いつか見た夕方の夢のはなし
いつか見た夢のことを思い出した。
それを見たのが何時だったか思い出せない。
中学生か高校生のときか、もっと小さいころか、もしかしたらつい先週のことなのか。
一度きり見た夢を何度も反芻したお陰で、細かいところまでやけに鮮明で、微妙な色合いまでくっきりと思い出せるようになっている。
おそらく何度も思い返しているうちに、あとから色々肉付けをして、原形を探せないほど飾り付けてしまったのだと思う。
それは、こんな夢だ。
ぼくは、どこかの土手の上に腰を下ろしていた。いや、腰を下ろしていたのだろうと思う。ぼく自身がどこにいたのか判然としないが、視線の位置から想像するとそこに座っていたことになる。土手の下にはまっすぐな小川がさらさらと流れていた。暗い影が水の面に細かなひだを描いて揺れていた。空はピンクと墨汁を混ぜたような透き通った色で、夕方のようだった。
小川の向こうは黒々とよく肥えた土に覆われた広い畑で、広い間隔を置いてこのてがしわに似た木が並んでいる。植木の列は水平に遠くまで連なって地平線と同化していた。
太陽は頭の裏にあって、並んだ木々の込み入った葉の表面がうっすらと金色を帯びて細かく風に靡いている。ぼくの辺りに風は吹いていないので不思議に思っていると、遠くで大きな鳥のようなものが羽ばたいて空に舞い上がるのが見えた。
空の墨汁色が強くなったと思う頃、どこかから脚立を肩にかけ、手に道具箱を提げた老人が近づいてきた。ここは造園業を営む畑で、老人は木の手入れに歩き回っているのだと思った。
老人は、例えるならサンタクロースのような白人の老人だ。見事な白髪で、同様に真っ白な口髭を蓄えていて、その間から覗く肌は、内側から滲み出したような紅色に染まっているが、肌そのものはぼくたちのような薄いオレンジ色ではなくほんのりと青みを帯びた白だ。鼻の上に小さな丸いメガネを架け、襟なしの白いシャツに黒いジャケットを羽織り、その上に灰色のエプロンを掛けていた。ズボンはジャケットと同じ色で、焦げ茶色の長靴を履いていた。
老人がそばを通るとき、木々は嬉しそうに葉を振るわせた。中には枝を揺すって老人の気を引こうとする木もあった。
老人はゆっくり一本一本の木を根元から天辺まで眺めながら歩き、やがてぼくに一番近い木の前に立って、じっくりと品定めするように見上げた。木の高さは二メートルくらいで、脚立に登れば老人でも容易に手入れできる大きさだった。その木も、老人に見つめられると細かく枝と葉を震わせた。それは嬉しくて踊るようにも、切なくて悶えるようにも見えた。
老人は、道具箱を下ろし、脚立を広げて、道具箱から刈り込み鋏を取り出した。老人の短く刈り込んだ白髪が金色に輝いていた。
脚立に上った老人は、ゆっくりした動きで木の天辺から刈り始めた。動きは決して大きくなく、一定のリズムでパチンパチンと葉を詰めていく。すると、まるで殻を剥ぎ取るように中の造形が浮き出してきた。
それは、人間の横顔のように見えた。あっという間に肩から上がむき出しになり、老人は一段梯子を降りて上から下に向かって鋏を走らせていく。胸と腹と腰が露わになるとそれは女の形だと分かった。そして驚いたことに背中には羽が生えていた。羽の大きさは、からだの割に小さく、果たしてそれで空を飛ぶことができるのか疑わしかったが、それはただの飾りで、決して飛ぶようなことはないのだろうと思った。
老人は脚立から降りると、腰から下の仕上げにかかった。造形が単純なのか、あっという間に二本の脚が現れ、女の全身が露わになった。老人が鋏を置いてエプロンのポケットからハンカチを取り出して額の汗を拭っていると、真横から日の光を受けた木の表面が輝いて薄い膜に覆われたように見えた。それは見間違いではなく、本当に女の表面が金色に輝く肌に包まれ、その顔はあどけない笑みを浮かべながら、老人を見下ろしていた。背中の羽はせわしなく羽ばたき、両手は羽を助けるように大きく開いて上下に揺すっていたが、足の下は地面に根を張っているので飛び上がることができない。
女は、懇願するように老人に向かって口を開いたが、声はなかった。
老人は、汗を拭う手を休めて、今度は道具箱から鋸を取り出した。そして、根元にしゃがみこんで、足の下に歯を当て、二回三回と押し引きを繰返すと、足が幹から切り離されて女の体がふわりと中に浮き上がった。
女は嬉しそうに腰を屈めて腕を伸ばし、老人の頬を両手で包んでその額にキスをした。
ああ、ここは天使を育てる畑なのだと、気づいた。
するとあの老人は神様なのかな、などと暢気に考えていると、天使は不意にからだを起こして、大きく羽ばたき、よろめきながら紫色の夕空に飛び立っていった。
後には、ざわざわと木々を騒がせる風が吹いていた。
こんな夢だ。