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栗の変化  作者: レモナー
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チャプター13 長い朝

 

 「誠矢、目が腫れてるわよ」

 母親の不愉快な言葉で昨夜のことがよみがえる。

 あと少しでつかみかけた糸は幻のように手から消えていった。

 株市場では自分のほうが上回っているかと思っていた。

 だが店長は痕跡を残してはいなかった。何度キーボードを叩き壊そうと思ったか。

 (とんだ思い上がりだな、栗野)

 母の作った暖かい朝食を一瞥する。

 健康を考えた野菜と卵の彩り豊かなきれいな配ぜん。

 一瞬母を誇り高く思い、すぐに自分の愚行を思い出す。

 「朝食いらない」

 自分への悔しさに腕を強くつかむ。何も口に入れる気がしない。

 手を動かす価値もない。

 価値があるのは、「チェンジ」の首を絞めるボタンを押すことだけだ。

 「送ってく?」

 母親の優しさも誠矢にとっては障害物となる。

 エプロンを脱ぎ、車のカギを手にする温度の無い眼で母をみつめる。

 「いらない」


  家を出て、しばらくして鞄がないことに気がついた。

 全教科入れてあるから、家で確認することはない所為だ。

 昨日投げ捨てたままだ、ああ面倒だ。

 遅刻など気にも留めずに十一丁目へと足を運んだ。

 今日は水曜日だ、あの店をのぞくのも悪くはない。

 「今となっては宿敵だけど」

 無意識のうちに呟いた口はそのまま閉ざされた。 

 それでも、無言の足は軽い足取りで自分を運ぶ。


  公園に着くと反対側の入り口に男が見えた。昨日観察した男だ。

 背が高いだけで解るのだから苦労しているのだろう。だが何故此処に。

 デザインの変化のないランドセルをつかみ、そのまま男に近づく。

 もうランドセルのことなど意識の外だった。

 目の前の男を隅から観察する。

 例の店のことを知っているかもしれない、他人に聞くのは癪だけど。

 「呼んでくれ」

 甲高い口笛が耳を刺激した。もう一人男がいたのか。

 背が低く幼い顔をしている。誠矢にとってはそれでも大人に見えるはずだが。

 その彼のTシャツの中の体は優れた運動神経を示している。

 着やせしているのだろうが、強靭な筋肉が浮き上がっているのだ。

 耳にはピアスの跡があり、髪も純粋な黒には思えない。

 靴のサイズは背の割に大きい。たぶん二十八あたりだろう。

 指輪は二つ。両手のなか指だ。口笛を吹く時邪魔そうだ。

 唇は少し乾燥気味である。

 あの口笛は吹いてみたい、久しぶりに人を羨んだ。

 やがて三人目が来ると彼らは道の向こうに消えた。

 「どうしようか、一つしかないか」

 学校と彼ら、比べるまでもない。

 『ストーキング』という気になる単語も聞こえたし。 


  拾ったランドセルを、また茂みに捨てると誠矢は歩きだした。

 学校とは反対の方向へ。彼の知識欲にこたえてくれるほうへ。

 一瞬ラトルの店長が窓に見えた。誠矢は昨夜の屈辱を思い返す。

 (絶対に変化の元凶、お前の正体は暴く)

 男はすぐに消え、バニラの香りが鼻をくすぐった。

 誠矢は店長の視線に捕らわれた感じがした。

 小さな路地に入る彼らを追うと、十一目から出られた。

 何故か安心感が広がって、誠矢は慣れない動きで歩き続けた。

 ズボンのポケットの中で眼に見えないものを転がす。

 常に持ち歩かねば油断できない、必須のUSBカードだ。

 口の端が持ち上がる。僕は弱くない。

 夏の朝の目覚めは早い。すでに高くなった太陽が人々を照り付ける。

 それはゴミ出しの人であり、出勤の者であり、四人の調査人であったりする。

 三人の記者志望の後ろには、彼らよりはるかに店に執着を持った少年が続く。

 夏の日は長い。彼らの調査を支えるかのように周りを明るくする。

 それ以上に夏の日は熱く彼らを照りつける。

 

  ラトルでは毎日多くのものが集う。

 その店が無ければ出会うことさえなかった者たちが顔を合わせる。

 人生の中で小さな刺激を生み出す。

 それは店の中でだけの関係のはずだった。

 だが関わりをもった彼らはどこに向かうだろうか。

 その関わりの深さはどこまでいけるのだろうか。

 ドアを見つめる男にも、その最後は、その変化の行く末はきっと…。


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