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「あら、こんばんは」
仕事で派遣された先は、今時中々お目にかかれない純和風の豪邸だった。家の者に招かれて足を踏み入れなければ、セキュリティを突破できても敷地内で迷ってしまいそうな、そんな個人宅という規模を飛び越えてしまった規模の邸宅だった。
「……そう。ついに、そうなってしまったのね」
どこまでも純和風な邸宅に似合わない、重たいアイアンフレームの椅子。
だだっ広い畳敷きの大広間。その真ん中にポツンと置かれた椅子の上に手足を拘束された状態で座らされていたのは、夜目でも愛らしさが分かる少女だった。
資料に記載されていた所によれば、今年で17歳。龍樹と同い年だ。
その歳で、彼女は確証があるだけでも三人、疑惑だけならば二桁の数の人間を殺しており、今回家人の申し立てにより片付けモノリストのトップに名を連ねることとなった。
片付けモノが名家と呼ばれる家から出たこと。本人に反省の色がないことや、再犯の可能性の高さ。何よりこの歳にしてこのレベルの重罪人であることを重く捉え、『リコリス』は掃除人の中でも特に指折りの技量を持つ掃除人『首落としの椿』の異名を持つ遠宮龍樹を派遣することを決めた。
「こうなってしまった以上、抵抗は無意味なのでしょうね。拘束されていなくても、勝てる気が全然しないわ」
そう言って、少女は笑った。まるで花がほころぶかのように。
「……最期に、残す言葉は」
そんな少女をしばらく観察した龍樹は、静かに口を開いた。あくまで自然体のまま、常と変わらない気だるさを漂わせて。
「……あら」
片付けモノの最期の言葉を聞くのは、掃除人の義務でもなければ責務でもない。ただ龍樹が、己の意志で己に課している、儀式のようなものだ。
そんな龍樹の言葉が意外だったのか、少女はしばらく目を丸くして龍樹を見上げ……数秒の後、もう一度フワリと笑った。
「では、伝言をお願いしてもいいかしら?」
「誰に」
「言わなくても分かるわ。私が掃除人に片付けられたと知ったら、あの子は絶対に、どんな手段を使ってでもあなたの前に現れて、その喉笛に噛み付こうとするでしょうから」
その言葉に龍樹は思わず眉をしかめた。だが少女はもう遅いとばかりに歌うように言葉を続ける。
「いいえ、いいえ、もう逃げることはできないわ。あなたが私を片付けるのでしょう? あの子は私を片付けた人間を絶対に許さない」
「……聴こうか。その、伝言とやらを」
龍樹は腹をくくると少女に続きを促した。同時に、腰から刀を抜く。緋姫という名を持つ優美な凶器は、一点の曇りもなく少女の首筋を照らした。
その刃の中に、少女はとろけ落ちそうな笑み身を零した。
「美南」
その笑みの中に狂気を見た自分は、どこか深い所で少女と同属なのだろうと思った。
同時に、少女と自分は違うと分かって、少しだけ感情が冷えた。
「あの世で、待ってる」
ヒュンッという刃が立てる音は、いつだって静かに龍樹の耳を叩く。
トンッ、と静かに首は少女の太腿の上に落ちて、龍樹は血振りを済ませた刃を鞘に納めると、その耳に飾るようにそっと、自分のボタンホールに飾っていた彼岸花を差し入れた。
己の首を抱くようにして座った少女は、まるで眠っているかのように穏やかに瞳を閉じていた。
※ ※ ※
「……」
ただの水というには粘性が高い水音が響く部屋で、龍樹は首を失った体が拘束された椅子を振り返った。
真っ白な上から、どす黒い赤で塗り潰された部屋。
この部屋の椅子が床に固定されている理由は主にふたつ。ひとつは相手の抵抗を封じるため。もうひとつは、死体が血だまりの上に落ちることを防ぐためだ。
「……あんたは、」
ふと、言葉が漏れた。さっき龍樹が首を落とした、同い年の、激情に狂って駆け抜けた少女へ向けた声が。
でも、言葉が続かない。何と言いたかったのか、そもそも続ける言葉が本当にあったのか、龍樹には分からなかった。
互いを互いの唯一とし、そこに存在理由を見出していた少女達。深くて、強い、いっそ狂気とも凶器ともいえる想い。
彼女達は、狂気を貫き通すために自分の命までをも乗せてしまった。
……理解はできない。ただ、深い部分で共感できる感情があった。
なぜならば龍樹もまた、存在理由を他者に依存しているから。それこそ掃除人なんて業が深い職務を、今よりもずっと幼い頃から負ってでも果たしたかった理由が。
「……あんた達は」
少女が背を向けていた壁際には、真っ白なテーブルの上に、ガラスの花瓶が乗せられていた。その花瓶に一輪活けられていた花を取り、龍樹は血だまりを迂回して再び少女の正面に立つ。
「解放されて、良かったな」
少女の首は、少女の膝の上に納まっていた。そう落ちるように龍樹が刃を振るった。龍樹が掃除人の中でも『椿』の二つ名を得るに至った理由のひとつだ。
そっと近付き、落とされた首の耳元に花瓶から抜き取った花を刺し込む。
鮮血よりもなお紅い、彼岸花。掃除人に片付けられた証。柵から解放されたモノに贈られる、祝いの花。
「せめて今は、安らかに眠れ」
己の膝に乗せられた顔は、まるで眠っているかのように安らかな顔をしていた。彼女とともに狂った少女と、同じように。
その口元に微かな笑みがあることを見届けた龍樹は、気だるげに一度瞳を閉じると静かになった部屋を出ていった。