深海の大決闘1
窓の向こうが夕暮れに染まっている。山腹にある鉄家からは街を一望でき、そこには雄大な景色が広がっていた。そんな景色を窓越し見ながら、優雅に椅子に座りながら紅茶を嗜んでいる。ティーカップを口に運べば、フルーティーな香りが口から鼻へと抜けていく。
「……美味いな」
ホッとする一杯、紅茶と言っても缶に茶葉が入っているような高級なものではない。その辺に売っている安いティーバックの紅茶である。だが、静かな毎日、そして素晴らしい景色がその安い味を何倍にも引き上げていた。一緒に買ってきたコンビニのロールケーキにも手をつける。紅茶と合間って一段と美味しく感じられる。
<ピンポーン>
思えば平和な毎日であった。そう、“平和”というものをこれ程噛みしむ事の出来た一ヶ月は、かつてなかったであろう。なぜならば一ヶ月前に生まれて初めて生死を賭けた戦いに挑んだ、負けることの許されない戦いに挑んだのだ。だからこそなのだろう、平和、平凡な毎日というものが実に、切実に、本当に掛け替えのないものだったのだと実感させられたのである。
<ピンポーン、ピポピポピンポーン>
それは生死をかけた戦いという意味だけではない。日々の暮らし、その中にもある緊張を解ける時、リラックスタイム。そういったものが実は本当に大事なものだったのだと実感させられた。心安らぐ日々は精神の安定をきたす。やはり、何物にも変えられない個々の時間、プライベートな時間というものはなんと大事なものなのだろうとわからされたのだ。未だ社会に出ていない身分ではあるが、それでも学校生活でも人付き合いは多い。私生活を送る上で自分だけの時間を持つ……一般学生ならそんなこと気にもしないのだろうが、一人暮らしともなれば食事や洗濯に掃除とやる事は多い。動かない、働かない自分だけのゆったりリラックスタイムは多い方がいいに決まっている。
(そうさ、非日常的な物はやはり排除しないと……)
そうして正宗は瞼を開ける。……気になるのは矢張り、先程から鳴り止まないチャイムの音と、そして何より視界に映る人影がある。窓へとへばり付き、叩き注意を引こうと必死になっている姿が目に付いている。視線が合えば、涙を流しながら懇願しているではないか……。
(……マジで戻ってきやがった……)
溜息が出る。心安らむ日々もこれで終了なのだろうか??頭を振り椅子に深く腰掛け天上を仰ぎ見た。再び窓を殴打する音が聴こえてきたが気にしない。というか、そんな強さで叩かれると割れそうで逆に怖い。別口で玄関の方からも吐血するような必至さの声が上がっている。……このままではご近所様に何を噂されるか堪ったものじゃない。ただでさえ「ホームステイさせている父親の知り合いの子達」という無理矢理の設定を通してきたのである。……これ以上無視し続けるわけにも行かないだろう。もう一度深く溜息を吐き出せば、足どり重く玄関へと向かった。玄関では戸の向こうでエルマが叫びながらチャイムを鬼連打している。近寄った正宗の存在に気付けば先程の人影と同じく、涙を流し絶叫しながら懇願して来るではないか。仕方無しに鍵を開けてやる。
「うーあーっ!!なんでわたし達を見捨てようとするんですかーっ!!」
「これ以上巻き込まれたくなかったからだっ!!」
ゾンビの様に入ってきてすがり付いてくるエルマを引き離そうとする正宗。鼻水ダラダラの顔を擦り付けられては堪らない。しかし、それとは別の足音が慌しく近寄ってきていた。家の外をぐるりと走り回ってやっきたその者を確認するまでもなく、ソレが正宗に飛びついてくる。
「お願い、お願いですよ!!捨てないでくださいぃぃ!!ここを追い出されたら私達は行き場がないんです、ないんですよ!!……もう留置所以外残されていないんですよぉっ!!」
久々に会ったアイシスとエルマは埃っぽく、そして臭い。
「お前等汗臭い、寄るな」
「じょ、女子に向かって何という酷い一言を」
「この鬼ー、悪魔ーっ!!これはーわたし達が頑張ってきた証拠なんですーっ!!」
直球の感想に二人が憤慨しだす。そう、もう選択肢はないのであった。
「はぁぁぁぁああああ…………わかったから、二人とも風呂入って来い」
もはや正宗が折れるしかなかった。確かにここでアイシスとエルマを見捨てるのは忍びない。なんだかんだ言って二人には助けられたのだ。何も知らなかった正宗がもしも二人に会わなかったのなら、今頃はあのトンテッキに食われ生涯を終えていたであろう。いや、この世界そのものが終わっていたかも知れない。
(俺の平穏もここまでか……)
これからまた二人に振り回される日常が始まるかと思うと気が滅入ってくるのである。美人二人と同棲!!……と聞けば一般男子諸君なら心躍ってしまうのかもしれないが、なにせ相手は異世界人。それが今までの自分のパーソナルスペースにうろうろし始めるわけで……想像とは違い何事にも気を使うことが増え精神的に磨り減っていくのだ、大概にして欲しい。正宗の心労など知るよしもないエルマとアイシスは手を取り喜んでいる。
「やたーっ!!アイちゃんお風呂の準備しますよーっ!!」
「は……はい、……っていうか、殿方の前ではしたないですよエルマ」
バタバタと入っていく二人を見送り戸を……、
「……やれやれ、やっと開いたポか??ポッコルの出迎えをしないなんて弛んでるポね正宗は」
ポニュポニュと歩き寄ってくるぬいぐるみを尻目に、閉じた、鍵も閉める。
「ちょーっ!!待つポよ??ポッコルがまだ入ってないポ!!開けるポ!!開けるポよ正宗っ!!」
「え??やだよ。だってお前、泥だらけで埃だらけじゃねーか」
そのぬいぐるみはありえないほど汚れていた。そのまま入室されては堪らない。
「これは……これは名誉の負傷ポ!!ポッコルが頑張ってきた証拠ポよ!?」
「同じような言い訳聞いたばっかだ。つーかそれさっきみたくその辺の道路や土の上で寝転がっていたからだろう??」
先程の正宗とアイシス達のやり取りを、ポッコルが駐車場の上で寝転がり鼻をほじりながら見ていたのは知っている。
「……わ、わかったポ。そこの水道で全身洗うポよ。それならいいポ」
「よくない」
ポッコルが水撒き用のホースの付いた水道を指すが正宗は断固拒否をする。それでは水浸しのぬいぐるみ野郎のせいで家の中がベチャベチャになってしまう。そして水道だけで落ちる汚れとは到底に思えない。
「ならどうすればいいポ!!」
「手揉み洗いと洗濯機、どちらをご希望だ??」
「っ!!」
その二択に、ポッコルは顔を曇らせた。手揉み洗いは文字通りだ。洗剤の入れられた桶に突っ込まれ洗濯板というヤスリに全身を削られるという拷問のあと、握力と捻りという失神級の脱水行為が待っている。では洗濯機か??洗濯機は洗剤水溶液の溜まった真っ暗な水槽に入れられ全身粉々になるような凄まじい流水に晒される拷問器具だ。その後は強烈なGにより無理矢理に水分を遠心分離させられ、更に方向性を変えるために逆回転が加えられるなどして洗濯層の中で幾度となく横転事故させられる地獄が待っている。そしていずれにせよハンガーという貼り付け器具によりその亡骸を晒されるのだ。
(なんということポ、煉獄しか待っていない……そうポっ!!)
ポッコルは閃き顔を上げた。全てはこの究極の閃きに賭けるしかないっ!!
「アイシスに清潔聖法で──」
「──手揉み洗いか洗濯機、どちらか、だ」
汚いゴミ布を見る眼にポッコルはたじろぐ。
(な……なんて眼ポ??まるで捨てられる汚れたぬいぐるみを見るような眼ポ!!いいやそんなことはないポ。ポッコルは妖精……決して汚いぬいぐるみではないポよっ!!)
意を決して睨み返そうと顔を上げる。しかし戸の向こうの正宗は既に背を向け歩き出して──、
「──て、手揉み洗いでお願いするポ」
その妖精は決断をしたのだ。まもなくして、キャッキャウフフと美少女がお湯と泡と戯れるその隣の浴場で、
「イダダダダ!!千切れる!!千切れるポよっ!!」
「黙れ!!なんて頑固な汚れだ!!漂白剤も投入だっ!!」
「ガブブブククク……ゴハァ!!イ゛ダイ゛!!眼に入ったポよっ!!目に入ったポ!!焼けるようだポよっ!!」
「落ちろっ!!落ちろよっ!!遊びでやってるんじゃねーんだよっ!!」
断末魔を上げる妖精が、処刑執行人の手で地獄をみていた。
「ギアアアアっ!!出るっ!!ワタが出るっ!!」
「しっかりと絞らないとなっ」
そこにはぐったりと、放心し魂抜けた亡骸がハンガーに吊るされているのであった。




