外伝1・エルグラントとマリアの結婚生活
次期女王でしたが~の外伝です。
なんとなく書きたかったけど、零したネタなどを中心にぽつぽつ書いていきます~お暇があればどうぞ!
結婚して、小さなこじんまりとした家をヘンリクセン邸よりもう少し庶民街よりの王都内で買った。
ブリタニカでは、貴族街と庶民街は明確に分けられてはいない。王都に近づけば近づくほど、名家が屋敷を持っているというくらいのもので、実際マリアとエルグラントの新居の周りには、子爵邸や男爵邸。ちょっとした商家などの屋敷が混在していた。
買い物などに便利なこと。少し行けば、シオンを走らせるほどの草原があること。ヘンリクセン邸に行くにも馬をゆっくり走らせても10分弱ほど。様々なことを加味して、この立地に家を購入した。
「ただいまー」
「おう、お帰り。今日は鶏の煮込みだ。庭で春菊が採れたからな。一緒に混ぜ込んだ」
「わぁ、やったー!トマト?」
「ああ」
外の匂いをちらつかせながらマリアがヘンリクセン邸から帰ってきた。コートを脱いで、ハンガーに掛けたらそのままエルグラントに抱きついた。
「ただいま、エル」
「おかえり」
さっきより言葉に甘さが含まれる。そのままどちらともなく口づけを送り合う。
「先に風呂入ってくるか?用意はしてあるが」
「あなたほんと良妻ねぇ…」
「こんな筋肉質のおっさんがお玉もってエプロン付けて良妻ってよく考えたら心底気持ち悪いな…」
エルグラントの言葉に体を離してマリアが力いっぱい噴き出す。
「いいじゃない。そのまま専業主夫しててくれていいのよ?私が養ってあげる」
「マジか?そりゃ助かるな」
そう言ってエルグラントががっはっはと笑うのをマリアは嬉しそうに見つめる。
こんな言葉を掛けようものなら、男としてとか、男のプライドが…などという人間が多いこの社会で、エルグラントは一切そんなものをおくびにもださない。本当に気がいい男なのだ。
まあ、実際には交渉団を十四年団長として務めあげた経歴もあって、毎月少なくない額の手当金が入るので、養ってもらっているわけではないのだが。
「実際のところそのまま専業主夫がいい?それとも働きたい?」
「どうしたいきなり。べつにどっちでも?必要とされてるなら働くが、金に困ってるわけでもないしなぁ。マリアを迎え入れる生活もなかなか気に入ってるんだ」
「私も。エルが迎えてくれるの嬉しいんだけど」
「けど?」
「この前。王宮から正式に通達来たでしょ?」
「おお、レイの。復活公表の日取りな」
「そう。でね、エドワードがそろそろ本格的にお嬢様の護衛を探してるんだけど…」
「おう」
なんとなく話の流れは分かったが、エルグラントはマリアに続きを促す。
「…どこかの狭量なお嬢様の婚約者がね…」
「ぶっ」
「ちょっと、全部言ってないわよまだ」
そう言いながらもマリアもニヤニヤしている。その表情を見て、エルグラントも自分の考えが間違ってないことを確信する。
「できれば護衛は女で。でもいざというときやはり男のほうが力は強いから、その場合は男でも構わないけれど、条件として」
「ぶっ、やばい。大体想像つく」
「最後まで聞いて」
そう言いながらもマリアも言葉の端々に「ぶっ」とか「ふっ」とか言って笑いを堪えきれていない。
「既婚者で、奥さんを溺愛してて、お嬢様よりだいぶ年上で、そしてお嬢様が全幅の信頼を置ける男で、お嬢様のことをよく理解してて、大切にしてくれて、でも絶対に恋愛対象にはならなくて、めちゃくちゃ強くて、できれば自分より強くて、交渉団に属す、もしくは属してたくらいの強さがあって、隊長格以上で、今現在他に任務が無くて、お嬢様の傍に護衛専属でいられる人とか言い出したらしくて」
「ぶふぉおっ!!!」
「エルグラント…っ!きたな…っ。ブフッ…!!」
「はーあいつ相変わらず馬鹿だなぁ…で?そんな奴がいたのか?」
「わかってるくせに」
マリアは眦の涙を拭いながら言う。
「旦那様からいきなり呼び出されたと思ったらこれよ。私一人呼び出しだなんて何事かと思ったら、旦那様も必死で笑いを堪えながらお話するものだからおかしくって」
「陛下に願って王命にすりゃいいのに、そうしないところがあいつの良いところではあるんだが」
「最初『さぁ…そんな人には心当たりがありませんねぇ』って言ったら、旦那様大爆笑。『ここにレイが居たらしょげた尻尾と耳が見えるようだな』とかおっしゃってて。もう仕方ないから、『ちょうど我が家に今そんな人間がいますが、暇そうに庭いじりをしていますので声を掛けてみましょうか?』って言っといたけど、エル、どうかしら?」
マリア、エルグラント大爆笑。二人してひとしきりお腹がよじれるほど笑いあった。
「ああ、馬鹿だなぁほんとあいつ。馬鹿で可愛い」
「ほんとそれ」
「次期女王の護衛だろう?これ以上の栄誉はないな。女王になってもという認識でいいのか?」
「ええ、一応王位継承権の発表があるまではあなたはヘンリクセン家預かり、発表後は王家預かりの護衛になるわ」
「わかった。謹んで拝命しようとするか」
「あなたならそう言うと思ったわ。じゃあ、明日旦那様に伝えておくわね。正式な書状が届くと思う。さて、と。先にお風呂入ってきていい?」
「ああ、ゆっくり入ってこい」
ほっこりした気持ちになりながら、マリアは湯へと、エルグラントは愛妻のために夕食の盛り付け準備を始めた。
そんなこんなで護衛の任も始まり、数ヶ月後のことだった。
「…なんかお酒飲みたくない」
マリアの言葉にエルグラントは持っていたエールを慌ててテーブルに置いた。
「どうした!?どこか具合が悪いのか?!」
次の日の朝早くヘンリクセン家へ行かなければならないときなどの場合を除き、マリアはエルグラントと結婚してからほぼ毎晩のように晩酌をしていた。
自他ともに認める酒豪。そんなマリアが、全く飲みたくないだなんて、体の不調としか考えられないのだ。
「…どこが、ってわけでもないんだけど。なんとなくお酒美味しくない」
「風邪かなんかひく前なのかもな。ちょっと今日は早く寝たほうがいい。明日はゆっくり出勤だろ?どうする?休みを取れるように手配してやろうか?」
いつの間にか隣に来て心配そうにマリアの腰を抱くエルグラントに、マリアは朗らかに笑ってみせた。
「大丈夫よ、エル。あなた相変わらず心配性ねえ」
「…今日もなんか、飲める気がしないわ」
ふう、と息を吐くマリアに、エルグラントはこれはいよいよ本格的にマリアがどこか病気を患ってるに違いないと確信して、青ざめた。
マリアがお酒を飲まなくなって一週間が経った。
最初のうちこそ、ちょっと疲れてるんじゃないかとか考えてゆっくり休んだら、また飲めるさ。などと悠長に言っていたが。
「一週間ともなると…内臓の病気かもしれねえな。明日病院に行くか?」
「それが、飲みたい!って気持ちはあるのよ。体も元気で、疲れてるわけでもない。でも、お酒をいざ口にすると、「なんか別に飲まなくていいかな」って感じになって…味覚が変わったのかしら?病院行くほどのことじゃないと思うわ」
別に顔色が悪いわけでもない。業務に支障をきたしているわけでもない。具合が悪いわけでもないからと、マリアはエルグラントが病院に行くように再三進めても首を縦に振らなかった。が。
そんなことがあってから、3週間ほど経ったときのことだった。朝食を作っていたエルグラントは、寝室から出て来たマリアの顔を見て驚いた。
「おい!マリアどうした!顔色が悪いぞ」
「ごめ…エル。ちょっと…死ぬほどその匂いが気持ち悪…ごめん、そのスープ、蓋してもらっていい…?」
そういうと、マリアはトイレに駆け込んで、おえええ、と吐き出した。
エルグラントは慌ててマリアに近寄り、背中を擦ってやる。
「ごめ…こんな汚いとこ…」
「マリア、病院行くぞ」
「え…だ、大丈夫よ、こんなの。少し休めば」
「駄目だ。行くぞ。シオンは…駄目だな。ちょっと馬車を呼んでくる。あとヘンリクセン邸に手紙を送ってくる」
「え…仕事休むの?」
エルグラントはコートを羽織って、当たり前だ、とすぐさま家の外に出て行った。
「ええええ…平気なのに…ていうか、なんでそんな嬉しそうなのよ、エル…」
そう言いながらも、どうも具合が悪い。これは今日出勤してもお嬢様に迷惑を掛けるだけだわ…とマリアはソファに沈んだ。
エルグラントは一つの希望を持っていた。はやる心を押さえて、馬車を呼び、ヘンリクセン家へと急ぎの書簡を届ける。
―――もしかして、もしかするかもしれない。自分の母親で嫌というほど見てきた。自分の兄弟の嫁でも、幾度と見てきたから。
酒が飲めなくなったのも、最初は体の不調がなんもなかったのも、もし「そう」だったとしたら、合点がいく。そして今日のマリアの様子。
ただ、具合が悪いだけじゃなくて。「匂いが気持ち悪い」と言った。その症状も、何度も何度も見てきた。
心が、弾む。まだ、きちんと病院に行って判定してもらうまでは。判定されても、安定するまでは。
「ああ、ダメだ、顔がにやける」
エルグラントは、所要を済ませて急いで我が家へマリアを迎えに行った。
―――――――
「おおよそ妊娠三か月目にもう少しではいるところですね。おめでとうございます」
―――――いよっしゃああああ!
そう叫びだしたいのをエルグラントはぐっと堪える。当のマリアは何を言われたかわからないといった表情だ。
「マリアンヌさんは42歳で初産ということですから、きちんと様子を見ながら、元気な赤ちゃん、産みましょうね」
「は…い」
「じゃあ、また2週間後見せにきてください」
そう言われてもぼんやりとするマリアをエルグラントは立たせてやる。大事に大事に、宝物を扱うかのようにそっとその腰に触れて促すように病院を後にした。
「マリア」
未だ放心するマリアにエルグラントは苦笑する。帰り、馬車を使うか?と聞くと、やっとのことでマリアは首を横に振り、そこから河川敷の道をのんびりと家へと向かっている。
「おーい、マリアー?」
何度目かの呼びかけに、マリアの足がぴたり、と止まった。
ギギギ、と音がしそうなほどマリアの顔がぎこちなくエルグラントに向けられる。
「エ…ル…私…」
「ああ」
そう言って優しくエルグラントが微笑むと、マリアの目からぼろぼろと大粒の涙が出て来た。
エルグラントはマリアをゆっくりと抱き寄せる。
「わた…っ!…と、に??ほん、と…にっ!?!?」
「ああ、夢でもなんでもない。本当だ」
「はは、おやに…っ!?な、れる、の??」
「なれるさ。最高の母親になれる」
「――――――っ!!!!!!!」
もう駄目だった。マリアはエルグラントの腕の中で、泣いて、泣いて、泣き濡れた。
「――――っ!!!うれしい…っ!!」
「ああ、最高に幸せだ。ありがとう、マリア。…大事に、大事にだぞ。無理するなよ。きついと思ったらすぐに嬢に言うんだぞ?」
「わかっ…た」
しばらくそうしていたが、だいぶ涙が落ち着いてきたマリアは、ゆっくりとエルグラントから体を離した。
「…ごめん、嬉しすぎて、取り乱した」
少女のようにずびっと鼻をすするマリアを、エルグラントは愛おしそうに見つめていた。