーをほおばっているんだからな。
かき集めることなく皿をきれいにし、スプーンを置くと再び目を向けてきた。オレに。
冷たくも惹き付けられる、熱い意志を宿らせた眼に呼吸を忘れる。軽く前髪で隠れた眼は陰影を持ち、存在感が大きい。
(何だ、こいつは)
少年の瞳の奥に深い蒼を見た。瞬間心の中に入ってくる異物を感じた。網の如く広がっている今までの記憶、自分のすべての人格像、温めてきたアイディアや記事達、すべてが見透かされてしまう。
オレは必死で隠そうと抵抗する。自分では気が付きたくないものまで引っ張り出されそうだったから。
ついに核まで伸びてきた目線から、手で包みこんで微かに残った秘密を守りぬいた。
その瞬間に、誠矢の顔が蘇ってきた。隣の裕也が自分を心配そうに見ている。
そしてスッと目線が外れた途端、責めるように肺が激しく働きだした。悪いな、臓器たちよ。
誠矢は満足したように、怪しく微笑むと水を一口飲んで話を再開した。
「さて、本題に入ろうか。『チェンジ作戦』と名付けるかな。その内容は…」
数十分後店からでたオレ達の顔は、通行人にどう映っただろうか。
少なくとも、オレは狂気じみて見えたかもしれない。
これから起こることへの高い期待と不安の入り混じった、快感に似た感覚に支配されていた。
そこから離れた喫茶店では、大同小異の話を聞いて顔を赤くした女性が、同じ感覚を味わっていた。