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外伝2・エルグラントとマリアの結婚生活

「マリア、寒くないか?」

「大丈夫よ」

「マリア、腹を冷やすなよ」

「これ以上何を着ろっていうのよ…」

「マリア、何なら食べられる?」

「いや、ほんとお腹いっぱいだし、なんならつわりで食べたくない」

「マリア、そこを歩くな危ない」

「普通の道よね!?」

「というか、いい加減譲には話した方がいいんじゃないか?お腹が大きくなってきたら色々と面倒もかけるだろ?」

「まだ全然お腹は出てないし、何度も何度も何度も何度も話したわよね???王位継承権発表後に話すって。お嬢様いまめちゃくちゃ忙しいんだから、私のことで気を遣わせるわけにはいかないわ」

「いや…でも…」

「しつこいわよエルグラント」

 

 久々のマリアのエルグラント呼びに、エルグラントはぐ、と声を詰まらせる。二人きりの時はエルと呼ぶのが定着していたからだ。

 これはこれ以上突っ込むなという牽制だな、とエルグラントは溜め息を吐いた。


 元々、愛情深い男だったエルグラントは、マリアの妊娠が分かってからこれ以上ないほどに過保護になった。心配してくれるのは嬉しいのだが、あまりにもの過保護っぷりにマリアも少々うんざりしていた。


 そんな中での、アデライドによる、事件。

 もし刺客が目聡い人間でなかったら、マリアが狙われていたと想像するだけでエルグラントは恐怖に包まれた。マリアは無事でもお腹の中の子は死んでいただろう。そうなったらマリアの受ける体と心の傷はいかばかりなものか。

 自分も平静を保っていられる自信はなかった。もし実際最悪の事態になった時に、その気になれば、流れの刺客一人くらい突き止めて極刑を求めるくらいのことはしたかもしれない。


 ただ、そうはならなかった。それが不幸中の幸いだった。が。起きなかったことをあれこれ言っても仕方ない。問題は、起きたことの中にあった。


「…エル。ええと、私はなぜそんなに睨まれているのかしら」

 アデライドの事件の夜、自宅に戻った早々に、マリアはエルグラントから一言「座れ」と言われ、ソファに腰を下ろした。

 そしてマリアの目の前に腕組みして、鋭い双眸でマリアを睨みつけるエルグラント。


 久々のエルグラントの覇気に、マリアも少々怯んでしまう。

 エルグラントが、怒っているからだ。普段、怒ることなんてまずないエルグラントが、心の底から怒っている。…怒っているのなんて、再会した時に怒鳴られたのが最後で、あれ以来こんな顔見てなかったわ…と冷や汗を垂らしながらもマリアはその視線を受け止める。

 

「単刀直入に言う。俺はマリアに怒っている。…なぜかわかるか?」

「………ごめんなさい」

 マリアとて、長い長い付き合いのエルグラントなのだ。何に怒っているかわからぬほど無垢な年ごろでもない。


 は―――――、とエルグラントが息を吐きだす。わかってんならいい、と言ってエルグラントはゆっくりとマリアを抱き締めた。

「ごめんなさい、エル。…馬で駆けたこと、怒っているのでしょう?」

「当たり前だろ。頼むから、肝を冷やさせないでくれ。俺を見つけるために、もし赤子が流れでもしたらどうするんだ。俺はお前にどう責任を取ればいいんだ」


 ごめんなさい、とマリアはエルグラントの体に手を伸ばす。

 

 アデライドの命令によって軟禁されたエルグラントを探すために、ハリスと二人で倉庫の捜索に当たった。その際に、マリアは馬に乗って駆けたのだ。

 乗馬の揺れは赤子によくない。医者からもするなと言われていた運動の一つだ。

「嬢がよく乗馬を許可したな?マリアが妊娠してたことに気付いたんだろう?」

「何言ってるのエルグラント…」

 エルグラントの言葉にマリアは溜め息を吐いた。


「お嬢様が懐妊経験があるのならまだしも。私たちだって医者から言われて初めて知ったじゃない。ああ見えて普通の18歳なんだからね?なんでもかんでも知ってると思ってはダメよ」

「ま、まあ、そうか…」

「それに。仮に知っていたとしても、お嬢様は私を止めなかったと思うわ。私があなたをどれだけ愛しているか、知っているから。だめと言われても振り切って駆けていたでしょうから」


「…突然可愛い事言い出すのやめてくれないか…ただでさえ今ずっと我慢してんだから…」

「ぶふっ!軽くなら良いってお医者様も言ってたわよ?」

「嫌だよ!しねえよ!?つぶしでもしたら怖い。…いいんだ。マリアと子どもの為ならどんな我慢だってできる。だから、約束だ。二度と、二度と危険なことはしてくれるな。いざとなったら俺の命を見捨てていいから」

「嫌よ。そんなことしない」

「マリアァ…」

「情けない声出さないで。愛する男と子ども、たかだか2人守れないで、なにが国家最高機関の元団長よ。死ぬまであなたとこの子を守り抜くわ」

「豪胆だな…」


 あまりの男前発言にエルグラントは苦笑してしまう。そうだ、自分が好きになったのはこういう女だ。自分よりはるかに強くて、豪胆で、聡明で、芯の強い、美しい女性。

「わかった。俺も守る。マリアも、この子も一生俺の全てを掛けて守るよ」

「…期待してる。本当にごめんね?エル。今日は」

「もういいさ」


 抱き合っていた体を離し、エルグラントはマリアの額と頬と、それから口に軽い口づけを落とした。

「さて、風呂入って寝るか。今日はいろいろあって疲れただろ。ゆっくり休もう」

「そうね、あなたも私も明日はゆっくりの出勤だから、もう眠りましょう」

 そう言って、二人は一日の活動を終えた。


―――――――


 それからおおよそ半年後。

「どうしようエルグラント…お嬢様の結婚式まで半月を切ってしまったわ…」

「どうしようって…」

「だって、予定日は3日前だったのよ!?どうしよう…結婚式までに出なかったらどうしよう」


 いつも冷静なマリアが慌てる姿にエルグラントは笑ってしまう。

「いいじゃねえか、別に。侍女は一人じゃないんだから」

「違うのそういう問題じゃないの!お嬢様の結婚式だけは私が何としても支度を手伝いたかったのに…あああ、もう!なんでこのタイミングかなあ!!!」

「落ち着け、マリア」


「どうしようエル…このまま長引いてお嬢様の結婚式当日に出産とかになってしまったら私ヘンリクセン家に一生足向けて寝られない…」

「いや、別に旦那様も奥様もそういうの気にしないと…」

「もしくはお嬢様の結婚式中に産気づいたりしちゃったら…」

「いや、そもそもそんな状態なら結婚式には行けないって…」


 これはもう聞いちゃいないな、と察したエルグラントは、コーヒーを飲みながら新聞紙を広げる。今日は久しぶりの夫婦そろっての休日だ。

 サラは今日外出の予定はないが、外出で護衛が必要だとしてもハリスがいつでも動けるように待機しているし、公爵家には何人も侍女がいるので、マリアも大事を取って1週間くらい前から休暇を取っている。

 優しい日差しが窓から入り込んで、良い春の日だった。

 穏やかで、家の外からは子どもたちの笑い声と、馬車の通る活気にあふれた街の音。

 幸せだなぁ…とエルグラントは新聞を読みながら、休暇の日を楽しんでいた、そのとき。


「わああああああ!?」

 おおよそその場に似合わない驚きに満ちた声が背後のマリアから放たれて、エルグラントは慌てて新聞をとじ、マリアを振り返った。

「どうしたマリア!って!おい!それ!」

「エル、エル、破水だわ!」

 振り返ったマリアの足元に大量の水が。医者から告げられていたが、これが。とどこか冷静になりながらも、エルグラントは慌てて立ち上がる。

「どうする?産婆を呼んでくるか?病院に行けそうか?」

「大丈夫、まだ動けるわ。私は着替えるからエルは馬車をお願い!」

「わかった!」


 エルグラントは家を飛び出した。途端、顔見知りの住人から声を掛けられる。

「おーどうしたエルグラント、慌てて」

「マリアが破水したんだ!馬車を呼んでくる」

「なんだって!?」

「おい、どうした!?」

 エルグラントのただならぬ様子に、他の人も次々に集まってくる。

「マリアちゃんが破水したらしいぞ!」

「おい!だれか!!だれかエルグラントに馬車を貸してやれ!!!」

「俺んちのを使え!エルグラント!!!馬車を呼びに行くより早いぞ!」


 エルグラントの家の3軒隣に豪邸を構える商家の息子が声を掛けてくれた。

「マジか!?リック!貸してくれんのか!?」

「当たり前よ!そんかしまた人心掌握学、教えてくれよな!」

「いくらでも教えてやるよ!悪い!助かる」


 エルグラントとマリアは、困っている人がいればすぐに助けるし、街の有事の際はすぐに動く。

 男や子どもたちにはいろんな知識を教え、いろんな術を教えた。婦人たちには作法と護身術を教えた。

 夫も妻も交渉団元団長であるという肩書に加え、次期女王の侍女と護衛。あまりにもすごい立場にチンピラのような人間もこの街には寄り付かなくなっていた。

 王族や貴族たち相手に商談を行いたい商家が居れば、紹介してもいいほど公正な取引を行えると見極めたのちに、快く紹介していた。おかげで、街の商家の収入はうなぎ上りだ。

 自分たちに持ち得るありとあらゆる知識や技術や人脈を惜しげもなく街の人に提供したおかげで、この町は前とは比べ物にならないほど活気づき、そして税収が増えるほど豊かな街になっていたのだ。ただ、本人たちは全くそのことに気付いていない。


 だが、街の人も表立って大げさに感謝すると、この夫婦が委縮してしまうことに気付いている。だから本人たちも全く気付いていないが、引っ越してきて一年にも満たないこの夫婦は、今や街中の人間から愛される夫婦になっていたのだ。


―――――


「マリア、…痛むか?大丈夫か?」

 ふー、ふー、と威嚇する猫のような息をさっきから断続的に出す妻の背中を擦ることしかできないエルグラントは、己の不甲斐なさをここまで悔いる日はないと確信していた。

 男性にはすることがない。背中を擦ったり、定期的に来る陣痛の痛みの際に腰を強く押すくらいしかすることはないのだ。

 なのに、マリアは今まで見たことがないくらい苦しそうで痛そうで。数分前からはもう言葉も発さないでただただ痛みに耐えている。見ている方が辛いと思うほどだった。


「まだまだ。この感じだとあと数時間はこのままさ」

 マリアの様子を見た産婆のミミがけろっとして言うのをエルグラントは信じられない気持ちで聞いていた。

「嘘だろ!?こんなに痛がってんだぞミミ婆」

「婆言うな。初産だろ?それでも数時間で済めば優秀だ」

「…うそ、だろ?」

「嘘言うもんか。こっちはこれで40年間おまんま食ってんだい。かなり順調なほうだ。2日間苦しむ妊婦だっているんだ」

「…まじか」

「ま、汗を拭いてやったり、背中を押し続けてやんな。あたしゃ一回仮眠をとってくるよ」

「うそ…だろ?こんな状態なのに寝るのかよ」


 信じられないといった面持ちのエルグラントに、ミミは鼻で笑う。

「言っただろ、順調だ。まあ、この様子だとあと6時間ってとこだな。何かあったら隣で寝てるから起こしに来い。昨日夜、ぶっ通しでお産だったんだよ」

 そう笑ってひらひらと手を振るミミにエルグラントはまた呆然と呟く。


「…嘘だろ」




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