夢生獣大戦争8
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」
重い足取りを停めずにひたすらに歩く。夏の刺すような日差しを浴び、額から腕まで汗をダラダラ流しながら進むアイシス。
(もう少し、あと少し)
頭の中を空っぽにして歩き、やっとのことで鉄邸の玄関へと辿り着いた。日差しの下と違い、そこは正に別空間と言って過言でないくらいに心地よい。目を伏せながらも天を仰ぎ、深く息を吐くと脱力のままに座り込んだ、靴を脱ぎ下駄箱に……その際に指に絡みつく自身の体温で暖められた靴の感触が気持ち悪い。
(何より今はそれよりも……)
アイシスはドスドスと貴族にはあるまじき音を立てながらゾンビのように廊下を歩き居間へと向かう。ガラリと引き戸を開けるとそこから祝福のような冷気が漏れ出した。それを全身に浴びれば、一気に肌が覚まされていく爽快感に歓喜する。
「生き返ります……まさに天国です……私が求めていた物はコレなんですっ!!」
文明の利器と正宗が呼んでいたクーラー様に感謝の涙を捧げながら居間の中へと入室すれば、そこには半そで短パンというあられもない姿で腹を出して寝ているエルマの姿があった。
「…………」
ポリポリ腹を掻きながら穏やかな寝息を立てているその姿に、
「暢気に昼寝なんてしてっ!!死ねっ!!ぶっ殺してやるっ!!」
「えーっ!!わーっ!!なになにアイちゃんなにトチ狂ってるんですかーっ!!」
エルマを足蹴にし座布団で殴りつけるアイシス。突如襲われ起こされたエルマは動転するだけだ。
「なんですこの差わっ!!私は一生懸命外で働いてきて地獄のような炎天下を歩き帰って来たというのに、なんでエルマはこんな涼しい部屋で暢気に昼寝なんてしてるんですっ!!不公平ですっ!!」
「わたしはーちゃんと家事手伝いしてますからーっ!!何もせず食っちゃ寝してたアイちゃんが悪いんじゃないですかー!?」
「エルマは外に出たことあるんですか!?アスファルトの上にゆらゆらした陽炎ってのが立ってるんですよ!?なんなんですこの国の“夏”とかいう季節っ!!その上カラっとしてない分最悪に蒸し暑いぃぃいいっ!!」
アイシスは不満と不快さをぶちまけつつドカリと座ると机の上の麦茶に手を出し、隣に伏せて置いてあったグラスに注ぐと一息で飲み干して見せた。エルマが飲む為に冷蔵庫から出して用意していた物だがまだその冷たさを保っている。再度それを注ぎ一気に喉に流し込めば、やっと落ち着いたのか至福といったような吐息を漏らした。
「アイちゃんってば聖士の戦闘訓練とかでこーいった暑さにも耐えるサバイバル訓練とかしましたよねー。それに比べればへっちゃらなんじゃないんですかー??」
「それはそれ、これはこれ、です。戦闘訓練とかの一時的な物ならいざ知らず、平時の、しかも常時こんな地味に嫌な環境というのは流石に経験がありません。これは寒い地方とか砂漠の環境下とは違う別種の嫌らしい環境だと私は思いますよ」
もう一杯麦茶を呷るとアイシスは汗でべたつく身体をシャワーで洗い流しに立ち上がり出て行った。その間にエルマも席を立ち隣の台所へ向かう。予めカットして冷蔵庫へと入れておいた西瓜を器に乗せ、再び居間へと戻った。アイシスが毒づくのも無理はなく、今日本は夏真っ盛りであった。更に言うのであれば近年は猛暑が続き、炎天下の路上はまさに灼熱地獄と化しているのだ。それでもアイシスが外に出るのはパートの為であり、朝の検品と品出し、そしてレジ打ちをこなして2時頃帰宅するのだ。奇しくも一番日差しがきつい時間帯なのは言うまでもない。エルマは座りながらリモコンを手にすれば、TVの電源を入れワイドショーを流しそれを眺めながらカットされた西瓜を摘む。その間にシャワーを浴びてきたアイシスが濡れた髪もそのままに、ラフな恰好で戻ってきた。
「ああぁぁ、でもホント生き返った気分です。このクーラーっていうのは本当に素晴らしい機械だと言わざるを得ないですね」
「その分電気使用量がでかいのですよー。その為この頃は聖力蓄積量がマイナス傾向なんですからー」
流石に跳ね上がった電気代全てを聖力で補うとはいかなかったのだ。他所の家庭に比べれば微々たる量であるが電気代が発生してきている。無論聖力の蓄積などは無理という話で、消費する一方の聖力量にユメミールとの交信接続などは望めるはずもなく諦めるほかない。……いや、世界の危機と夏の暑さを比べるのであれば世界の危機を優先し、電気代は泣く泣く懐を痛めながら電気料金を払うのが正解なのであろうが正宗達はその正論から目を背け続けている。
「成る程、ということは、当然にしてフラウニの所在なんかは……」
「全く持って探してませんよー。それにフラちゃんだって時期女王候補聖士ですしー、夢聖士でもあるんですからきっと無事ですよー」
エルマの言葉に窓の外を見るアイシス。夏の日差しは眩しく、空も異様に高く青く感じられる。
(いや、こんな中外で過ごすとか……、間違いなく死ねるんですが)
蝉の鳴き声が響く日本の夏の炎天下、TVからは日々番組アナウンサーが熱中症にご注意下さいと訴えかけていた。日陰にいても、室内にいても脱水症状は起きるというのだ、はたして同僚が無事なのか甚だ怪しく思っているアイシス。そんな中、またTVの中のニュースが変わる。
「へぇ。またこの辺りで熊とワニと象が目撃されたらしいですね」
「まだ捕まっていないみたいですねー。確かー何処かの動物園から逃げたのではー??とか疑われている事件ですよねー」
「それですそれ。まったく“動物の管理すら杜撰”とか、やはりどこの世界も似たような物なのですね」
「それー……まったく皮肉にもなってないですよー」
アイシスの自虐ネタにエルマが溜息を付いた。全く持ってその通りで、監理していたはずの夢生獣を解放してしまい、今尚異世界で孤独に捕縛封印任務に当たっているアイシス達なだけに洒落になっていない物言いだ。
「あーあ、自動車が象に踏み潰されてペシャンコになっているじゃないですか」
「ワニの尻尾にぶたれて骨折入院した人も増えてるらしいですねー」
「凄いですよっ!!エルマこのご老体、生身で熊を撃退したらしいですよ!?私達で言えば素手で魔物を追い払う感じでしょう??凄くないですか!?」
「へー、しかしいろんな局でこの地方のニュースが取り上げられるものなのですねー??全国ニュース番組なのに取り上げるってことはやっぱり珍しいことなんですかねー」
昼下がりのワイドショー、最近似た事件のニュースが立て続けに起こった為か全国的にも今この地方は注目を集めている。
「「………………」」
二人はカット西瓜をシャクシャクと食べながらそれらニュースを暢気に眺めていた。そこに感じる……違和感。
(…………んんん??ちょっと待って下さい??全国的に珍しい??つまり本来はありえないことが起きているって事です??)
(えー??あれーあれアレあっれぇー??ということはこれってもしかしてー……いえいえ、ポッコルさんは何も言っていないですしー……)
シャクシャクとした咀嚼音も消え延々ニュースの音とクーラーの音だけが部屋内を埋め尽くす。と、満を持したかのようにアイシスが立ち上がると急に身体を解すように体操をし始めた。
「あーと、ちょっと私急用を思い出したので少し外出してきます」
「えーとー、わたしもちょぉーと調べ物を思い出したのでー部屋に戻りますねー」
「ああそう、なら留守番宜しく」
「わかりましたー、アイちゃんもどうぞゆっくーり御用を済ませて来て下さいー」
繕った様な両者の笑み、手を振りながらアイシスは退室し、その扉が閉められれば……両者は一目散に駆け出したっ!!アイシスは外の自転車目掛け、エルマは自室に向かい階段を駆け上るっ!!
(まずいですよっ!!コレ実は夢生獣からの攻勢ではないのですかっ!!気付かなかったなんて聖士失格ものですよっ!!)
(ひえええーっ!!お母様に知れたら絶対怒られるぅー!!痕跡、どこかにきっと何か痕跡が残ってるはずーっ!!)
アイシスは正宗から借りている自転車に跨ると猛烈な勢いで山道を下り、エルマは急ぎ部屋に戻ると符術式を用いた紙飛行機を窓から空へと飛ばした。飛ぶように山道を駆け下りたアイシスはあり得ないケイデンスを持って車道を爆走していく。まるで軽二輪の如きその速度は本来彼女の乗る自転車としてはあり得ないポテンシャルを叩き出していた。原付や自動車を振り切ればドライバーたちが唖然とした顔を見せている。そんな事に目もくれず切羽詰っているアイシスは聖法術を行使しながら街中を駆け回っているのである。ワケのわからないラフな格好の美少女に瞬く間にぶち抜かれ、ロードバイクにレーシングパンツ等を履いて跨る本格志向なおっさん達の心が何本もへし折られていくのであった。
(全然それらしき兆候も痕跡感じられない。ポッコルも家にいる時そんな事も口にしていなかったし、一体どういうことです!?)
少し焦って、夢生獣の残滓を見つけだそうと躍起になっているアイシスは注意力散漫となっている。
「危ないっ!!」
「なっ!!」
何処かの誰かが叫んだ時には横からトラックが突っ込んできていた。それは明らかなアイシスの停止義務違反による飛び出しで……強烈な衝撃が横から、それはアイシスの肉体を捉え時空を越えさせる異世界転生の……、
「邪魔ですっ!!」
怒鳴るアイシスは聖力による障壁を強めトラックの前面を吹き飛ばす。踏ん張るアイシスに対し、頑強な何かにぶつかったかのようなトラックはその前面を大きく拉げさせながら進路を大幅に逸らされた。ガードレールをぶち破り並木に追突して煙を上げて停止しするトラック。流石にアイシスも耐えきれなかったようで吹っ飛ばされ自転車ごとフェンス網に叩きつけられてメリ込んでいる。しかし何事もなかったかのように身をよじり、強引にペダルを回しアイシス型にひん曲がったフェンスから飛び出し自転車を加速させた。そのあまりのありえなさっぷりに周囲の事故目撃者は我が目を疑うばかりである。
(大丈夫っ!!目撃者がいても私ってバレなきゃ問題ない筈ですっ!!)
「あ、いま警察に……」
顔を隠して走り去るアイシスを呆然としながら見送る傍観者達。一番割を食ったのはトラック運転手と言って過言ではない。トラックの修理費用にガードレール等の修繕費用……ちゃんと保険に入っていても等級の下降は免れないであろう。心の中で謝罪しながらアイシスは街中を走り回っていく。山側から街を通って海側へ。猛暑の中自転車をモリ漕ぎして走り回った結果、
(全然痕跡を感じられないんですけど!?どういうことなんです!?やはり私の気のせいだと??)
こうなるとアレ等ニュースは問題ない、ただ実際に現実の事件として起きた物であったのか??と疑いを持ちたくなってくる。日陰に入り少し休憩を入れていると、空を舞う揺らめきを目視した。目を凝らしてみればそれは紙飛行機のように見える。ユラユラと飛ぶそれは確かに紙飛行機なのだが暫く眺めていても落下もせずに滞空し飛び続けているのだ。大きく弧を描くように飛ぶそれは、やがてまた違う場所へ向かい飛び去り目視できなくなっていった。
(アレはエルマの符術ですね。エルマも異変を察して捜査してる、って事はやはり何か裏があると考えた方がいいでしょう)
空を駆けるエルマの符術式に、これがアイシスだけの違和感である可能性は少ないのではないかと考え直し始めた。
(となれば、今度の夢生獣は何か狡猾な手段を用いているってことですか??)
夢生獣三体を再封印し、日常の不快な暑さに気が緩んでいたのかもしれない。そう考えてアイシスはバシンと両頬を叩いて気合を入れ直した。今日まで夜の報告会は“万事何事もなしっ!!”といったものばかりだったが、一旦十分な検証が必要なのではなかろうか??
(ポッコル達妖精族が気付けないとなると、これはかなり厄介かもしれません!?)
アイシス達はポッコルの勘頼りで今まで夢生獣を迎え撃っていた。ポッコルがその現出の日時と場所を感知予測して、それに即して対応してきたわけだ。しかし、今回においてはポッコルが夢生獣の活動に勘づいていない。つまり今までの手段がとれない、そうなると後手を踏むどころの話ではなくなってくる。
「これは……まずいですよっ!!」
アイシスは背筋に嫌な物を感じながら、再びペダルを踏み込み鉄家への帰途へと着くのであった。




