禁忌とされる術
それはワルターから婚約を破棄されて半年後の
事だった。
「……え?すみません、お義姉さん、もう一度言っていただけますか?」
わたしはフレディ様の奥さま、現ブライス子爵夫人のエステル様に言った。
「貴女はもうワルターの婚約者でもなんでもないんだから、お義姉さんなんて呼ばないで頂戴。子どもが生まれたら部屋が必要になるから出て行って欲しいと言ったのよ」
エステル様が丸く膨らんだお腹に手を当てる。
エステル様はフレディ様の第一子となるお子を
身籠られているのだ。
とてもめでたい。めでたい事だけど……。
「出て行けとは……」
「亡きお義父さまがいらっしゃった時ならいざ知らず、あなたとこの家を繋ぐ縁はもう無いんだし、いつまでも居座られたら困るのよ。さっさと出て行って。あ、もちろん自らの意思で出て行くって旦那様には言ってね?私が悪者みたいになっちゃうもの」
「はあ……」
なんていうか凄いわね、エステル様は。
この人、ホントにわたしが嫌いなんだな。
嫌われるような事をした覚えはないけれど、ここまで露骨に態度に示されるといっそ清々しい。
伯爵家のご令嬢だったエステル様。
わたしの母が男爵家の出だとしても平民のわたしが同じ屋根の下で家族として暮らしているのがどうにも我慢ならないらしい。
そして女だてらに魔法省に勤めているというのも気に入らないらしいのだ。
まぁ……婚約を破棄されて半年、そして勤め出して半年だ。
このままブライス家に居るのもどうかとは自分でも思っていたので丁度良いのかもしれない。
まぁ追い出される形ではあるけども。
わたしはその日のうちにフレディ様にこの家を出て独り立ちする事を告げた。
フレディ様はとても悲しそうなお顔をされたが、格上の家から嫁いで来られたエステル様には頭が上がらないらしく、わたしの独り立ちを
強く推すエステル様に押し切られる形で承諾して下さった。
わたしが住むアパート探しなどは家令のアーチーが手伝ってくれた。
アーチーはとても心配性で、職場への道のりの安全性、利便性、セキュリティ面など全てクリアしないとなかなかアパートを決めさせてくれなかった。
そして口癖のように
「旦那さまが生きておられたらなんと仰られたか……」
と、わたしがブライス家を出て行く事を嘆き悲しんだ。
そしてようやくアーチーのお眼鏡に適う家が
見つかり、とうとうブライス家を出て行く日がきた。
フレディ様ご夫妻にボリス、家令のアーチーに
メイドのマノン、下男にキッチンメイド、みんなに別れとお礼を述べてわたしは長年お世話になったブライス家を後にした。
わたしのアパートは魔法省からほど近い場所にある。
近くに市場もあり、診療所もあり、公園もある。
少々お家賃は高いが、それだけの価値がある家だ。
それに新人とはいえこれでも魔法省の魔法書士だ。
高給取りというわけにはいかないが、薄給でもない。
贅沢をしなければ一人で充分にやっていけるはずだ。
1DKのわたしの小さなお城。
南向きで陽当たりが良く、小さなベランダもある。
ベッドと机と鏡台はブライス家で使っていたものを譲り受けたので買わなくて済んだ。
ワルターからの一方的な婚約破棄だったので、フレディ様は慰謝料を払うと仰った。
だけど両親を亡くしたわたしを引き取って充分な教育を受けさせてくれ、七年間も育てて貰ったのだから、これ以上受け取るものは何もないと辞退した。
ジョージおじ様に何一つご恩返しが出来なかった事だけが悔やまれて仕方ないけど。
これからはここで一人で暮らしてゆくんだなぁ。
結婚なんて出来ないと思うので一生一人か……。
こんな人生がわたしを待っていたなんて思いもよらなかったわ。
「人生、何が起こるかわからないわね……」
わたしはぽつりと、ひとり言ちた。
それから半年間は一人暮らしに慣れるまでの
怒涛の日々だった。
料理も掃除も洗濯も全部自分でやらなくてはならない。
加えて仕事もある。
忙しく残業をした後でも家事はしなくてはならない。
はっきり言って毎日クタクタだったけど、やり甲斐があって楽しかった。
時々、無性に寂しくなるけれども。
そして一人暮らしを始めて半年以上が過ぎた時の事だった。
休日に家でのんびりしていたら、ステファニーがわたしのアパートを訪ねて来た。
ステフはわたしには知る権利があると、
いち早く知らせに来てくれたらしい。
ステフの話では王宮で禁忌とされる魔術を用いた事件が起きたというのだ。
使用されていた禁術は『魅了』。
人の心の深層に触れ意のままに操る、タブーとされている魔術だ。
それが二年以上も王太子殿下を含む数名の者に
掛けられていたというのだ。
そしてその魅了の被害者の中に、ワルター・ブライスの名もあったという。
「魅了……」
わたしが呟くように言うと、ステフは話を詳しく聞かせてくれた。
王太子殿下とその周りにいた者に魅了をかけた人物の名はマリオン・コナーという女子生徒だったらしい。
マリオン・コナーはワルターや王太子殿下の同級生で、同じ騎士科を専攻していた。
男爵家の令嬢が、しかも女性が騎士を志すという事に興味を示した王太子殿下が、そのマリオン・コナーと交流を始めた事が発端だったとか。
マリオン・コナーが最初に魅了を掛けたのは王太子殿下と側近候補とされていた男子生徒だったらしい。
そして徐々に殿下の周辺にいた人物に魅了を掛けてゆき、自分と殿下の恋路を邪魔しないように意のままに操っていったという。
婚約者以外の女性と近づかないように提言する者や、王族ならば節度ある態度を示さなければならないと、苦言を呈する者に対して、マリオン・コナーは真っ先に魅了を掛けたそうだ。
魅了に掛けられた者はマリオン=コナーを崇拝し、彼女の為なら何でもする、いわば僕のようになっていたという。
そしてそれは学校を卒業した後も続き、王太子殿下はマリオン=コナーを王宮魔術騎士団に配属させ、専属の近衛にして常に側に置かれたという。
もちろんマリオン・コナーによって僕にさせられた者達も近衛や側近に取り立て、身辺をマリオン=コナーを守る為にガッチリ取り囲んだそうだ。
そしてとうとう、王太子殿下は夜会の最中に、幼い頃からの婚約者だったベイリー公爵令嬢に婚約破棄を突き付けたというのだ。
そのとき、王太子殿下のそばにベットリと張り付くマリオン・コナーの姿があったという。
しかし既に王宮魔術師が魅了に気付き、王宮側は水面下で動いていたという。
だが事は王太子も関わる事態だ。
彼らは慎重に調べを進め、マリオン・コナーが
魅了を施した証拠を調べ上げたらしい。
そしていよいよマリオン・コナーを捕縛し、王太子殿下を始めとする魅了を掛けられた者たちを解術するために動き出そうとした矢先だった。が、一足遅かった……らしい。
結局王太子の暴挙を止められず、結果多くの者に魅了に掛けられた王太子が婚約者の公爵令嬢に婚約破棄を突きつけた姿を晒す、いう事態が起きてしまった。
マリオン・コナーはもちろん捕縛。
この後裁判に掛けられ、極刑は免れないそうだ。
卒業したとはいえ、在学中から起きていた事なので、当然魔術学校側も監督不行き届きとの責を問われた。が、なんと学校の教員達も数名、マリオン・コナーによって魅了が掛けられていた事が判明。
マリオン=コナーの名は世紀の大悪女として人々の記憶に残る事になるだろうとステフは言った。
なぜまだ世間には公表されていない事件の内容をそんなに詳しく知っているのだとステフに尋ねたら、
「ラーモンドの情報網を舐めないでくださる?」と言われた。
本当に凄いわ、ラーモンド家……。
そして魅了に掛けられた者への解術が始まったという。
魅了は禁忌とされるほどの強力な魔術だ。
解術作業は簡単ではないらしい。
中には精神や身体に異常をきたし、昏睡状態に
陥った者もいるそうだ……。
ワルターはその中の一人だそうで、解術の後、彼は未だ意識が戻っていないという。
「婚約破棄は魅了に掛けられ、操られていた所為だった。マリオン・コナーは男達に婚約者を捨てろと豪語していたらしわよ?……シリス、貴女どうする……?」
「どうするって……?」
「婚約破棄はワルター・ブライスの真意ではなかった。そして彼は今、眠ったままでこのまま目が覚める補償はないそうよ。彼を許して会いに行くか、もう終わった事だと生きて行くか、シリスはどうしたい?」
「………」
わたし達が相思相愛であったなら、ワルターを許すか許さないかで悩んだだろう。
でもわたしはともかく、ワルターにとってあの婚約は義務的なものだった。
魅了に掛けられたおかげ……という言い方は変だけど、せっかく彼が本心を吐き出せたのだ。
元に戻しても、また同じ事を繰り返すだけだと思う。
「わたし達はあの日、違う人生を歩き出した。それでいいじゃない……いいと思えるように努力する」
「……シリス……」
ただ、彼にはもう一度目を覚ましてほしい。
そして人生をやり直して、幸せになってほしい。
わたしは心からそう思った。
ステフが帰って小一時間ほど経った位だろうか、玄関のチャイムが誰かの訪を告げる。
今日は先客万来だわと思いながら来客の対応をした。
「はい、どちらさまですか?」
「……俺だけど」
「…………」
わたしは玄関の扉を少し開け、隙間から顔を覗かす。
そこには三ヶ月前に顔を引っ叩いてやった男、ボリスが気まずそうに立っていた。




