チャプター16 絡まった陽光
株市場の事件などつゆ知らずにオレ達は歩いていた。
「あの爺さん、どこまで行くわけ?」
裕也が明らかに不快な声を出す。同感だ、もう四十分近いからな。
見慣れない四丁目の入り組んだ路地を通ってきた。帰りが心配だ。
三人のシャツは汗で濡れ、その重さが負担を掛ける。
「疲れたあ」
解決策のないことを拓は言葉にする。二十を越した今も少年気分が抜けていない。
アスファルトは自ら熱を発していると錯覚するほど、灼熱を放っている。
陽炎が揺れ、ビルは太陽に競う光を反射させている。
それらは容赦なく生物の水分を奪い、空気中に蓄積する。
「熱くて湿っているって最悪だよな」
「わかりきっていること言うな、圭護」
前の男性も焼かれながら歩き続けている。生もののケーキは早めに保存しなくては。
歴史がありそうなこじんまりした商店街にたどり着く。見たことが無い。
男性は立ち止り、オレ達の心臓を一瞬爆発させた。それは錯覚かもしれない。
アイコンタクトで自販機に向かう。以心伝心に感謝する。
「あの爺さん、いつになったら情報くれるわけ?」
さっきから語尾が同じ気がするのも錯覚だろうな。
拓の皮肉に応える者はいない。
裕也は本当に小銭を入れて、黒い炭酸を買った。飲み物はすぐ室温に追い付く。
喉を鳴らして飲む裕也に顔を向けながら男性を監視していたオレは、奇妙に思った。
「まさか…いやでも」
「なんだよ」
「あの爺さん迷ってるんじゃね」
確かにその男性は首をしきりに動かし、数メートルおきに立ち止っている。
オレ達は狐に包まれたように、なにもできなくなってしまった。
本当ならば、あの男性の行動を詳しく調べて変化が起きるか見るはずだった。
「あれって、河潟製紙の社長だね」
幼い声がしたのでまた心臓の鼓動が大きくなる。寿命が縮む。
「兄さんたちは何であの人つけてんの?」
小学生にしか見えない少年が冷やかに話していた。
外見の幼稚さは拓と良い勝負だが、内から滲み出る気迫は子供とは思えない。
陽光の下、彫りの深いその顔から二つの光がオレを捕えた。何て眼だ。
「兄さんたちもケーキ店調べてるだろ。変化に目ざといね」
口調が年上に対するものではないが、オレ達は威圧されて口にできなかった。
近い存在である拓が口を開く。男性に聞こえないように声を落としている。
「誰だい、君は」
あきれる質問だが核心を突いている。かすかに風が吹き体が冷えた。
少年はまずオレを、そして裕也を、最後に拓を見てゆっくり答える。
「栗野誠矢。人間観察が趣味。ラトルは宿敵だ」
二人が硬直したのをオレは感じ取った。オレも固まったから。
この訳知り顔の少年は誰なんだ。何故此処にいるんだ。
ラトルについて何を知っているんだ。疑問が順を待たずに噴き出す。
「兄さんたちは情報不足だ。あの人は機械といわれるくらいに何でもこなしている。道に迷った時点で変化は始まっているよ。まあ、今日の株がショックだったんだろうけど。あの会社も一応景気を迎えたばかりだったし」
オレたちは目を合わせる。三人とも気持ちは一つだ。
「栗野、俺たちに協力してくれないか」
ここまで頼りになりそうな子供は見たことが無い。
オレは今までにないくらい緊張して言った。裕也の炭酸が欲しい位喉が渇いた。
汗が伝う音が聞こえ、心臓の鼓動を感じた。世界が静かすぎる。
オレはこの感覚を知っていた。あれは中学の頃のテニス大会だった。
ラストサーブの瞬間、全身の神経が騒ぎ出し足の先、髪の毛、すべてが感じ取れた。
世界は自分と相手しかおらず、体の中以外の音はすべて消えうせた。
あの、快感とも感動ともいえる感覚がまた蘇ってきたのだ。考えもしなかった場面で。
少年は予想外でいて望んでいた返事をした。
冷ややかだが、熱意が隠された太陽の声であった。
「そのつもりで付いてきたんだけど」
見知らぬ少年は、勝利を確信したかのごとく微笑んだ。