外伝3・マリアとエルグラントの結婚生活
マリアが破水してからおおよそ7時間後。
「ふ、ふええぇええぇええ」
という、か弱くも力強い鳴き声と共に、男の子が誕生した。
マリアは肩で息をしてぐったりしていた。想像してた以上に痛く辛く、最後はもうお腹を誰か掻っ捌いてもいいから赤子を取り出してほしいと願うほどの苦しみだった。
でも、赤子が出た瞬間痛みの波が嘘のように引き、ふつふつと湧き上がったのは、誕生の歓び。
「ほら、可愛い可愛い男の子だ。抱っこしてやんな」
ミミが今生まれたての赤子を綺麗に洗い、そっとふかふかのタオルに包んで、大事な大事な宝物を扱うように、未だ起き上がれないでいるマリアの胸元にそっと預けてきた。
「…わ、あ…」
マリアの胸元に来た赤子が、ふにふにと口を動かし、その手をマリアの胸元に彷徨わせている。乳を求めているのか、それともただの反射反応かはわからない。ただ、その姿が愛おしく愛らしく、気付いたらマリアの目からは次々と涙が溢れだした。
可愛い、愛おしい、尊い、安堵、慈しみ、感動。どれもしっくりこないのに、どれもが合わさった何とも言えない感情にただただ涙が溢れる。
「マリア、お疲れ様。頑張った…本当によく頑張った」
エルグラントも笑顔ながらもその目に涙を浮かべている。いや、浮かべているレベルじゃなく、大泣き中だった。
「ほんっと…よく頑張ったなぁ…っ。ありがと…っ。ありがとう。俺たちの子ども、産んでくれて…っ!」
「あなた…泣きっ…すぎよ」
「マリアもだよ…」
二人とも涙でぐちゃぐちゃなのに、どうしようもなく幸せだった。笑いが溢れて止まらないのに、同時に涙も止まらない。
マリアは今産まれて来たばかりの我が子を見て、優しく声を掛ける。
「…生まれてきてくれてありがとう」
――――十七年前。心から願って、そして放棄したはずの夢が今叶うなんて。
マリアはエルグラントにも再び向き直った。
「エル…私の夢をかなえてくれてありがとう」
マリアの言葉にすべてを察したエルグラントはまだ涙でぐちゃぐちゃの顔をくしゃりと歪ませて、そして破顔した。
―――――ー
『―――団長をやめてでも、エルグラントと一生を共にしたいと思ったんです。団長という責任からも何もからも逃れて、エルグラントの隣で平穏に過ごしていけたらどんなに幸せだろうと。彼と結婚し、彼の子どもを産み育ててみたいと―――』
――――――
王宮。謁見の間。
ずらりと並んだ交渉団隊長格以上の人間を背後に構え、今年入団を認められた十数名の新兵がこの国の最高権威者サラ・ペトラ・イグレシアス女王と、王婿であるレイモンド・ディヴィス・ペトラ・イグレシアスの前に跪いていた。
「ジョシュア・ホーネット」
「はい!!!!」
王婿でありながらも、団長であるレイモンドの声に、ジョシュア・ホーネットは立ち上がりきりりと背筋を伸ばした。
「今年度、交渉団員として入団を認める。精進し、励むように」
「はい!!交渉団の名に恥じぬように精進してまいります!」
「続いて―――」
ホーネット家の長男として生を受けてから17年目の春。
ジョシュア・ホーネットは国家最高機関の最難関入団テストをほぼ満点でクリアし、首席で交渉団へと入団を果たした。
父親のエルグラントに似た体格とおおらかさ、母親マリアの美しさと聡明さをふんだんに受け継いだジョシュアは、はっきり言って。
――――尋常じゃないくらいモテた。
茶色の髪に茶色の瞳。一般では珍しいわけではない色味だが、端正な顔立ちの中にマリアから受け継いだ女性的な甘さもあった。そしてエルグラントほどではないがすべてを包み込んでくれそうな体躯に、そのおおらかさと優しさ。王族と小さい頃から過ごしてきたこともあって、平民の両親を持っているとは思えないほどの洗練された所作とマナー。
それに加えて、交渉団に一発で入れるほどの聡明さ。
平民であろうが貴族であろうが、交際の申し入れが後を絶つことはなかった。
―――――――
「ねえねえ、さっきマリアから聞いたんだけどまたジョシュア告白されたって本当?」
各々が仕事や公務を終えたある夜。ジョシュアの入団祝いをしようと、皆ヘンリクセン邸に集まった。
サラ、レイ、その娘で王太女のアナ、マリア、エルグラント、ジョシュアというメンバーである。
いわゆる気心知れた仲間だった。
王宮を使ってもいいのだが、新兵一人に肩入れしていると思わせるのを防ぐためにも、ヘンリクセン邸でお祝いしようとなったのである。
「うんうん。そうなんだよねぇ。きちんと丁寧にお断りしたけど…本当、僕なんかのどこがいいんだろうねえ」
アナの驚きの問いかけにのんびりと答えるジョシュアにサラは笑ってしまう。
「そののんびりさはどこから受け継いだの?エルグラントは大らかだけど、のんびり屋さんではないでしょう?」
「そうなんだよなあ、ほんとボヤッとしてて。…大丈夫か?ジョシュア。交渉団でやっていけるのか?」
心配そうに尋ねるエルグラントに、だがジョシュアは涼しい顔でうん、とにこにこ頷くだけだ。
「でも、あの交渉団の試験の時思いましたけど、のんびりってのも一面だけで、果敢な部分もきちんと見えましたよ?俺もジョシュアのあんな一面初めて見て、ちょっとびっくりしました」
団長として試験に加わったレイがエルグラントとマリアに説明しているが、果敢なジョシュアというのを未だにここにいるメンバーは想像がつかない。
「で、まぁパパの説明はどうでもいいとして、マリア、ジョシュアは今度はどんな子に告白されたの?」
どうでもいいと言われ、しょげてるレイのことなどお構いなしにアナが嬉しそうにマリアに聞く。
「よく知らないんですよ。私もエルグラントから聞いた話なので。アナもジョシュアに直接聞いてください」
「だってジョシュアいつもはぐらかすんだもの~~ちぇ~」
「そんな可愛いお顔は、伴侶となる殿方のために取っておいてください。ああ!もう世界一可愛いんだから!」
「出た強火」
思わずサラが突っ込む。マリアの性格は相変わらずらしい。
「ねえねえ、ジョシュア、教えてよ~今度はどこのご令嬢に告白されたの?」
「それ聞いてどうするのアナ。駄目だよ、教えないよー」
にこにこと、でも有無を言わせない圧にアナもそれ以上は追及できずにぶぅ、と唇を膨らませた。
「でもジョシュアも17でしょ。そろそろ良い人とかいてもいいんじゃない?」
レイの言葉にジョシュアはにっこりと笑って答えた。
「う~~ん。僕、とりあえず一生恋愛も結婚もしないんだ」
「「「「は?」」」」
サラとエルグラント以外の全員の声がハモった。エルグラントだけは少しだけ悲しそうに微笑んだのを見てサラは少し勘が働く。もしかしたら、エルグラントだけにはジョシュアは話しているのかもしれない、と。
そして、ジョシュアの言葉の本当の意味、そこに含まれている決意も。
そう思って、サラがエルグラントを盗み見ると、ばちり、と目が合った。しぃ、と素早くエルグラントが仕草だけで黙っていて欲しいと伝える。
そんなエルグラントにサラは、頷くしかない。
ジョシュアが抱えているものに気付いていても、それを叶えるのは大変に困難なことだとサラもエルグラントも知っているからだ。
―――――――――
その日の夜。ホーネット家自宅にてジョシュアは今日のメンバーから貰ったプレゼントを幸せな気持ちになりながら見返していた。
「サラさんとレイさんからは、乗馬服。うわー装飾凄い。簡単な家くらい建つんじゃない?えーと、父さんからは筋力増強剤。…あはは、これ使っていいの?まあ、前団長の父さんがくれるんだから、大丈夫か。母さんは…うん、こんなの息子に贈る?あはは、母さんらしい」
マリアからは度数の強い酒がダースで。
…そして。
「アナからは…ピアスかあ」
ジョシュアはアナからの贈り物を手に取る。アナの瞳と同じ、蒼色の美しい宝石がそっと施されたピアスだ。
「…意味わかってやってるのかな?わかってないだろうな。アナだから」
サラさんと似て鈍いからなぁ。とジョシュアはくすくすと笑う。
ジョシュアは今日のアナを思い出す。
もうすぐ十六になろうとする彼女は、日に日に母親に似て美しくなっていく。茶色と金色の中間のような髪色に、瞳は完全に父親譲りの深い蒼。聡明で美しく、気のいい両親に似て気立てのいい女の子のことをジョシュアは小さな頃から大好きだった。いつもにこにこしているから、感情を読まれにくいけれど、あの感じだとサラさんには気付かれているのかもしれないな、と思う。
でも、別にいい。どうこうしようだなんて微塵も思っていないのだから。
そして。そのままそのピアスを口元に持っていき、そっとそれに口づけた。
「…愛してる」
自分から言うつもりも、伝える気もないし、そして次期女王の彼女と、平民の自分では彼女と一緒になれることはほぼないとわかっているけれど。
一人で想うだけは自由だから。




