魔力継承の儀
夜、突然ワルターがベランダに現れた。
そしていきなり彼の腕の中に閉じ込められる。
その時、ふわっと鼻を擽る彼の香りがいつもと
違う事に気付いた。
わたしはそれに気づかぬフリして
腕の中からワルターを見上げる。
「どうしてベランダから?」
「……ナイショの訪問だから」
「三階まで登って来たの?」
「転移魔法で」
あぁ。その手があったか。
アレは便利よね。
わたしは使えないけど。
「中に入って。お茶でも出すわ」
「……やめとく」
「なぜ?」
「こんな時間で、リスは夜着だ。
そんな時間に押しかけといてなんだけど、
これは大変よろしくないんだよ」
「なぜよろしくないの?」
「本気で言ってる?」
「……?」
「リス、絶対に女性以外を家に入れたらダメだよ」
「わかってるわ。ステフ以外は入れないもの。
この前はアーチー付きでボリスは入れたけど」
ボリスの名を聞き、ワルターは目を眇めた。
「あぁ…アイツな」
そういえば、ボリスはちゃんと
ワルターに謝ったのだろうか。
わたしがその事を問うとワルターは
珍しく眉間にシワを寄せながら言った。
「拳に魔力を込めて一発だけ殴ったよ。
ボリスのやった事は許せないけど、俺は誰かを責められる立場じゃないからね」
「土下座のお作法は教えてあげた?」
「それはまた今度。
アイツ、気絶しちゃったから。アーチーが
お姫様抱っこで連れて帰った」
うわ……それは見てしまったら、
一生瞼に焼き付いて離れない光景だ。
「……じゃあ名残惜しいけどそろそろ戻るよ」
「もう?」
「寂しいと思ってくれるの?」
「そりゃあ……まぁ」
と恥ずかしいながらも言うと、
すぐに唇を塞がれた。
わたしが告白の返事にしたキスとは
比べものにならないくらい情熱的なキスだった。
わたしはなんだか力が抜けてしまって
ワルターの肩に頭を預ける。
でもそんなキスの後でワルターが言ったのは
またもや仕事への注意事項だった。
「リス、キミは文官なんだからね。怪しい者に目を光らせるとか、必要以上に首を突っ込むとかしなくていいからね?」
「ちょっと、もうなに?
上司みたいな事言わないで」
「まぁ、リスらしいとは思うけど。
でもホント、くれぐれも気をつけて」
「それはこちらのセリフなんだけど。
ワルターこそ気をつけてね、無茶はしないでよ」
「うん」
「ワルター」
「なに?」
「ケリが着いたら、
一緒にお爺さまの所に挨拶に行こうね」
「……うん」
そう言うとワルターはもう一度だけ
わたしに軽いキスを落とした。
魔力の波動を感じて目を開けると、
もうそこにワルターの姿はなかった。
さっきまで感じなかった夜の空気が
冷たく感じる。
ワルターの纏っていた香りだけが
まだ微かにベランダに残っていた。
◇◇◇◇◇
先日延期をした魔力継承の儀を
改めて行いたいとブノワ男爵から
連絡があったのはそれから3日後の事だ。
急で申し訳ないが取り急ぎ願いたいとの事だった。
わたしは後に回せる案件はとりあえず置いといて、
すぐにブノワ男爵家へと向かう。
玄関のチャイムを鳴らすと
ブノワ男爵家唯一のメイドさんの
メリヤさんが出て来た。
「おいでなさいませ。旦那さまがお待ちです」
そう言ってわたしを応接室へと
案内してくれた。
応接室に入るとすぐにシエンヌさんが
近付いて来て、わたしに小声で
魔法省で今日の事を知っている者は?と聞かれた。
「わたしの直属の上司しかしりません」
と返事すると、シエンヌさんは小さく頷いた。
ソファーにはブノワ男爵と
息子のシャルル君が座っている。
わたしは二人に挨拶をした。
ブノワ男爵は何やら神妙な面持ちで、
「急なお願いをして申し訳ない。
ミス・クレマン、よろしく頼むよ」
と言われた。
「とんでもないです。
これから準備に取り掛かりますね」
わたしは打ち合わせ通りに
隣の部屋へと向かう。
予め部屋を空っぽにして広く空間を
取って貰っていたのだ。
その部屋に魔力継承のための魔法陣を
敷くために中央に立つ。
術式を唱えると
光を放ちながら術文と文様が現れ、
魔法陣を形成してゆく。
何度見ても圧巻の光景だ。
その布陣を見届け、わたしは魔法の杖を取り出す。
杖は30センチほどの長さで、
契約や制約などの特殊な魔法を扱う時に使うものだった。
これは魔法省に入省する者に与えられる
特別な杖なのだ。
そして準備が整い、わたしは皆を部屋に呼ぶ。
ブノワ男爵とシャルル君が陣の中に
向かい合って立つ。
かつてのワルターと先先代のブライス子爵の姿が
脳裏に蘇る。
わたしは二人に告げた。
「ではこれより、魔力継承の儀を執り行います。
立会人は私、魔法省法務局、シリス=クレマンが
務めさせて頂きます。ではブノワ男爵、始めてください」
その時、ブノワ男爵が叫ぶように言った。
「待ってくれ!やはり魔力は全て、息子に継承させる!勝手ばかり言って本当に申し訳ないが、そのように取り計らって貰えないだろうかっ……!」
わたしはとびっきりの笑顔で応えた。
「もちろんです!書類は全て用意してあります。
魔法陣はそのままで問題ありません、ブノワ男爵、
どうぞいっちゃって下さい!」
「ありがとう……!」
わたしに軽く頭を下げられ、
ブノワ男爵はシャルル君に向き直った。
「シャルル、すまなかった。
わたしはとんでもない過ちを犯すところだった。
しかもお前の夢を犠牲にして……。
不甲斐ない父をどうか許してくれ……」
「お父さん……ありがとう、
僕はどんなお父さんでも大好きだよ。
でもやっぱり悪いことはしないでほしいんだ」
「シャルル……!」
ブノワ男爵は目に涙を溜めながら
シャルル君の両手を取り、そっと包み込んだ。
途端に魔法陣から光が立ち上がる。
魔法陣の陣形から放たれる光が
ブノワ男爵とシャルル君を包みこむ。
男爵から息子のシャルル君へと
魔力が移行している。
きっとそれと一緒に父の愛も注がれているのだろう。
わたしは男爵の魔力が全て移行されているか
見逃しがないように目を皿にして見つめた。
やがて光は静かに消えてゆき、
後には魔法陣の中に向かい合って立つ
二人だけが残された。
そしてわたしは高らかに宣言する。
「魔法省が定める手順に基づき、
正しく魔力の継承が成されたと認めます!」
それから数々の書類を取り出し、
契約魔法と誓約魔法を用いて書類を
作成していった。
その様子をシエンヌさんが目を細めて
見つめている。
作成した書類を纏め、
わたしはブノワ男爵に手渡した。
「これで継承の儀は全て終了しました。
シャルル君、頑張って夢を叶えて立派な魔術師になってね」
「っはい!」
うん、晴れ晴れとしたいい笑顔だ。
わたしはとても満たされた気持ちになった。
あぁ…やっぱり魔法書士になって本当に良かった。
笑顔をシエンヌさんの方へと向けると、
彼の…じゃなかった、彼女の表情が
険しい事に気付いた。
「シエンヌさん……?」
その途端、
シエンヌさんがもの凄い力でわたしを引き寄せる。
そしてブノワ男爵とシャルル君に向かって叫んだ。
「早くこちらへっ!!」
一瞬、わけがわからず
立ち尽くす二人に、シエンヌさんがもう一度
大声で言う。
「早くっ!!」
二人はその声に釣られて思わずといった体で
わたし達の元へと駆け付けた。
シエンヌさんが瞬時に結界を張る。
それと同時に鼓膜が破れるかと思うほどの
轟音が響いた。
地震!?と思ったがそれも違う。
辺りをよく見渡すとこの部屋だけでなく
隣室までも吹き飛ばされたように
滅茶苦茶になっていた。
まさか魔力の暴走!?
魔力の移行の失敗!?と一瞬思ったが、
当のブノワ親子に異変は見られないので
それは違うと考え直した。
一体何が起きたというのか。
わたしはわたしを抱き締める
シエンヌさんの顔をただ見つめる事しか
出来なかった。




